本州横断キャンピング
1977・7・28(1日目)
自宅を7:00に出て、一路集合場所の入間市駅へカズ(弟)と向かった。
前の日にはガラにもなく興奮して睡眠不足になり、なんとなく体が重い。
フロントバッグに5s・フロントサイド2つに7s・リヤサイドにテントなど8s、合計20sの装備
を積んだ我が愛車は本当に重くて大変だ!
しかし、そこは男の子(今はオッサン?)、ガッツでスタートを切った。
約20分後、入間市駅に到着。
いつもの通り三蔵(牧野)が待っていてくれた。
駅では重装備の我々を、出勤前の人達が好奇の目(変人扱い?)で見るので早々に出発!
まずは高崎方向にハンドルを向けて走り出す。 先頭を軽装備の三蔵(牧野)が軽快に走っ
て行くが、カズ(弟)と山こじはキャンピング装備なので、実にシンドイ!
越生まではやや下りの道で良かったが、それからは、やや登り気味で都幾川・小川町と根性で
走り、やっと寄居に到着だ。
予定ではお昼までには、高崎に着かなくてはならないので休憩無しで市街地を通過。
夏の炎天下の中、陽射しを振り切って走り去るのは傍から見るとかっこいいのだが、見られて
いる側から言えばバテている顔を見せられないので辛い。 そんなことを気にしながら
児玉町を抜け、やっと県境を越えた。 埼玉県から群馬県に突入だ!
嬉しくなりこの旅の完走を改めて誓う我々であった。
さらに、藤岡を抜け利根川を渡り、予定通り高崎に到着。
さて昼飯にしようとスーパーにパンを買いに行こうとしたときに追突事故を目撃。
「明日は我が身」と嫌〜な予感がしたので「俺たちも気をつけよう!」と皆に言い聞かせた。
30分位休憩を取り出発! 今までのR17から直江津まで一本道のR18に道が変る。
この辺りからは山々も間近に見え始め、「難関の碓氷峠を頑張るぞ」とワクワクしてきた。
炎天下の下、安中までチンタラチンタラ走り、郷原の近くでとうとうカズ(弟)がダウン!
(今で言う熱中症だと思う)
近くのドライブインで場所を借りて休憩をさせる。 無理もない、日中のいちばん陽射しが強い
時間帯に自転車に乗り、さらに坂道を延々と登っているのだから・・・。
山こじと3歳違う中3だが、高3の我々とは体力が違うし、ここまでずいぶん距離を走って来
ているので疲労もたまっているはずだ。
(いまでは体重が10kgは違う。もちろん弟がデブになった。)
それでも30分ほどで根性を補給できたらしく(?)元気を取り戻したので出発。
だらだらとした登り坂を走り松井田・五料・御所平と登ったり下ったりを繰り返す。
これが実に辛い。
やっとのことで峠の麓の横川に到着。 皆も相当バテているので、大休止を摂る。
でも、さすがは観光地、人が多い。 あんまりみっともない格好は出来ない。おまけに汗臭い
ので素早く1本100円也の牛乳を2本づつ飲んで、忘れずに釜飯を2個づつ買って出発。
「さ〜ていよいよ碓氷峠だ」と思ったら、その前の長〜い坂道にめげる。
道の横に「これより碓氷峠 カーブ184」という標識があった。 すぐ近くに茶店があったの
で、峠アタックの前に最後の休憩をとる。
茶店で「力餅」を食べて休憩していると
サイクリスト 「カルピスソーダありますか?」
店主 「あいにく切らしているんですよ」
サイクリスト 「カルピスソーダないですか?」
店主 「今、無いんですよ」
我々 「???」
そのサイクリストはまだ諦めきれずに探していた。(結構しつこい人?)
さて、いよいよ峠道である。 我々は峠になると自由アタックといって、マイペースで走る。
ノンストップにチャレンジするも良し、マイペースで行くも良しと言うわけだ。
サイクリストは峠というとムキになって頑張ってしまう習性がある。
それがメジャーな峠だと、他人の登坂タイムも気になるのでなおさらだ。
峠道は噂の通り、坂はそんなでも無いのだが、距離が長い。 12kmもあると、さすがに気が
滅入ってしまう。 おまけに目安としてはいいのだが、「C1],「C2]・・・とカーブの数が標識とし
て建っているので「C184」まであるのを知っているのでとっても辛い!
まずは軽装備の三蔵(牧野)が飛び出す。 山こじも頑張っているのだがキャンピング装備の
リヤの荷物が後ろに引っ張っているようで思うようには進まない。
三蔵(牧野)との差は開くばかりで、とうとう見えなくなってしまった。
カズ(弟)はさらに後方なのでそれぞれが単独アタックみたいになっている。
山こじもなんとかノンストップと思いがんばっていたが、足が悲鳴をあげ何度もツリそうになり
中間地点で5分間だけマッサージの為休んだ。 下のほうからカズ(弟)があえぎながら登って
来るのが見えた。「がんばれ〜」
中間地点で入れ替わるように出発。 再びあえぎながらペダルを踏み、茶店を出てから、1時
間11分後、ついに峠の頂上に着いた。
あとで知ったが、この峠はランドナーでも、1時間30分位が相場なのだそうだ。
峠で待つ三蔵(牧野)とカズ(弟)のゴールを待ち、全員揃ったところで記念写真をとり避暑地軽
井沢へと向かう。
碓氷峠の名物旧信越本線のレンガ造りの鉄橋
注)赤や黄色の光はカメラ不調の為に光が入ったと思われる
決してUFOではないと思う
軽井沢はおしゃれな町だ。 その様なところへ、こじき同然の汚い格好の我々が来ると、
人々は特異な物を見るように過ぎ去っていく。 なんかみじめ〜。
見物も早々にテント場へ向かい釜飯で夕食を済ませる。
明日は5時に出発する三蔵(牧野)がいるので早々と就寝。
本日の走行143.7km
(2日目)
雀がチュンチュンと鳴いている中を「今日は学校で部活がある」という三蔵を見送ると我々は
再び寝直した。 7時頃起きてテントをたたみ、残り物のパンとトマトジュースで朝食を済ませ、2
日目のスタートを切った。
「自転車は歩道を走りなさい」と標識にあるが無視して車道を走る。
いくつかのアップダウンを繰り返し、やがて標高1,003mの地点を通過。 しばらく走ると
R18は路面がでこぼこになってきた。
(この頃のR18はまだアスファルト舗装ではなくコンクリート舗装なので
継ぎ目の目地が出っ張っていた)
解説・・・コンクリート舗装の中には鉄筋が配筋してあり、その鉄筋が熱膨張で伸び、
鉄筋コンクリート全体が伸びて目地材のエラスタイトを圧迫する。
その結果、熱で軟化したエラスタイトが行き場を失い表面にはみ出る。
以上 土建屋の山こじ
昨日パンクしているので注意して走る。下りオンリーの道を走り終え、小諸に到着。
見学は復路でする予定なので、そのまま通過。 猛暑の中、坂城・戸倉・屋代と走る。
信濃路はま〜すぐな道が続いているので気が滅入ってしまう。
信号が無い! 千曲川沿いのR18
「次の信号に引っ掛かったら休憩しよう」と決めるが、2q位走らないと次の信号が無い。
運良く(悪く?)信号が青だと、また2km位は走らなければならない。
(走ったことないけど北海道よりはまし?)
やっと千曲川に架かる橋が見え、長野市は目の前だ。
山こじとカズは気分転換に橋を歩いて長野入りをした。
善光寺に着くが、相変わらず人・ヒト・ひとなので見学は復路でするということにして食堂で昼
食。 食堂を出たところに標識があり、「直江津→」とあるので素直に従う。 だんだん道が細く
なり、なんか変だと思い地図で確認すると坂中峠へ向かう道だった。(ガ〜ン)
またしても峠越え・・・。
キャンピング装備での峠道がどんなに辛いか読者の皆さん知らないでしょ。
「何せ俺たちには、峠は絶対に押さない!」というプライドがある。
押したら「峠に負けた!」と言う事になる。
(いままで、ずいぶん負けている様な気がするが・・・、
この当時は若かったから結構こだわりがある)
だから、道に大の字になってぶっ倒れても押しだけはしないで頑張った。
(押しているよりかっこ悪い)
炎天下で頭がボ〜としてくると、ボトルの水を頭にかけながら走り、ついに坂中峠に到着!
坂中峠にて 体力を使い果たす
勝った〜!(だから・・・どうした)
そこからはダウンヒルを楽しみR18に戻った。 1時間程だらだらの坂道を辛抱して登っている
と道の横に「一茶の旧宅」とある。 小林一茶の旧宅は土蔵だけが残っている。
母屋は火事で焼失して、それからは土蔵で暮らしたそうである。
でも、どこの観光地もそうなのだが落書きはやめて欲しい! 文化財が泣くというものだ。
「落書きなんかする奴を俺は軽蔑する」
(若いな〜、でも良い事言っているな〜)
見学を終え、向かいの店でインスタントの親子丼を買い、野尻湖へ。 4時に到着。
相変わらず、人が多い。 すぐにテント場へ行き、飯ごうで自炊して就寝。
本日の走行110.1q
(3日目)
今日はついに日本海を見られる!と意気込んで出発の準備をした。
キャンプ場に荷物を預けて、フロントバッグ一つと言う軽装備で出発。
野尻坂峠も荷物が軽いから鍛えられた脚には全然応えない。
(はて?そんな脚を持っていたっけ?どこへ行っちゃたんだろ?)
次の祝坂を楽勝!! 目の前のスポルティフさえも抜いてしまうほど快調!
この2つの坂を越えると直江津まではず〜と下りオンリーのご機嫌コースなのだ。
反対側からあえぎながら登ってくるサイクリストの集団がすれ違う。 お約束の挨拶を交わし
「がんばれ!」と声をかけるが、帰りは自分達がその苦しみを味わうことになるのだが・・・。
2時間ほど走り直江津に到着。 まずは駅へと向かう。
サイスポ(サイクルスポーツ誌)にもあるとおり綺麗な駅だ。
ロッジ風の駅で青山さんと
駅には物凄いサイクリストがいた。 なにがって風貌がワイルド(失礼)なのだ。
彼の名は青山さんといって自宅は墨田区だそうだ。
彼と一緒に食堂に入り250円の定食を食べる。(安い!時代を感じる!)
内容はオムレツ・味噌汁・おしんこ・ライスと言うところだ。
(つまりはオムレツ定食って訳ね)
彼が言うには、我々のこれからの復路になる直江津〜野尻湖は別名「心臓破りの坂」と言
うらしい。 不安を感じながら日本海を見るべく、海へと向かう。
水平線をバックに
ついに来た! 本州横断の末の日本海だ。 水平線がとっても綺麗だ。
しばらく見入ったあと後ろ髪を引かれる思いで出発し、ちょっと、文房具屋へ。
実は、青山さんに教わったのだが、駅のスタンプ集めをしようと思ったのだ。
(この当時の国鉄の戦略でディスカバージャパンのスタンプが各駅に置いてあった。
「ゆっくり走ろう○○路を」というのはこの後のことです。古っ!)
直江津駅では、人々の好奇の目の中で青山さんが輪行の支度をしていた。
彼は軽井沢まで輪行して2〜3日駅のベンチで寝て旅を続けると言っていた。
(う〜んワイルド!)
軽井沢での再会を祈りつつ、我々も出発。
青山さんに教わったとおり各駅に立寄りながら走るが、雪国の新潟とは言えやっぱり暑い。
それに♪行きは良い良い帰りは辛い!♪と、朝は下りで快適だった道を今度は登り返さ
なくてはならない。
途中であの上杉謙信の春日山城跡によって見学した。
さすがに当時の城は山城で、ちょっとしたアルバイトになった。
でもこの機会を逃すと一生来られないかもと思い、本丸跡まで登ったが結構きつかった。
再び国道に戻り、走り出すとキャンピング装備のサイクリストと出会った。 一緒にしばらく走
るが、彼はあまりにも遅いので先行することにした。
愛校心なのか? 母校のペナントを持っている
夏の妙高高原国際スキー場を横目で見ながら、坂道を登り、直江津を出てから実に4時間も
かかって野尻湖に到着。 キャンプ場に戻り、夕食はククレシチュウで済ませた。
本日の走行103.0q
(4日目)
今日は、体を休める日と決めサボることにした。 朝とはもう言えない10時過ぎに起き、他の
グループがバーベキューをやっているのを横目にククレカレーで朝食と昼食を兼ねる。
いじけていても仕方がないので、湖一周を計画して走り出す。 走ってみてビックリ!
レンタサイクルもあるのだが、この野尻湖畔一周の道は石ころだらけで上り坂も結構キツイ!
とてもじゃないけど、変速なしのレンタサイクルでは押して歩くしかないような道だった。
我々は15段変速を駆使してレンタサイクルの一団を抜き去り、やがて外人別荘地。
パンフレットに紹介されているとおり、とても日本とは思えない景色だ。
その後は車と危うく接触しそうになったり危ないこともあったが、無事一周を終えテント場へ到
着。
夕食はパンとジュースで済まし、明日は軽井沢まで走らなければならないので、早々に就
寝。 しかし、いくら早出とは言え、夕方の6時から眠れるわけも無く、結局10時就寝。
本日の走行17.5q
(5日目)
朝4時30分起床。 早々にテントをたたみ、6時に野尻湖を出発。
朝飯は食べていないが昨日の休養で体調はバッチリ、朝霧の中を快調に飛ばす。
車は少ないし、空気は旨いし、女の子はいないし? 快調!
やがて往路で見学した一茶の旧宅を過ぎた辺りで、突然の大音響!!
と同時にガタガタとリヤタイヤはずれた。
バーストだ! チューブが30pも裂けている。
幸いすぐ横に自転車屋がありチューブを買い、取り替える。 600円也。
空気を入れ、自転車を起こすと同時にまたもバースト!
よくよく見ると、ビートワイヤーがちぎれてチューブに刺さっている。 これではお手上げなので
タイヤを買おうとしたら、店主が出かけて留守番のお婆さんしかいないので売ってくれない。
仕方ないので3kmほど先にあるという、もう一件の自転車屋までカズに走ってもらい、やっと交
換できた。
しかし、その結果、前はソーヨーの1/2の赤タイヤ、後ろはなんだか知らない農協マークの
3/8の黒タイヤという、ちぐはぐな組み合わせになった。 それから、しばらくは気をつけて走
っていたが、大丈夫そうなので善光寺を目指して快走出来た。
9時頃、長野市に入る。 さすがに、大都市とあって人・ヒト・ひとの洪水だ。
そのような所に、5日も風呂に入っていなくて髪はボサボサ・汗と埃にまみれたTシャツ・
汚れた靴下と靴・くたびれた自転車にゴッツイ装備。
どれをとっても汚いといういでたちで善光寺の本堂へ向かう。 本堂では、真っ暗な通路で鍵を
探すということをやり、お守り・絵馬・ステッカーなどを購入した。
「善光寺」の文字には鳩がデザインされている
さらに水はただなので、いい気になってがぶ飲みをしてボトルをいっぱいにした。
いい加減に、目一杯恥じをさらしたところで、上田を目指して出発。
車の排気ガスや夏の暑さと連日の疲労にもめげずに、12時頃に上田に到着。
さっそく上田城を見学しようと中に入ったが何もなく、博物館はお金がいると言うのですごすご
と退散した。 上田駅へ行き、駅前の食堂で力を付けるべくとんかつ定食を食べる。
(大出費だ〜)
腹も治まり、時間もせまってきたので小諸へ向け出発。
上田〜小諸間は往路で快適だった通り、復路では地獄の坂道が延々と続く、しかし、とんかつ
定食が効いたのか1時間位で走破できた。
小諸=懐古園! と言うわけで中に入ると、修学旅行の生徒達の好奇の目にさらされる。
(やっぱり、きたないものな〜)
見学を済ませ、今日の寝ぐらの軽井沢へと向かう。 ここからは、さっきの坂道よりさらにき
つく、大型車はバンバン通るし、おまけに雨まで降ってきてしまった。
1時間ほど雨宿りの休憩をして、再び走りだす。
信濃追分の近くで丸石エンペラーのスポルティフに乗った日野市の高清水さんと出会う。
彼が今日の寝ぐらが無いというので、我々のテントに同宿することになった。
ここからは3人で走り出すが、中軽井沢辺りで変態的な格好をした人を見つける。
(どんな格好をしていたか今になっては思い出せない)
声をかけるとなんと(やっぱり!)直江津で会った青山さんだ。
やっぱり、彼はどこか変! 特徴がありすぎる!
再会を喜び、しばらく話をした。 やっぱり駅で寝ているらしい。
やがて、ツーリングの初日にお世話になった明月園キャンプ場に着き、テントを張って、やっ
と落ち着いた。
ここはドライブインも兼ねていて、お風呂にも入れるというので5日振りに入浴できた。
なんたって汗と埃にまみれて、体中が生ゴミのような臭いでたまらなかった。
(たぶん、不幸にも善光寺や懐古園で我々と接近遭遇した人達は
もっとたまらなかっただろう ご愁傷様)
ドライブインの風呂でカズと1時間以上もかけて垢すりに専念。でるわでるわ、すごい垢だ。
風呂からあがると、体重が軽くなったような気がしたくらいだ。
夜の8時頃、駅で寝ているはずの青山さんを訪ねに行ったが会えなかった。
まだ、人が多いのでその辺をふらついているのかな?
町を少しふらついてテントに戻り就寝。
本日の走行126.8q
(6日目)
今日は休養日。 相変わらず朝寝をして、メタクッカーでお湯を沸かし、カップヌードルという
ワビシイ食事を済ませ、我々は旧碓氷峠、高清水さんは浅間方面へと出発した。
軽井沢銀座は歩行者天国なので自転車を押して歩き、やがて静かな峠道となった。
約1時間程で峠に着き、長野・群馬両県にまたがる茶店へと入った。 店の床に白線が引いて
あって、群馬県側の席に座り、長野県側の厨房から出前(?)を取る形になる?
休憩後、今度は熊野神社を見物。 この神社は左右対称で、完全に中央で両県に跨って建
っている。
碓氷峠の見晴台にて
次に見晴台へと向かったが、曇っているので展望はなかった。 帰りはヘアピンのダウンヒル
を少しだけ楽しみ、軽井沢銀座をぶらついてテントに戻った。
4時頃、高清水さんも帰ってきて、友達が迎えに来たというので別れた。
そろそろ、腹も減ってきたのでラーメン屋で食事、玉丼とチャーハンを食べテントに戻るが、ま
だ腹が減っているのでパンを買いに外へ出た。 その帰り道、青山さんと出会う。
彼は、明日は仕事だと言って、今夜飛ばして帰るらしい。(社会人は大変だ)
我々も明日は家まで帰るので、早出の為に就寝。
本日の走行13.0q
(7日目)
いよいよ、最終日だ。 「終わり良ければ全て良し」といきたいところだ。
走りだして、すぐに碓氷峠の頂上。
ここからは往路では苦しめられたが、今度はご機嫌なダウンヒルのはずだ。
しかし、走り出してみるとサイドバッグが重くてブレーキが利かない。
カーブが184箇所もあるのが逆に辛いくらいだ。 ノロノロと緊張しながらの走りで50分程か
かり、やっと峠道が終わった。
横川では、またも釜飯を開店前にもかかわらず買って食べた。
腹も治まり、今度は往路でカズが苦しめられた坂道が、高崎までのダウンヒルだ。
峠で飛ばせなかった鬱憤を晴らすように飛ばしに飛ばす。(最高!)
高崎駅でスタンプを押し、やがて県境を越えた。 寄居辺りから、疲れが出たのか緊張が解
けたのか足が進まなくなる。
それでも何とか東松山・川越と走り、やっとのことで狭山の自宅に帰り着き旅はおわった。
本日の走行132.0q
データ(1977年7月28日〜8月3日)
全走行距離646.5km 費用(2人)18000円
トラブル
山こじ・・・バースト2回、 パンク2回
カズ・・・・スポーク折れ2本
三蔵・・・・なし
振り返って
たんすの上の箱から30年前の紀行文を見つけた時に思わずその場で読み耽ってしまい、
当時の、夏の太陽の陽射しに痛いほど肌を焼かれたこと、眩しい路面の照り返し、むせ返る
ほど熱い空気・・・。 つい昨日の事の様に思い出されます。
まぎれも無く過ぎ去った30年の時間は事実ですが、きっかけさえあれば記憶は甦るものな
んですね。
下手な文章の紀行文で読み辛い部分もある事と思いますが、私の青春の記憶を呼び覚まし
てくれた大事な宝物です。 このような文章でも今では残して置いて良かったと思います。
注)赤字は今回山こじが編集したものです。
なお、30年前の記録(足りない表現力)で読むに耐えない箇所が多々在りま
したので原文を損なわない程度に編集しております。