2007. 10. 13
山こじ通信vol.25
南アルプス前衛.日向八丁尾根


甲斐駒研究 恩田善雄氏を参考にさせていただきました
日向八丁尾根(ひなたはっちょうおね)                <地>
 尾白川の北を区切る尾根で、烏帽子岳、大岩山、駒岩を経て日向山に達
する。長さ約7キロメートル。日向八丁とは本来、烏帽子岳から大岩山南鞍
部までを指し、大岩山から東は日向尾根、あるいは大岩山尾根などとも呼
ばれていたが、最近では烏帽子岳からの尾根全体を指して、日向八丁尾根
と呼ぶ場合が多いようである。踏跡はあるが荒れていてわかりにくい場所も
ある。とくに下降は迷いやすい。大岩山の東肩にこの尾根ただ一つの水場
があり幕営可能である。水場は鞍部より北の喜平谷に下るのだが、季節に
よってはかなり遠くなる。
●記録 *1911年7月18〜19日 星 忠芳、辻本満丸(『山岳』第6年第3号)
    *1940年2月7〜11日 松濤 明(遺稿集『風雪のビバーク』登歩渓流
会・1950)
●地図 甲斐駒ケ岳、長坂上条


山行き行程(日帰り 2007.10.13)
第一日目(予定歩行時間 8時間30分) 撮影+小休止含み 6時間07分
・・06:14・・・・・・・・・07:21〜07:43・・・・・・・ 09:15・・・・・・・・・・09:47〜10:26・・・・・・・・・・・・10:52・・・・・
矢立石 (1:30) 日向山 (2:30) 駒岩   (0:40)  鞍掛山 (0:40)  駒岩  (2:00)
・・・・・・・・(1:07)・・・1659m・・(1:32)・・2029m・・(0:32)・・・2037m・・(0:26)・・・2029m・・(1:17)
12:09〜12:18・・・・・・12:53・・・・・・・・・・・13:31
  分岐 (0:40) 錦滝 (0:30) 矢立石
・・・・・・・・(0:35)・・・・・・・(0:38)


いやぁ〜!岳人11月号を読んでびっくりした。
今回の山行きのレポを、どういう風に書こうかと悩んでいたら、そのまんま誌上に載っているで
はないか。 タイトルも考えていたとおりと同じ「南アルプス前衛 鞍掛山」だ。
綺麗にまとまった文章は岳人に譲るとして、山こじのレポをどうぞ〜。

今回もETCの夜間割引を利用する為に、22時過ぎ圏央道に入り中央高速を須玉ICで降りる。
 5月に黒戸尾根に行った時と同じコースなので迷わず林道の入り口に着いた。
別荘地の間を抜け、だんだんと寂しい雰囲気になり、落石も所々に出てきた。
やがて、舗装が無くなり「ちょっとヤバイかな?」と思ったら、矢立石の登山口に到着。
今夜は、月が出ていないので辺りは真っ暗闇だ。 少しおっかない雰囲気だが、ドアのロックを
確認して、先ずは寝る事にする。
 ピピピッ! 携帯のアラームで起床。05:30  さすがに寒い!外気温は13℃だ。
下界では、まだ秋が始まったばかりで、体が慣れていない。Tシャツ一枚では寒いのでフリース
を着て歩き始める。06:14 

 

日向山まではハイキングコースなので歩き易い道だ。 5分程歩いた所で体も温まってきた。
ザックを降ろして、Tシャツ一枚になり小休止、高度計を忘れた事に気づく。 
「まっいいか!」今日は日帰りだし、黒戸尾根みたいに長丁場じゃないから。 
登山道の横には「10−1」、「10−2」と山頂までの距離を教えてくれる札が立っている。
さすがに、よく整備されている。 山屋を自負する身としては、ハイカーみたいで気恥ずかしい。
  
 

勾配がゆるくなり、笹原を歩いて行くと山の中に不似合いな電柱が立っている。
天気予報などで名前が出てくる、日向山の雨量計だ。07:17
それを過ぎると程なく三角点のある山頂だ。07:21

 


日向山(ひなたやま)                        <地>
 尾白川下流左岸にある山で、標高1660メートル。日向八丁尾根末端のピー
クである。竹宇の集落より尾白川林道を経て容易に登ることができる。頂上は
樹林に覆われた平凡な台地だが北はひらけて展望はよい。また、西肩にある雁
ケ原と呼ばれる薙の美しさは一見の価値がある。朝日がまず当たりはじめ、一
日中よくあたるので、この名がついたといわれている。文化11年(1814)の古文
書にすでに日向山という文字が見られる。日向山―雁ケ原―尾白川のコース
は、駒ヶ岳をめぐるすぐれたハイキングコースとして推薦できる。


全く展望が無いので、雁ケ原に向かう。 これも「すぐそこ」という感じで到着。



 


雁ケ原(がんがわら)                         <地>
 日向山の西肩にある白ザレの斜面一帯の名称。ここから北の日向沢に何本
かの風化した岩稜が落ち、緑の中に真っ白な花崗岩砂や岩塔が、あざやかに
浮かびあがって特異な景観を作っている。薙と呼ばれるものと同じ構成だが、こ
こは風化が尾根を越えている。ここから北の濁川流域に似たようなところがいく
つかある。雁ケ碩と呼ぶ人もいるが、雁ケ原のほうが通りがよい。地元の人が
見物のために登るので、日向山からここにかけての道はよく整備されている。日
向山―雁ケ原―ガンガの沢のコースが一般的である。山梨県では岩のことを
「ガン」と呼ぶところがある。岩を「ガン」と音読みにするといった習慣は各地に昔
からあったようで、柳田國男は『地名の研究』中で、「これらは僧侶が学問を独
占していた時代、あるいはそれより以前の、旧ハイカラの所為で、在来の日本
語を漢字のまま音読する。今も耐えない一種の趣味である」と述べている。たし
かに優越感をともなうしゃれた
言い方なのであろう。


 花崗岩の白ザレの砂浜でとっても綺麗だ。 展望も良く、八ヶ岳が良く見え、甲斐駒は目の
前にどっしりと居座っている。 食事と写真撮影の為、しばらく休憩を摂る。
 じっとしていると寒くなってくるので、長居は出来ないので腰を上げる。 
白砂を下ると分岐の標識だ。

 

 

帰り道は錦滝に下ろうと思うが、今は前方の岩を攀じ登るのがコースだ。

目の前の岩稜を越えると藪山だ。 ここからはハイキング道ではなく、茸取りの人達位しか入っ
て来ない領域だ。 笹原の踏跡を辿り、木の枝の赤テープを捜しながら奥へ奥へと踏み込んで
行く。 
マークは所々不明瞭な所もあるが、赤テープで立ち止まり、周囲をよ〜く観察すると、次のマー
クを見つける事ができる。 痩せ尾根を渡り、大岩を巻いたり、沢を越え尾根を乗り換え、よう
やくなだらかな尾根歩きになった。ここからが日向八丁尾根である。
と思ったら、前方に今日はじめて出会う登山者だ。 なにやら、足元に注意を配っている。

登山者 「茸ですか?」 

山こじ 「いいえ、普通の登山です。」 

登山者 「少し、遅かったかな〜。もう取りつくされた後だな〜。」

この人は茸目当ての登山らしい。 この山では昔からマツタケが取れるらしい。

先を急ぐ山こじは登山者と別れ、歩き易くなった尾根道を進む。 
原生林が鬱蒼とした中に所々人の通った証である、赤テープやマーキングを見つける。 
松濤明氏烏帽子岳からの逆コースだが日向八丁尾根を走破しているのだ。 
本当は烏帽子岳まで行きたいのだが、大岩山からの断崖をクライムダウンしなければならな
い。 今回はその断崖の確認の為の偵察山行きなのだ。
昔は烏帽子岳までよい道が続いていたらしいが、台風等で崩れてしまったのだろう。
山の技術のレベルアップを考え、ルートファインディングや懸垂下降を含むルートの予行練習
なのだ。

静かな大自然に、たった一人で放り出された気分だ。 踏み跡上にも容赦なく倒木が邪魔して
いたり、手付かずに近い、ハイカー等に荒らされていない山歩きを堪能できる。
岳人誌にも書かれていたが、明るい日向山から打って変わって深山の趣が感じられる。
やがて広い場所だなと思ったら、駒岩に到着。09:15
さりげなく、立木に場所を示す標札があるだけだ。

 

駒岩(こまいわ)                            <地>
 日向八丁尾根上にある標高2029メートルピーク一帯の名称で、南の支稜上
に鞍掛山(2037m)がある。頂上は樹林に覆われて展望はよくないが、東面は風
化した傾斜のゆるいスラブ帯があって明るくひらけている。このスラブの下部は
唐音沢右俣源流に垂直の岩壁となって切れ落ちている。駒岩とは本来、この岩
壁の名称であり、遠望すると、その形が馬の頭に似ていることから名付けられた
ものだという。しかし現在では、ピークまでを含んでこのように呼んでいる。頂上
から南へ鞍掛山まで明瞭な踏跡がある。南の鞍部付近は笹原で、近くに岩庇状
の岩小屋があり、唐音沢源流で水も得られる。この付近での貴重な泊場といえ
よう。


ここから南へ踏み跡を辿り倉掛山へ向かう。 ジグザグの急斜面を下る途中に大岩があり祠
が奉ってあった。 かなり古そうだった。 コルに下りるのは簡単だったが前方には今下りた位
の高さを登り返さなくてはならない。 これは結構ひどい道だった。 踏み跡が余計な方向まで
伸びていたり、立ち木に掴まりながら乗り越えたりとバラエティに富んでいる。 と、ここで上か
ら下りて来る人がいた。 
彼も茸目当ての登山者だった。道路脇で寝ている山こじの横、林道をさらに奥まで走って行
った軽トラの荷台にカブを載せていた人だった。
やがて、倉掛山に到着。09:47 
ここも標札があるだけで展望は利かない。 絶景の展望台は、ここから5〜6分先にある。

 

鞍掛山(くらかけやま)                        <地>
 尾白川中流左岸にある標高2037メートルのピーク。日向八丁尾根の主稜か
ら南にはずれた位置にあるので、登山者としてこの頂に立ったものはきわめて少
ない。西面の嫦娥岳とともに衛星峰中の秘峰といえよう。「くら」も「かけ」も通常は
岩壁を意味しており、この山も山頂の南はスラブ状の岩がむき出しになってい
る。山頂は不明瞭な二つのドームから成り、山麓からは鞍のようにも見える。駒
ケ岳という名称が馬の形からきているという説もあるので、この山も「くらをかけ
る」という意味かもしれない。山梨県では昔から、クラカケ松、クラカケ石が各地に
見られ、いずれも「鞍を掛ける」という意味なので、ここでも同じと考えてよかろう。
正徳2年(1712)の古文書(横手村と白須村との境界争い)に「くらかけ山」という
文字が見える。北にある日向八丁尾根上のピークを駒岩といい、このピークとの
暗部から頂上まで古い鉈目が入っている。山頂南側と鞍部に信仰登山の跡を示
す古い石碑が残っている。登山者としてはじめてこの山の頂に立ったのは、星忠
芳と辻本満丸で、明治44年(1911)7月、駒岩から往復し、山頂の様子を以下の
ように述べている。
「山頂は二つの隆起に分かれ鞍状を成す、南の峰(台ケ原より見て左)の南角、
岩(花岩)の露はれたる処に石祠あり、中なる女神の石像は、いとも柔和の顔色
なり、石祠の台石は、素人目には、花崗岩でなきやう思ひしが、何処からか荷ひ
揚げたるものならん、石祠のある処は駒ヶ岳、烏帽子岳等を仰ぎ、尾白の深谷を
下瞰して眺望あれども、其他は針葉樹の林にて甚だ眺望悪き山なり」(辻本)


何時の時代の祠だろうか、甲斐駒に向かって設置されている。 ここからは甲斐駒が真正面
に見えるのだが、今日はガスが上がってくるので、良い写真がなかなか撮れない。
大休止を摂りながらシャッターチャンスを待つが時間切れだ。 次回に期待して往路を戻る。 





やっぱり上り返しはキツイ!! 駒岩到着。10:52
ここで、この先の行程を考えた。 ガイドによると大岩山まで往路2時間、復路1.5時間となって
いる。 これは疲れなど考慮していないタイムだ。 今の時刻11時に4時間を足すと、再び駒岩
に戻って来た時には15時になっている。駒岩から分岐まで2時間、分岐から矢立石Pまで0.5
時間、車に戻って来れる時刻は17時を過ぎてしまう計算だ。
疲れも出てペースも落ちてくるだろうし、万が一この藪山で日没なんて事態になったら、ヘッドラ
ンプ位では、とても歩けない。山こじ、ここで撤退を決意する。(早っ!!)
大岩山の断崖の偵察や千段刈りは次回に期待しよう。 何時の日か、日向八丁を踏破して
烏帽子岳の頂に立ちたいものだ。
 
分岐から錦滝の方に下ったが、ハイキングコースとしてはお勧めできない荒れようだ。
錦滝からの林道もほとんどの場所で落石が起きており、通過する時も頭上に注意をして速や
かに通過しなければ危険である。


大岩山(おおいわやま)                         <地>
 本峰の北4キロメートルに位置する日向八丁尾根上のピークで、標高2319メ
ートル。
南面から西面にかけてブッシュの付いた高さ100メートルあまりの岩壁となって
いる。このの岩は古くは「ゼンコの大岩」と呼ばれ、山名はそこからきている。い
わゆる日向八丁尾根コースは、この岩壁の下を通ってピークを捲いているが、
倒木帯で迷いやすく、コース第一の難関となっている。頂上から尾根通しに南に
下るにはアプザイレンを必要とする。東の鞍部は小平地となり、黒川源流喜平
谷に水もあることから、かつてはこの尾根唯一つの幕営地として使用されてい
た。このピークに立つには、尾白川・鞍掛沢支流金山沢をつめて東の鞍部に出
るのがもっとも容易である

千段刈り(せんだんかり)                       <地>
 日向八丁尾根・駒岩(2020m)の西の鞍部付近をいう。笹原の平坦地で、濁川・
鞍掛沢のつめにあたる。この尾根に多くの地名が残されているのは、ここが猟師
や茸採りによってさかんに歩かれていたからで、かつては良い道が烏帽子岳ま
で続いていた。

日向八丁(ひなたはっちょう)                     <地>
 烏帽子岳より北東に伸び、大岩山南の鞍部に至る長さ2キロメートルほどの尾根の名称。数個の小ピークを持ったやせ尾根で稜線上は深いブッシュに覆われ、踏跡もさだかではない。中ノ川と鞍掛沢源流とを分けており、鞍掛沢側は高岩と呼ばれる岩壁帯となっている。
●地図 甲斐駒ケ岳



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