2011.7.29〜30
山こじ通信Vol.37 立山主峰・・・だけ?・・・だけっ!
雲の中の雄山神社
エ〜、今回は超弩級の戦艦大和ならぬ大雨にたたられ、剱岳北方稜線というデッカイ目標に近づく事すら出来ず、あえなく敗退となりました。
それではHPに何も書く事が出来ないので、悪天をついて立山の主峰だけは何とか歩いてきました。
○立山主峰・・・俗にいう立山というピークは存在しない。 雄山・大汝山・富士ノ折立の三山を総称して「立山主峰」と呼ぶ。
雄山には、標高2992mの一等三角点があるが、最高点3003mは鳥居をくぐった先の雄山神社峰本社である。 ここへ行くには参拝料が必要となる。
以前にも書いたが、三角点は頂上の目印ではなく測量の為の基準点であり、記載されているのはその基準点の標高である。
ハイキング 地図、登山地図と謳われているのなら頂上の標高を記載しているかもしれないが、地形図ではあくまで三角点の標高を記しているので、地形図を登山に使うのは勝手だが、三角点より高い大岩が剱岳にあったからと投書するのはお門違いだと思う。
それでも対応した国土地理院はエライ!?
○立山三山・・・立山主峰に加え浄土山・別山の三山を意味する。
天気予報は全く良い事を報じていないが、そこはやっと貰えたトラの子の休暇である。
部屋で天気予報を見ながら・・・
山こじ 「ん〜〜〜行くっきゃない!」
新妻ちゃん 「でも大雨だってよ」 (心なしか・・・いや確信犯的に目の奥が笑っている)
♪あっめっ〜あっめぇ〜、あめおとぅこぅ〜〜♪
山こじ 「でも・・・、行くっきゃない!!」
という訳で、帰宅後すぐに「飯っ!」 「風呂っ!」と速攻で済ませ、その後に、ぐずぐずと装備をチェックしていると、
「仮眠するんだろっ、さっさと寝ろっ!」とやられてしまった。
仮眠を摂ると普通に仕事の疲れがでてしまい、とっても体がダルイ〜。
でも自分で決めた日程なので、気合を入れてレッツゴー。0:20さすがに金曜日の深夜だ。 休日の一日前だけあって、車は少ない。快調に飛ばし、ノンストップで豊科に到着。 そのまま扇沢へ直行し04:15到着。
扇沢駅 雨雲が駅舎まで降りてきている 関電トロリーバス
一昨年、剱岳の長次郎谷からの登山の時に利用した、有料駐車場は早すぎて人の気配が無い。一段下の市営駐車場がガラ空きなので、入口を見つけ駐車することにした。 今回は無料で停めることが出来た。 有料駐車場だと一泊1000円なのだ。(ラッキ−♪)
ヤレヤレ、やっと運転は終了だぁ〜。 車内で買い置きのフィレオフィッシュのハンバーガーを朝食にいただく。
冷めていても、マアマアいける。さて腹は落ち着いたのだが、休憩をしていても落ち着かないし、些細な事が気になって、いつもグズグズしてしまうので、夜空が明るさを取り戻した頃からゴソゴソと準備を始める。 そうしたら、明るさと共に雨雲も起きてしまったのか、雨が降り出してしまった。
ここ扇沢に来ると雨男の本領発揮となってしまうのか?(たぶん当たっているよ!)
今日の始発のトロリーバスは07:30なのだが、やることも無いので30分以上前から切符の列に加わる。往復割引で8800円の日本一高額な路線だ。
山こじのすぐ後ろには20歳前半の二人組が並んでおり、果敢にも剱岳にアタックするという、千葉と神奈川から来た、田辺君と田原君だ。(字間違っていない?)
この悪天の中、剣沢でテン泊だという。(何と物好きな奴がここにもいたっ!)
彼らは別山尾根から、山こじは北方稜線からとルートは違えども、初日のテン場は同じだ。不安定な天候を心配してはいるが、期待に満ちた顔をしている。
しかし、我々のそんな甘い考えが黒部ダムの堰堤歩きで吹っ飛び、室堂に到着した時点では、超ウルトラ級の土砂振りの雨だった。
我々を含め、50人位の登山者全員がたじろいでしまった。(唖然・・・)
2度目の黒部ダムでも視界は望めなかった 土砂振りの室堂ターミナル屋上
30分位躊躇していたが一人が意を決して雨の中出発していくと、渋々だとは思うが、少しづつ人の動きが出てきた。
我々も何時までも躊躇していられない、ずぶ濡れ覚悟で出発となった。09:14 (♪玄関開けたら1秒でずぶ濡れ!!♪)
彼らは雷鳥沢から別山乗越を経て剣沢へ、山こじは立山縦走の予定なので、とりあえず一ノ腰へと道が分かれ、互いの健闘を祈り歩き始める。
室堂はハイカーと呼ばれる軽登山者(?)と観光客、
あるいはどっぷりと山に取り憑かれた山ヤとの人間交差点である。
彼らと共に歩いていると場違いの感があるが、今日は土砂振りの雨の中、ハイカーや観光客と同じく石畳の道を進み、先ずは旧室堂山荘に立ち寄る。
立山室堂 雪渓を渡りながら一ノ腰へ
○立山室堂・・・現存する建物は北室が1726(享保11)年、南室が1933(昭和8)年の建築だ。。
その歴史は遠く、江戸時代以前にも起源が求められる。 歴史に残るのは1617(元和3)年、加賀藩主・前田利長夫人の玉泉院の勧進により再興された時以来だという。国の重要文化財に指定されている日本最古の山小屋である。
大雨の中、長居は無用と一ノ腰へと進む。 別山の北面に残る小さな雪渓を4〜5回渡り、勾配が苦しくなった頃、石に囲まれた祓堂を通過。
○祓堂・・・この御堂は雄山神社の神域の入口.である。
かつての登拝者は、ここでお祓いを受け、近くの祓戸川で口や手を清め、さらに山上の土を持ち帰らないよう、ワラジを脱いで、足袋だけで雄山を目指したという。
山こじも一礼だけはして先に進む。
久しぶりの登山に加え、20sに近いザック、大雨と大汗のハーモニー(?)で一ノ腰山荘(2700m)に着いた時にはびしょ濡れだった。10:20
雲の中に建つ一ノ腰山荘 標高2700m 寒いっ!
たまらず、山荘の中に飛び込み休憩をとる。登って来た者全員が悪天に耐え、やっと辿り着いた休憩所なので、山荘の中は蜂の巣を突いた様な大混雑だ。
山こじもホットココア(¥300)を注文し一息入れる。 しかし、雨脚は一向に衰えない。 今日も明日もダメだろうかと思案しつつ、長居をしてしまった。
しかし、思案しているのか、ただ躊躇しているのか分からなくなってしまい、30分程経った頃、
「ええいっ、ままよ!」と、とりあえず雄山を目指して出発!10:48
視界20m〜30m位か? 物凄い横殴りの雨風!!
・・・がっ。 あえなくリタイア! (その間たったの2分! 登高20m!!)
今回は一昨年の剱岳登山の時のレインハットを止め、新調したミレーのレインハットなのだが、乗越を過ぎてからの稜線では役立たずで、帽子は吹っ飛びそうだし、首元から雨が吹き込んでくるしで、物凄く寒い!ストックを持つ手がかじかむ。
水が浸入したゴアのレイン手袋を外し素手になったのが失敗だった。 たとえ手袋の中が水浸しでも素手でいるよりは暖かいのだ。(ウェットスーツの原理です)
○大量遭難事故・・・平成元年10月9日に真砂岳にて起きた事故。
立山一帯はみぞれから吹雪に変わり、多くの登山者が引き返す中、その中年パーティーは縦走路に入った。 吹きさらしの稜線で、一人また一人と倒れ、ついに10人中8人が凍死した。
今までの頑張りの汗と大雨でさすがのゴアテックスと言えども、合羽の中はびしょ濡れだ。
お昼前だが山荘に宿泊を申し込む。(情けない・・・とっても恥ずかし〜〜ぃ!)
部屋をあてがわれ、濡れたシャツを着替え、ダウンを羽織って、やっと人心地がついた。
乾燥室に濡れた衣類を持って行くと、自分以外の干し物は無かった。(やったぜ!一番乗りだぁ〜・・・とほほ)
素泊まりなので、食堂での自炊の許可は貰っていたが、やっぱりかっこ悪い。
まだ持っていたフィレオフィッシュのハンバーガーで夕食とし、持ってきたつまみとウイスキー、山荘で買ったビール(¥500×2本)で寂しく一人宴会で眠った。
話し相手のいない一人部屋(6畳間)で雑音だらけのラジオでしか気が紛れない夜だからさっさと眠ってしまった。
屋根の下は天国だ! スナック一ノ腰のつまみ
2階の8号室 綺麗な山荘内部
翌朝は4時には目が覚めた。(そりゃそうだ!20時には寝ていたのだから)
外は相変わらずの土砂振りが続いており、いよいよ下山するしかないのか?
とりあえず最後のフィレオフィシュのハンバーガーを食して準備を始める。(いったい何個持っているんだっ!)
正解は4個で〜す♪ 大好きなんだも〜ん。 でもさすがに飽きてきた、当分の間は食べたくない。
山荘の宿泊者が朝食を食べ終わった頃、混雑は嫌なので、意を決して雨の中の人・・・(違う!)大雨の中の人になり、一歩一歩ざれた道を登り始める。06:47
視界は20m程しかない。 辺り一面真っ白だ。 振り向くと、すでに一ノ腰山荘は見えなくなっている。
タイツまで着込んでの出発 視界は昨日よりはマシ?
雄山の登りは一ノ腰、二、三、四、五ノ腰と信仰登山隆盛期に阿弥陀如来を祭った小さな祠が建てられている。三ノ腰の手前で御山谷側に昭和天皇の御製歌碑があるらしいが、この状況では興味など涌き様がない。
三ノ腰
立休みを繰リ返し、やっと頂上の神社が見えてきた。 最後の踏ん張りで遂に到着。07:46
本来ならば一等三角点がある位だから360°の展望が開けているはずなのだが、うっすらと峰本社が確認出来るだけだ。
とりあえず社務所に飛び込み、ホットココアを注文し一息入れる。次のお祓いの時間が11:00と書いてあるが、今日は悪天の為に中止だそうだ。
登山のお守りを購入した後、せめて立山主峰だけは完登したいので、ザックをデポし、カメラだけをポケットに入れ、身軽になって出発。08:07
雄山神社由緒 峰本社は見えない
山頂分岐 大汝山頂上3015m
さすがに空身だと足がスイスイと動く。 山岳トレイルみたいに小走りで通り抜け、大汝山直下に到着。08:22
大汝山休憩所 左の影が田辺君と田原君だった
前方の霧の中から登山者が現れた。道を譲るべく、脇に寄って待っていると、見慣れた合羽の二人組、田辺君と田原君だ。
昨日の大雨の中別れ、我々は槍沢でテン泊の予定だったのだ。 山こじはさっさと一ノ腰で行動を断念して、山荘に逃げ込んだのだが、彼らはどうしているのかと心配していた。 話を聞くと、ガッツで雷鳥沢を登り、別山乗越を越え、予定通り槍沢に辿り着き、幕営していたそうだ。
しかし、雨の度合いがひどくなり撤収を決断し、別山乗越まで登り返し、剣御膳小屋で泊まったという。 賢明な判断だと思う。
富士の折立頂上 この頃が一番の悪天
再びダッシュで駆け巡り、富士の折立に到着。08:39
視界などまったく無いなので、3000mの稜線漫歩とはならず、残念だ。
本来ならば剱岳や後立山連峰・黒部ダム・室堂と見渡せるはずなのだが・・・。(雨男の宿命か?)
空身でスイスイと再び雄山に戻り、田辺君と田原君に再会。09:02
雄山神社で再会 若さいっぱいの田辺君と田原君
山こじの後から出発して来たと思われる、登山者で社務所付近は大勢の登山者で溢れていた。 ここでも長居は無用と、団体さん達が行動を始める前に出発。09:36
天気が少し良くなってきたのか、視界が50m位になってきた。 下からは雄山を目指して息を切らして登ってくる登山者が蟻の行列のごとく繋がっている。
道を譲る為にたびたび停滞を強いられるが、悪天の中でも元気な中高年パワーには頭が下がる思いだ。
山こじもその中の一人だが・・・。(鏡を見ろ!鏡をっ!)大勢の人が集まる一ノ腰に戻ってきた。10:18
一ノ腰を目指し雨の中でも頑張るハイカー達 高度が下がるに連れ視界が良くなってきた
混雑しているので、そのまま室堂へむかう。 昨日見学しそこなった、玉殿の岩屋に立寄る事にした。
立山室堂のすぐ脇から道があり、雪渓を一つ越え坂を回って降りた所にそれはあった。
玉殿岩屋(手前) 玉殿岩屋(奥)
○玉殿岩屋・・・白鷹と熊に導かれた佐伯有頼が、この地で阿弥陀如来と不動明王から立山開山ご神託を受けたとされる。
さすがに「剱岳−点の記」の行者が籠れるような、奥行きは無かったが、立山開山の由来探訪の締めくくりには相応しい。
雨に煙るターミナルに11:21に到着。
11:45発のトロリーバスで室堂を後にした。