日向八丁尾根(ひなたはっちょうおね) <地>
尾白川の北を区切る尾根で、烏帽子岳、大岩山、駒岩を経て日向山に達
する。長さ約7キロメートル。日向八丁とは本来、烏帽子岳から大岩山南鞍 部までを指し、大岩山から東は日向尾根、あるいは大岩山尾根などとも呼 ばれていたが、最近では烏帽子岳からの尾根全体を指して、日向八丁尾根 と呼ぶ場合が多いようである。踏跡はあるが荒れていてわかりにくい場所も ある。とくに下降は迷いやすい。大岩山の東肩にこの尾根ただ一つの水場 があり幕営可能である。水場は鞍部より北の喜平谷に下るのだが、季節に よってはかなり遠くなる。 ●記録 *1911年7月18〜19日 星 忠芳、辻本満丸(『山岳』第6年第3号)
*1940年2月7〜11日 松濤 明(遺稿集『風雪のビバーク』登歩渓流
会・1950) ●地図 甲斐駒ケ岳、長坂上条
|
|
第一日目(予定歩行時間 8時間30分) 撮影+小休止含み 6時間07分 |
・・06:14・・・・・・・・・07:21〜07:43・・・・・・・ 09:15・・・・・・・・・・09:47〜10:26・・・・・・・・・・・・10:52・・・・・ 矢立石 (1:30) 日向山 (2:30) 駒岩 (0:40) 鞍掛山 (0:40) 駒岩 (2:00) ・・・・・・・・(1:07)・・・1659m・・(1:32)・・2029m・・(0:32)・・・2037m・・(0:26)・・・2029m・・(1:17) 12:09〜12:18・・・・・・12:53・・・・・・・・・・・13:31 分岐 (0:40) 錦滝 (0:30) 矢立石 ・・・・・・・・(0:35)・・・・・・・(0:38) |
日向山(ひなたやま) <地>
尾白川下流左岸にある山で、標高1660メートル。日向八丁尾根末端のピー
クである。竹宇の集落より尾白川林道を経て容易に登ることができる。頂上は 樹林に覆われた平凡な台地だが北はひらけて展望はよい。また、西肩にある雁 ケ原と呼ばれる薙の美しさは一見の価値がある。朝日がまず当たりはじめ、一 日中よくあたるので、この名がついたといわれている。文化11年(1814)の古文 書にすでに日向山という文字が見られる。日向山―雁ケ原―尾白川のコース は、駒ヶ岳をめぐるすぐれたハイキングコースとして推薦できる。 |
雁ケ原(がんがわら) <地>
日向山の西肩にある白ザレの斜面一帯の名称。ここから北の日向沢に何本
かの風化した岩稜が落ち、緑の中に真っ白な花崗岩砂や岩塔が、あざやかに 浮かびあがって特異な景観を作っている。薙と呼ばれるものと同じ構成だが、こ こは風化が尾根を越えている。ここから北の濁川流域に似たようなところがいく つかある。雁ケ碩と呼ぶ人もいるが、雁ケ原のほうが通りがよい。地元の人が 見物のために登るので、日向山からここにかけての道はよく整備されている。日 向山―雁ケ原―ガンガの沢のコースが一般的である。山梨県では岩のことを 「ガン」と呼ぶところがある。岩を「ガン」と音読みにするといった習慣は各地に昔 からあったようで、柳田國男は『地名の研究』中で、「これらは僧侶が学問を独 占していた時代、あるいはそれより以前の、旧ハイカラの所為で、在来の日本 語を漢字のまま音読する。今も耐えない一種の趣味である」と述べている。たし かに優越感をともなうしゃれた 言い方なのであろう。
|
駒岩(こまいわ) <地>
に鞍掛山(2037m)がある。頂上は樹林に覆われて展望はよくないが、東面は風 化した傾斜のゆるいスラブ帯があって明るくひらけている。このスラブの下部は 唐音沢右俣源流に垂直の岩壁となって切れ落ちている。駒岩とは本来、この岩 壁の名称であり、遠望すると、その形が馬の頭に似ていることから名付けられた ものだという。しかし現在では、ピークまでを含んでこのように呼んでいる。頂上 から南へ鞍掛山まで明瞭な踏跡がある。南の鞍部付近は笹原で、近くに岩庇状 の岩小屋があり、唐音沢源流で水も得られる。この付近での貴重な泊場といえ
よう。 |
鞍掛山(くらかけやま) <地>
尾白川中流左岸にある標高2037メートルのピーク。日向八丁尾根の主稜か
ら南にはずれた位置にあるので、登山者としてこの頂に立ったものはきわめて少 ない。西面の嫦娥岳とともに衛星峰中の秘峰といえよう。「くら」も「かけ」も通常は 岩壁を意味しており、この山も山頂の南はスラブ状の岩がむき出しになってい る。山頂は不明瞭な二つのドームから成り、山麓からは鞍のようにも見える。駒 ケ岳という名称が馬の形からきているという説もあるので、この山も「くらをかけ る」という意味かもしれない。山梨県では昔から、クラカケ松、クラカケ石が各地に 見られ、いずれも「鞍を掛ける」という意味なので、ここでも同じと考えてよかろう。 正徳2年(1712)の古文書(横手村と白須村との境界争い)に「くらかけ山」という 文字が見える。北にある日向八丁尾根上のピークを駒岩といい、このピークとの 暗部から頂上まで古い鉈目が入っている。山頂南側と鞍部に信仰登山の跡を示 す古い石碑が残っている。登山者としてはじめてこの山の頂に立ったのは、星忠 芳と辻本満丸で、明治44年(1911)7月、駒岩から往復し、山頂の様子を以下の ように述べている。 「山頂は二つの隆起に分かれ鞍状を成す、南の峰(台ケ原より見て左)の南角、
岩(花岩)の露はれたる処に石祠あり、中なる女神の石像は、いとも柔和の顔色 なり、石祠の台石は、素人目には、花崗岩でなきやう思ひしが、何処からか荷ひ 揚げたるものならん、石祠のある処は駒ヶ岳、烏帽子岳等を仰ぎ、尾白の深谷を 下瞰して眺望あれども、其他は針葉樹の林にて甚だ眺望悪き山なり」(辻本) |
大岩山(おおいわやま) <地>
本峰の北4キロメートルに位置する日向八丁尾根上のピークで、標高2319メ
ートル。 南面から西面にかけてブッシュの付いた高さ100メートルあまりの岩壁となって
いる。このの岩は古くは「ゼンコの大岩」と呼ばれ、山名はそこからきている。い わゆる日向八丁尾根コースは、この岩壁の下を通ってピークを捲いているが、 倒木帯で迷いやすく、コース第一の難関となっている。頂上から尾根通しに南に 下るにはアプザイレンを必要とする。東の鞍部は小平地となり、黒川源流喜平 谷に水もあることから、かつてはこの尾根唯一つの幕営地として使用されてい た。このピークに立つには、尾白川・鞍掛沢支流金山沢をつめて東の鞍部に出 るのがもっとも容易である |
千段刈り(せんだんかり) <地>
日向八丁尾根・駒岩(2020m)の西の鞍部付近をいう。笹原の平坦地で、濁川・
鞍掛沢のつめにあたる。この尾根に多くの地名が残されているのは、ここが猟師 や茸採りによってさかんに歩かれていたからで、かつては良い道が烏帽子岳ま で続いていた。 |
日向八丁(ひなたはっちょう) <地>
烏帽子岳より北東に伸び、大岩山南の鞍部に至る長さ2キロメートルほどの尾根の名称。数個の小ピークを持ったやせ尾根で稜線上は深いブッシュに覆われ、踏跡もさだかではない。中ノ川と鞍掛沢源流とを分けており、鞍掛沢側は高岩と呼ばれる岩壁帯となっている。
●地図 甲斐駒ケ岳
|