2008. 5. 7〜8
山こじ通信vol.27
リベンジ甲斐駒
            (黒戸尾根から)


念願の甲斐駒頂上

山行き行程(1泊2日 2008、5、7〜8)
第一日目(予定歩行時間 7時間) 撮影+小休止含み 8時間45分

・・・・・・・06:10・・・・・・・・・・・・・08:30〜08:45・・・・・11:30〜11:45・・・・・13:30〜13:45・・・・・・・・15:40
竹宇駒ヶ岳神社 (2:30) 笹ノ平 (2:00) 刃利天狗 (1:20) 5合目 (1:10) 七丈小屋(泊)
・・・・775m・・・・・・・(2:20)・・1530m・・(2:45)・・2049m・・・(1:45)・・2180m・・(1:55)・・2360m
第二日目(予定歩行時間 8時間20分) 撮影+小休止含み 9時間40分

・・・04:20・・・・・・・・・・・・・・・・05:30・・・・・・・・・・・・・・・・・・・06:50〜07:10・・・・・・・・・・・・08:10・・・・08:40
七丈小屋  (1:00) 八合目御来迎場  (1:30) 甲斐駒頂上 (0:50) 八合目 (0:40)
・・2360m・・・(1:10)・・・・・2570m・・・・・・・・(1:20)・・・2967m・・・・・(1:00)・・2570m・・(0:30)

08:40〜09:45・・・・・10:50〜11:05・・・・12:45〜13:15・・・・・・・14:30〜14:45・・・・・・・・・16:25
七丈小屋 (0:50) 5合目 (0:50) 刃利天狗 (1:10) 笹ノ平 (1:30) 竹宇駒ヶ岳神社
・・2360m・・(1:05)・・2180m・・(1:40)・・2049m・・・(1:15)・・1530m・・(1:40)・・・・775m



今、筋肉痛で両足がロボット状態だ。 今回の山行きで撮ってきた写真を見ながら、それぞれ
の場面を想い浮かべて、つい昨日の事なのにずいぶんと時間が経ってしまった気がする。
これでやっと、この黒戸尾根から甲斐駒を目指した先輩方と同じ次元で(雪の量は違う
が・・・)話ができるようになった。(と、本人は思っている・・・)
 リベンジというのはツライ! 2回も撤退は出来ないし、「かどばん大関」みたいな状態だ。 
今回は、今までの登山人生(大した経験は無いが・・・)の集大成みたいな山行きだった。

  
                      
5月6日 
前回と同様に前夜発で高速を飛ばし、尾白渓谷駐車場にて仮眠。
5月7日
駐車場を出発し神社の横を通り抜け吊り橋を渡る。06:10
ここからは甲斐駒の領域!と言う感じだ。 今度、この橋を戻ってくる時は満足した顔で
あろうか? 
尾白川渓谷道と別れ、道は急登の十二曲りになる。 久々のザックの重さに体が馴染んでい
ない。 足腰の状態も久々の登山で面食らっているみたいだ。
笹ノ平の分岐到着。08:30 久々にしてはまずまずのペースだ。
黒戸尾根のコースは笹ノ平までは「里山」の雰囲気で、八丁登り・刃渡りを控えた刃利天狗
までは「ハイキング」的な雰囲気でしっかりした足元とリュックを背負って来てください、みたいな
感じだ。

 
 
先が長いので、あせらずにゆっくりと歩いて行く。
しかし、ザックの重さが響いて八丁登りが体に堪える! 
北側の昨秋に登った日向山(1659m)を見ていると高度を稼いで行くのが分かる。 刃渡り
過ぎ、刃利天狗に到着。11:30
今年は雪が多くて、去年は見る事の無かった1600m付近で残雪があり、1800m付近からは雪
の上を歩く状態だ。
刃利天狗からはアイゼンを着けた。 黒戸山の巻き道は北側なので去年同様、雪がある筈
だ。 やはり雪は多かったが「腐れ雪」状態は同じだった。
雪を踏み抜きながら5合目小屋に到着。13:30

 

 
5合目小屋は解体(2007年夏)されて無くなっていて、去年までは小屋の屋根が踏ん張って留
めていた雪がだらしなく裾野を拡げていた。
屏風小屋の中山國重氏五合目小屋の古屋義成氏を遥かに偲ぶしかなく、甲斐駒の歴史
のページが一つ増えてしまった。

○5合目小屋
小屋の歴史は古く。100年以上も前にさかのぼる。文政年間(1818~1830)に甲斐駒ヶ岳が開山されたあと、駒ヶ岳教会の信仰登山は明治時代に入って全盛をきわめ、1884年に5合目に小屋掛けが作られた。木の皮で作られた掘っ建小屋には修験者が寝泊りしたという。
その後、手が加えられ、1946年に新築、さらに改築されて現在の小屋(解体される前の)になった。

○古屋義成
深山短大初代校長こと古屋義成氏は、12歳の時から小屋の仕事を手伝い、以後60年以上ものあいだ小屋を守りつづけてきた。植物に詳しい人物であったらしい。
小屋の建っていた裏側の五丈石にレリーフがある。
山と渓谷1991年8月号より


屏風岩の横から鎖とはしごの続く悪場が始まる。
今回は行きも帰りも「四つん這い」で抜けた。 
やはりこのスタイルのほうが安全だと思う。(かっこうは悪いが・・・)
桟橋を抜け、不動岩の岩角をえぐったステップの鎖場をやり過ごす。 アイゼンの前爪が邪魔
をして登り難い。



去年同様、小屋の手前でズボズボと雪に潜りながら、ようやく七丈小屋に到着。15:40
今日はここまで誰にも会わず、貸しきり状態だった。

 

去年は登山者が2名(山こじと1人)で二人ともテント泊だったから小屋のご主人は一人ぼっち
だった筈なので、空いていて快適な山小屋なら「泊まったほうがお徳♪」と判断。
本当は小屋のご主人から日向八丁尾根大岩山の情報も聞きたかったのだ。
(でも本当のホントは、小屋が見えてからも腐れ雪で脚を取られ、テントを設営する気力が萎
えてしまった。それに明朝も早いし・・・以上言い訳です)
             よっ、へたれ野郎!!
宿泊客が一人なのに世話を焼かせるのは申し訳ないので素泊まりにした。
ビールを片手に夕食を自炊(と、言っても素ラーメンとアルファ米だが・・・)しながら、いろいろ
な話が続き、気がつくと9時だ。 明日に備えてシュラフにもぐる。テントと違ってストーブを一晩
中焚いてくれているので暖かい。極楽極楽。
ちなみに、日向山〜大岩山と縦走する場合は懸垂した方がより安全だが、下りて下りられな
い事は無いそうだ。甲斐駒・鋸岳から逆コースの場合は下から見上げれば何処を登れば良
いか観察すれば分かるらしい。(眺めるのではなく、観察が重要!)
崖の状態は上から見下ろすよりも、下から見上げる方がよく見えるらしい。
以上あくまでバリエーションコースです。念の為!

5月8日
朝、3時の目覚ましで起きる。一人だから誰にも迷惑を掛けていない。
まだ、外は真っ暗だ。それに思ったより暖かい。 雪は締まっているだろうか?
サブザックの荷物(念の為にザイル等も入っている)を確認して出発。04:30
去年の最高到達点(?)七丈のテン場を抜ける。
いろいろな踏み跡(大穴)があるが、なんとかなりそうだと思ったとたんに潜る。
「くじ引き」だか「踏み絵」をしているみたいだ。(3割の確立でスカ?)
去年小屋のご主人の言ったように、ツルツルピカピカだったら何処までも滑落してしまうだろ
うと思われる斜面が、今年はズボズボ状態だ。



八合目御来迎場に到着。05:30
石の鳥居は倒壊しているとガイド本(大正3年建立〜2003年の春頃倒壊したらしい)に書い
てあるが、左側の柱は途中から折れていた。
この石材は現場調達だそうだ。 今では復旧しようとしても出来ない相談だ。
(甲斐駒ファンの皆でカンパでもしますかネ。いくら掛かるのやら見当もつかない。)

 

ここからは景色はいいのだが、雪の状態は良くない! チムニーみたいな岩の間の先の大岩
が最大の難所だった。 アイゼンの疵がずいぶんと上のほうにあるので、皆も通過している筈
なのだが、手掛かり足掛かりが無いので攀じる事が出来ない!
この時期は雪が一日で20pも痩せていくそうだ。
 困って周囲を観察すると、右に巻いたような踏み跡があるので、大岩の基部に沿って回って
行くと・・・。 ズボッ!!(ゲッ!!) 腰まで潜る。
さらに・・ズボッ!!(わぁ〜〜△▼◇◆☆#$★ж!!)今度は胸の高さまで潜る。
背後は45°位の雪壁! 足元は底が分からない。もう一度ズボッときたら頭まで埋まるかも知
れないし、そのまま腐れ雪のトンネルで滑り落ちるかもしれない。
 山こじピィ〜〜ンチ!!


パニック状態の最中、左上を見るとハイマツの枝の先っぽが・・・。
思いっきり背伸び+手伸ばし(?)をして、やっと掴む事が出来た。(溺れる者は藁をも掴む)
お釈迦様の蜘蛛の糸をつかむカンダタみたいな心境だ。 
左手でハイマツの先っぽから、もう少し太い枝、さらにもう少し太い枝と手繰り寄せ、もう良いだ
ろうと頃合を診て、失敗は許されない一世一代の大勝負!! 
右手は拳法の鶴の首の構え(?)の如く固めて、「エイやぁ」とばかりに雪面に突き刺し、同時
に左手はハイマツを頼りに体を引き上げる!! 
上半身が雪面に出た!助かった、脱出成功だ!!

雪面に体を投げ出したと同時に四つん這いになって、野良猫が逃げる様に稜線の踏み跡まで
逃げ帰った。    ふぅ〜、命拾いしたぁ〜。 
雪山(春山?)の怖さを垣間見るようだ。
忍者の如くザイルに鈎を着けたのを持ち歩くしかない(?)
この先からは、岩場や鎖場が続き慎重にクリアして、やがて頂上の祠が見えてきた。
頂上の祠には開山威力不動尊が祀られている。祠の立つ頂上に到着。06:50

 

 



頂上からは、鋸岳や登ってきた黒戸尾根方面の最高の景色を楽しみ大満足出来た。
しかぁ〜し、これで許してくれるような甲斐駒では無かった! 

 

帰りのチムニーの通過のときにアイゼンが効かず滑落! 
僅か2〜3mで止まったがゾッとした。 先ほどの登りで死ぬ思いをさせられた大岩は稜線沿い
に歩いてきたので2m位を飛び降りて通過した。
 8合目を過ぎ、もう少しで七丈のテン場という所で、今回始めての登山者に出会う。08:30
おかしいな? 宿泊客は山こじ一人の筈だったが・・・。何処か適当な場所でテン泊したのかと
思ったら、さにあらず。
今日の夜中の2時に竹宇の駐車場を出発してから歩き詰めで(もう6時間以上だよ)、頂上を
往復して日帰りの予定だと言う。 天下の黒戸尾根で、行程の半分以上が雪道なのに日帰り
登山をやってしまうという、物凄い体力の持ち主だ。


CR−Vの山本氏、貴兄には「スーパータフボーイ」の称号与えます。
                               (頑丈な水筒と同じ名前?) 
七丈小屋に帰着。08:40
ザックを整理し、小屋のご主人と暫らく談笑してから出発。09:45
後ろ姿を見守られているのを感じつつ、小屋からすぐの悪場を、足元を選び枝を避けながら進
み、死角になった頃・・・、突然滑落!!
踏ん張った右の谷側の足元が崩れ、左側一本に荷重が集中した為、左の足元も崩れてしまっ
たのが原因だ。 体の左側面と左手でブレーキが掛かり1m位で止ったが、まったく油断もスキ
のあった物じゃない。 後ほど気づく事になるが、この時左腰にぶら下げていた高度計と温度
計を紛失してしまった。 まだ何かあるかも・・・と慎重に悪場をやり過ごし、5合目到着10:50
あとは黒戸山の巻き道の「腐れ雪」だ。 

七丈小屋のご主人が「プラ製のわかん」を見て
「最近はこんな物があるんだぁ〜。 でも強度的にもつかなぁ〜」と言っていた代物
だ。
「だから、往路で壊れるとゴミを持って行動しなきゃならないから、帰りの黒戸
山の巻き道で試してみますよ。」
始めは登りでなので、アイゼンのままで平坦になるまで我慢して歩く。
でも、昼近い時間なので何回も脚を取られ、遂に「プラ製わかん」にチェンジ。
最初は割れるのが怖かったが、なかなかイケルではないか。 踏み跡をはずしても30cm位の
沈みで持ち堪える。 調子に乗ってサクサク刃利天狗に向かうが、好事魔多し。
平坦から下り方向になり刃利天狗が近い事を知らせる頃・・・。
ズボッ!! 左足が腐れ雪を踏み抜いて締まった。
アイゼンの時とは違い、わかんだと引っ掛かって抜くに抜けない。手で雪を掘ったり、右足で蹴
飛ばしたりして、5分間位、雪と格闘して、やっと脱出に成功した。
そんなこんなで刃利天狗到着。12:45

 

ここで、超ベテランの趣の御仁と出会う。地元横手の人で自宅からここまで4時間歩き。
なんでも、黒戸山の三角点をタッチするのが、目的だとか。 装備も胸に薮こき用の鋸や高度
計など「道無き道」を行く為に万端だ。雪の状態を伝えると、ベテラン氏はアイゼンとわかんの
W装備で尾根歩きの準備を始めた。用意周到とはこの事だ。
 
先を辞して、だらだらと長い八丁登りの下り(?)が始まった。 去年もこの辺りで足が悲鳴を
上げ始めたが今回も左右の爪先と膝痛が始まった。 考えてみれば、朝の3時から行動を開
始してすでに10時間が経とうとしている。 おまけに使いもしなかったテントを含め、行きと重さ
の変らないザックだ。
足をかばいながら笹ノ平に到着。14:30
去年もそうだったが、笹ノ平を過ぎ、渓谷の音が聞こえるようになった十二曲りからが長く、な
かなか吊り橋に辿り着かない。
激痛の両足を引き摺り、フラフラの汗まみれになり、ようやく渓谷が見えて来た。
吊り橋を渡る時、渓谷を吹き抜ける風が心地良かった。尾白渓谷駐車場に到着。16:25






追伸、2007年7月4日に登頂された「どん足会」の皆さん、山頂に自分勝手なマーキングは止め
てください。 あなた方の「くだらない札」も空き缶・ゴミくずと同じです。
以前に両神山でも発見しましたが、暴走族がスプレーで落書きしている、「○○会参上」と何
も変らない! もし、このページを見かけるとか改心したのなら、あなた方の行き先は札を投棄
した山への清掃登山です。 尚、「どん足会」をご存知の方は警告をお願いします。




TOPBACK