バースデイラン信州
1982・8/14〜16
8月13日 金子---(輪行)---松本
8月14日 松本---松本城---(9.0k)---美鈴湖---武石峠---王ヶ頭---美しの塔
---山本小屋
8月15日 山本小屋---扉峠---和田峠---霧ケ峰---大門峠---白樺高原YH
8月16日 白樺高原YH---白樺湖---芦ヶ沢---茅野---(輪行)---金子
8月13日
仕事から帰ってきてみたら、早くも予定が狂っていた。
なぜに? 森と三蔵がいるん??
なんか知らんが親父を含めた3人で盛り上がっている。
まずは、酒飲み大会に参加して今度は4人でおおいに盛り上る。
いい加減に出発の時間になったので切り上げて、森に車で金子駅まで送ってもらう。
10:27分の列車に乗り、いよいよ旅の始まりだ。
8月14日 (晴れ)
夜行列車で輪行し、松本までは呑気に寝て行ける筈なのだが、不安と緊張で神経が高ぶって
いるのか、なかなか寝付けない。 寝れたような寝れてないような感じで松本到着5:00.
早速、輪行袋から自転車を出し組み立てる。 まだ朝が早いので駅へ行き交う人は少ないの
だが、やっぱり人々の興味を引くらしい。
準備万端! しかし時間が余り過ぎてしまい駅をぶらぶらしていると、・・・。
やっぱりいました。 さすがは信州、サイクリストが何人もたむろしていた。
10:00頃までダベッて盛り上がる。
まずは、松本城によって記念写真、10:30。
目指すは標高2000mの高原美ヶ原だ!
市内を抜け、浅間温泉との分岐を過ぎると、
いきなり・・・なっなんと14%の坂だ。
始めのうちだけだろうと、たかをくくっていたら、ず〜〜〜とこの調子で続いている。
こんなの道じゃない!! と怒り心頭でブツブツ言いながらも上って行く。
約1時間で美鈴湖に到着11:20。 (結構きつかった〜)
30分位休憩をした。 酒を飲んだ挙句の睡眠不足では力が出ない。
よくよく考えてみたら、まだ朝飯を食べていなかった!
周りにはすでに店は無い!!
完全に峠道になってしまって人家など無い!
美鈴湖から先も同じような急勾配が続く坂道をよたよたと上る。
武石峠の手前で小さなレストラン発見!!
(助かった〜♪)
さっそく店に入り、カレーライスの大盛りを注文した。
(生き返った〜!!)
もう一回、よ〜く考えてみたら、
昨夜は酒は飲んだが食事は摂っていなかった。
酔っ払った勢いで夜行列車に乗って、今やっとまともな食事を食べることができた。
"腹が減っては戦はできぬ"、とはよく言ったものだ。
(腹ペコでは力なんか出やしない!)
やがて武石峠1700mに到着15:00。
峠で写真を撮り、自転車に再び跨ると・・・???
なんか変だぞ? 自転車から降りてあちこちチェックしてみたら・・・
げっ!! ・・・はぁ〜・・・とほほ・・・。
見てびっくり! ため息・・・ 状態を確認してがっくり!
後輪がチェーンステーを擦っているので異常に気づいたのだが、後輪を外すべくクイックレバ
ーを緩めると・・・なんと!玉押しが仲良く一緒に付いてくるではないか!!
こんな所でシャフトとさよならなんかしなくったっていいんだ!
見てはいけないものを見てしまった気分だ!
腹ペコ、睡眠不足、二日酔い、急坂・・・そしてどうしようもないトラブル。
山こじ・・・めげた・・・。 (たてっ! 立つんだ ジョォ〜〜??)
・・・で、どうなっているのかな?・・・
(怖いもの見たさの心境だ)
げっ・・・げ〜〜〜〜〜。
リヤの中空シャフトがフリー側の玉押しの所で
完全に折れているぅ〜〜。
こんなトラブル初めてだ。 まさかシャフトが折れるとは。
どうしようもないので、ベアリングを落とさないように元に戻し、乗車出来る状態とは思えない
ので、自転車を押して歩き始めた。
しかし、美ヶ原の一角とはいえまだまだ先は長い。
大事にそ〜とそ〜とペダルを踏みはじめると何とかなっている。
あまりトルクをかけないようにゆっくりゆっくり走り、王ヶ頭に着いた!
(やったね♪)
それから牧歌的な風景のなか、美しの塔など巡って山本小屋に到着17:10。
しかし、ここでも悲惨な運命が待っていた。
今日はお客さんが多いので、
飛び込みの山こじには夕食が出せない
・・・と言ってきたのだ。
予約をしていなかった自分が悪いのだが・・・。 (天は我を見放した〜〜〜)
テン場は?と聞くと、「新館の下に旧館があるからその辺で」と言う返事だ。
行ってみると、今にも崩れそうな屋根だけで壁のない旧館があった。
雨も降ってきそうなので、板張りの屋根下でテントを張った。
新館に風呂に入りに行くとサイクリストに出会った。
彼は予約をしていたらしく夕食にありつけたらしい。
悲惨な山こじの境遇に同情してくれて、缶詰を恵んでくれ、さらに夜は彼の部屋
で彼の持参のワインで旅の話でおおいに盛り上がった。
8月15日 (曇り〜雨)
あさ〜! 一人、あばら家の中に張ったテントから這い出す5:00。
外は雨だ。 トラブル続きで天気も味方をしてくれない。 (とほほ・・・)
5:30頃に雨があがったので、美ヶ原美術館(柵の外から見ただけ)牛伏山と歩き、王ヶ頭ま
で彼と一緒に写真を撮りに出かけた。 2000mの高原は雨という事もあって寒い!
雲が湧き上がって、景色もさっぱりだった。 雨が、また降ってきたので小屋に戻り、雨宿りを
していたが、止みそうにないのでやけくそで出発した10:40。
シャフトが折れているので、
ダウンヒルの喜びなど全く無く、慎重に慎重にとろとろ下る。
横方向に負荷をかけぬように、
リーンインもリーンウィッズもヘッタクレも無い!!
ただただ静かに、下りはソロソロ、上りはトロトロ、
傍から見ている人には"とろいヤツ"と思われていただろう。
やっとの思いで扉峠1630mに到着11:13。
扉峠で昼食を摂り、降り続く雨の中12:00に出発。
八島湿原の辺りでは視界は5m程しかなかった。 車はヘッドライトを点灯している。
雨と霧で視界不良の中を八島湿原を過ぎ、ヘコヘコ走りながらも和田峠1500mに到着12:
30。
ここでR142を走れば、下諏訪に行けるのだが、今まで何とか騙し騙しでも走れたのだからと欲
が出て白樺湖方面に向かう。 (・・・無茶苦茶な奴だ)
再び、雨の中を走り、霧ケ峰1670mには13:30に到着。
もう、全身ずぶ濡れだ。 ここでも、帰ろうと思えば上諏訪に下る事が出来るのだ
が、白樺湖に行きたい気持ちの方が強く、車山を見ながら、さらに頑張った。
ここで家族旅行でダウンヒルを楽しみにきた香川のサイクリストと一緒に走った。
白樺湖を横に見ながら、雨を顔に受けて大門峠1442mに到着14:20。
ここで、道を間違えて白樺高原に向かってしまった。 確か、道は下りになる筈なのに、行け
ども行けどものぼりの連続だ。 女神湖の近くでやっと間違いに気がついた。
時刻は15:00。 どうしようかと迷っている時に、大阪から来た大学生と会い、この先のユース
ホステルに行く事に決定した。
彼は自分でTELした時に断られたと言っていたが、昔の伊東ユースの時を思い出した山こじ
は、「大丈夫!! じかに頼めば泊めてくれるよ!」と無責任にも強引
に押しかけることにしたのだ。
やがて、ユースに着き、交渉の結果はOK♪♪
1泊2食で2650円だ。
やっぱり、びしょ濡れで頼めば何とかなる!!
(この当時の関係者の皆さん、
その節はご迷惑をお掛けして申し訳ありません。
深く深く反省しております。)
夕食はトンカツだった。昨夜のひもじい思いが忘れられる。
こんなに食事が良いとは思わなかったし、友達も出来た。
目黒のタッキュウ男、新潟のオジン、一宮の森、
そして岐阜のしげみチャンと直子チャン、
やっぱり、ユースはいいね〜。
8月16日 (雨)
朝、またも同世代の皆と旅の話しで盛り上がり、10:00に追い出されるまでダベッていた。
そして、またも雨の中出発した。
白樺湖までは下りオンリーで快適快適。
(ちょいと!お前さん。シャフトが折れているんじゃなかったかい?)
白樺湖でサイクリストに出会って喋っていたら、横を通るバス中からしげみチャンと直子チャン
の声が・・・
「頑張るんダ!!」 「ありがっとぅ〜〜」
元気をもらい茅野を目指し出発!
標高1600mから下るにつれ、下界の暖かさが感じられた。
道の傾斜が緩やかになり、信号がだんだん増えてきて、旅の終わりも近づいてきた。
茅野駅には、11:30に到着。 自転車をたたみ、列車の人となり旅が終わった。
今日で俺も23歳。
どんな一年が始まるのだろう・・・。
データ
8/14
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8/15
|
8/16
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乗車券(金子〜松本) |
3000 |
コーヒー |
300 |
乗車券(茅野〜松本) |
2300 |
急行券 |
1100 |
ミルク |
300 |
急行券 |
800 |
うどん |
230 |
朝食 |
700 |
ジュース |
120 |
モーニング |
350 |
カレー |
500 |
|
|
ジュース |
100 |
ジュース |
120 |
|
|
ジュース |
120 |
YH代(1泊2食) |
2650 |
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カレー大盛り |
450 |
紅茶 |
200 |
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ジュース×2 |
300 |
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土産 |
1100 |
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バンガロー代? |
1000 |
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合 計 |
7750 |
合 計 |
4770 |
合 計 |
3220 |
総額15740円 (内鉄道代 7200円) 1日当り 2846円
あとがき
毎年、誕生日=お盆休みということで、毎回旅先で誕生日を迎えていました。
各地で会った人達に祝福してもらい、楽しい時代でした。
輪行という手段も、近場を走って時間を無駄にするより、走りたい所だけを走るという、休み
の少ない(短い)私には有効な手段でした。
輪行といえば、昔は競輪選手だけとか、JCAの会員だけとか、紆余曲折があり、現在では誰
でも気楽に利用できるようになったみたいですね。
でも、輪行を利用している人は今どれくらいいるのでしょうか?
自転車で旅をしている人も少ないみたいですし・・・。
ネットで日本一周を検索してみたら、自転車の人も何人かはいるみたいですね。
でも、チャリダーとか言って自転車のメカには無頓着な人が多いみたいです。
我々の時代は、メカも大好きで、パーツをとっかえひっかえして楽しんだものです。
この時の自転車の装備のまま、25年近くたった、現在もお座敷自転車の状態で保有してい
ます。 まるでタイムスリップしたみたいです。
たまには外に引っ張りだして、ポタリングをしたり、レホールのマッドガードをピカールで磨き
上げたりしています。
青春の相棒とでも言える、自転車(ロードとランドナー)をこの先も大事に可愛がってやりた
いと思います。
1982年
2007年
タイヤとバーテープを交換したくらいで基本的な変更は無い
このツーリングから数えても既に25年!!