2011.7.30
山こじ通信
                安曇野探訪記

                            
                                                     安曇野と言えば道祖神


 

7月の29(金)から30、31、8月1日(月)と休暇を貰い、本来ならば剱岳北方稜線にチャレンジしていたはずだった・・・。 

土日の高速渋滞を避ける為の、木曜日の深夜発〜月曜日帰宅という最高の日程のはずだった・・・。(天は我を見放した

扇沢に到着し、やれやれと休憩してハンバーガーをパクついていると、間もなく雨が降り出し、室堂に着いたときには、バケツをひっくり返した様な、超ウルトラ級の土砂振りになっていた。いくら雨男と言われていても、ここまでの酷い雨は台風以外に経験が無い。 登山者も行楽客も躊躇してターミナルは大混雑だ。
それでも自分が好きで計画して、金も暇も使ってきているのだからと、意を決してずぶ濡れになって、室堂を出発した。 しかし、悪天に次ぐ悪天で、初日は標高2700mの一ノ腰山荘がやっとだった。
濡れた体では稜線の強風の中を登る事は出来なかった。
一晩中土砂降りは続き、朝の決断となった。 

室堂へ下るも1時間、雄山に登るも一時間、もちろん上に行けば下りもあるので、時間は2倍になるのだが、このままではホームページの更新のネタにならない。 
とりあえず立山三山の一角でも踏破しなければ格好がつかない。なんとか立山主稜だけは完登して室堂に帰ってきた。 

トロリーバス、ロープウェイ、ケーブルカーと乗り継ぎ、黒部ダムの堰堤でやっと雨が上がり、扇沢では夏の日差しが復活していた。 
このままではつまらない休暇になってしまう。そうだ!深夜に駆け抜けるだけの安曇野を良い機会だからと散策してみることにした。

扇沢から大町に降りて、高瀬川沿いの道を走っているときに三蔵(早池峰山に行っている)と連絡を取ると、向こうも大雨らしく

「お前のせいだ! お前のせいだ! お前のせいだっ〜!!

                    雨男と同じ日程で計画した俺がバカだった(泣)・・・」とうるさい。

信濃川を氾濫させるような大雨だったのだから、三蔵諦めろっ。

             すべては自然現象だ わっはっは!

ポツポツ見つかる道祖神を撮影しながら、快調に車を走らせていると前方に川が・・・当然橋が・・・えぇっ???  即っ停車!

 
        何と嬉しいネタ♪・・・いや、素敵な名前の橋ではないか! しっかり激写!(古っ)

この橋は高瀬川の支流の乳川に架かる橋で、その名も「乳房橋」(たぶん通称はオッパイ橋だろうな)

ナビに導かれて、碌山美術館に到着。 しばしの間、芸術鑑賞をする。

 
            碌山館(昭和33年開館)                             『労働者』1909(明治42年)

                                
                                   『女』(重要文化財)日本近代彫刻の最高傑作。
                                   苦悩の恋の相手相馬国光の面差しがあるといわれる。表情に見られる内的な情感が美しい。絶作

○碌山美術館・・・荻原守衛1879(明治12)年〜1910(明治43)年4月22日永眠。 その年の3月代表作「女」完成。

http://www.rokuzan.jp/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BB%E5%8E%9F%E7%A2%8C%E5%B1%B1

その後、日本アルプス総鎮守穂高神社へ、参拝。安全登山を祈願する。

 

○穂高神社・・・日本アルプス総鎮守。 

 奥宮・・・中部山岳国立公園上高地の明神池畔に鎮座。

 嶺宮・・・北アルプス奥穂高岳山頂(3190m)に鎮座。

穂高見命を御祭神に仰ぐ穂高神社は、信州の中心ともいうべき 安曇野市穂高にあります。そしてその奥宮は、北アルプス穂高岳のふもとの上高地に祀られており、嶺宮は、北アルプスの主峰奥穂高岳の頂上に祀られています。
説明: http://www.hotakajinja.com/images/top2.JPG 穂高見命は海神族 (かいしんぞく)の祖神(おやがみ)であり、その後裔(こうえい)であります安曇族は、もと北九州に栄え主として海運を司り、早くから大陸方面とも交渉をもち、文化の高い氏族であったようです。醍醐天皇の延長五年(西暦九二七年)に選定された延喜式の神名帳には名神大社に列せられて古くから信濃における大社として朝廷の尊崇篤く殖産興業の神と崇め、信濃の国の開発に大功を樹てたと伝えられています。







そして、3年前に槍ヶ岳登山の時におり着いた、穂高駅へ。 ここでびっくり!
以前に来たときは気が付かなかったが、駅のロータリーに「登頂」というタイトルの像が尊敬する大先輩の岳人sudoさんにそっくりな頑強な山男だった。激写!

 
                      穂高に生まれた彫刻家、小川大系(1897〜1980)『登頂』1971年作

夕暮れも迫ってきたので、駅前の観光案内所で宿を探す。 穂高温泉郷が近くにあるが、料金も高そうなので敬遠して近くのビジネスホテルに決めた。 
山こじは下山後に、その土地の名物を食したり、温泉に浸かったりとかしたことが無い。 今のところ山登りだけの風情のない旅ばかりだ。 でもこの先も興味がないのでスタイルは変わらないだろう。

お世話になったビジネスインあずみ野(http://www15.plala.or.jp/biz-azumino/index.html)
はアットホームな雰囲気の居酒屋のあるビジネスホテルだった。

  


翌朝は再び道祖神を辿るべく出発。 

「水色の時」道祖神と近くの早春賦の碑を見学。

 

○「水色の時」道祖神・・・http://www.i-turn.jp/mizuironotoki-dousojin-nhk-renzoku-tv-shousetu.html


 

○早春賦の碑・・・http://www.mtlabs.co.jp/shinshu/event/soushunf.htm


 

 

東光寺で下駄を履いたり、本陣の等々力家を見てから、穂高駅に向かうと案内板を見つけた。  井口喜源治記念館とある。 はてどんな人だろうと興味を持ち中にはいる。


 

○井口喜源治・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E5%8F%A3%E5%96%9C%E6%BA%90%E6%B2%BB

人となりの説明を館長から受け、素晴らしい教育者に感銘した。明治の初期に、この安曇野が文化人を輩出できた素因はこの豊かな自然環境だったそうだ。
当時の安曇野は他の地区と違い水が豊富で、稲作ができた。信州名物の蕎麦も裏を返せば、米作りの出来ない貧農の生きる術で、決して好きで作っていたわけではないのだ。 
安曇野は水が豊富で稲作ができ、その豊富な水でわさびを作り、冬は養蚕で現金を手に入れる事ができた。 
そのため小作人が少なくて自作農が多く、経済的には比較的裕福で、教育や文化に眼を向ける余裕があった。他に人がいない事を良いことに、1時間ほど長話をして記念館を後にした。

 
              大町山岳博物館                           博物館前から望む北アルプス???

テレビを見ていないので人気のほどは知らないが、今放映している「NHK朝の連続ドラマおひさま」のロケ地に向かうが、駐車場の入口で渋滞していて駐車ができない。さすがに人気があるのだろう。待っていても仕方ないので、それならばと、帰る道とは逆に戻ることになるが、昨日通り過ぎてしまった、大町の山岳博物館を最後に見学してきた。

当時話題になった「切れたザイル」「松濤明の手帳」など興味のあるものがたくさんあった。 ただ撮影は禁止だったので残念だ。
駆け足だったが、夜中に車で走り抜けるだけだった安曇野を一部だけでも知ることが出来た旅だったと思う。


 
                                                     道祖神・大黒天・二十三夜塔と並ぶ
 
            かつての村の入り口を守る                             握手している
 
       子供達が祭りの為に彩色している                             水の豊かな安曇野平野
 
                                  綺麗な水を利用した山葵田

○道祖神・・・日本に古来からあった生産、生殖の神として、五穀豊穣や子孫繁栄、縁結びの願いをかけたものと言われます。
        また、村に悪いものが入るのを遮る護りの神ともいわれます。

         http://azumino.kokoton.net/doso/dosojin.htm

○二十三夜塔・・・月齢23の月の日(二十三夜)に「講」(集い)を組織した人々が集まって、月の出を待つ月行事「月待」にまつわる塔。

○大黒天・・・福を授ける神として信仰される七福神のひとつ。 甲子の日に皆が集まって福の来ることを祈願しました。(甲子講)

○庚申塔・・・庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。
        
庚申の日、寝ている間に体内にいる「さんしの虫」が天帝に悪事の報告をするのを防ぐため、夜通し眠らず集団でにぎやかに過ごす信仰。

○馬頭観音・・・観世音菩薩の化身で、煩悩や悪心を断つ功徳がいわれています。
         馬頭ということからか、馬の神様と崇められ、馬が死ぬと供養のために石造や文字塔が建てられたり、運送業者や馬持仲間が馬の無病息災を願ってこれを建てました。





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