2013.7,20~24
山こじ通信 vol.41 奥黒部訪問
          (薬師岳・高天原)


   
      五色河原から薬師岳、赤牛岳までが一望。  遠くに笠ヶ岳・槍ヶ岳も見える。

 山行行程(4泊5日) 2013.7.20~24
 第一日目 予定歩行時間 5時間05分 (撮影+小休止5時間14分)

・ 09:00・・・・・・・・・10:02・・・・・・・・10:30・・・・・・・・・12:11・・・・・・・・・13:07・・・・・・・・・・14:13
・ 室堂 (50) 室堂山 (30) 分岐 (2:00) 獅子岳 (50) ザラ峠 (55) 五色河原
・2450m(1:02) 2670m  (28)     (1:41) 2714m  (57) 2348m (1:06) 2485m
 第二日目 予定歩行時間11時間30分 (撮影+小休止11時間40分)

・ 04:32・・・・・・・・・・05:03・・・・・・・・・・05:49・・・・・・・・・・・・・・・06:34・・・・・・・・・・・・07:51・・・・・・・・・08:33
・ 五色河原 (50) 鳶山 (50) 越中沢乗越 (1:10) 越中沢岳 (1:40) スゴの頭 (40) スゴ乗越
・ 2485m   (31) 2616m (46)          (45)   2591m   (1:17) 2431m   (42)

・ 08:33・・・・・・・・09:17~10:05・・・・・・・・・・・11:33・・・・・・・・・・13:32・・・・・・・・・・・14:43・・・・・・・・・15:30
・ スゴ乗越 (40) スゴ乗越小屋 (1:20) 間山 (1:40) 北薬師岳 (40) 薬師岳 (40) 薬師岳山荘
・        (44)  2270m     (1:28) 2585m (1:59)  2900m  (1:11) 2926m  (47)  2695m  
・ 
・ 16:30・・・・・・・・・・・・・・・・・・18:00
・ 薬師岳山荘 (1:20) 薬師峠
・   2695m    (1:30)  2294m
  第三日目 予定歩行時間7時間35分 (撮影+小休止6時間26分)

・ 06:03・・・・・・・・・・・06:21・・・・・・・・・・・・・・07:41・・・・・・・・・・・08:24~09:00・・・・・・・・・09:52
・ 薬師峠 (20) 太郎平小屋 (1:15) 左俣出合 (1:00) 薬師沢小屋 (1:00) A沢出合 
・ 2294m  (18)  2330m    (1:20)         (43)    1900m     (52)

・ 09:52・・・・・・・・・・・・・・12:20・・・・・・・・・・・・13:05
・ A沢出合 (3:00) 高天原峠 (1:00) 高天原山荘
・        (2:28)         (45)   2285m
 第四日目 予定歩行時間10時間50分 (撮影+小休止10時間43分)

・ 03:45・・・・・・・・・・・・・・・07:38・・・・・・・・・・・・10:03・・・・・・・・・・13:09・・・・・・・・・・・14:28
・ 高天原山荘 (3:50) 温泉沢ノ頭 (2:00) 赤牛岳 (3:00) 2/8鎖場 (2:00) 奥黒部ヒュッテ
・  2285m    (3:53)          (2:25) 2864m  (3:06)       (1:19)   1500m
 第五日目 予定歩行時間6時間25分 (撮影+小休止5時間51分)

・ 07:00・・・・・・・・・・・・・・・・09:00~10:20・・・・・10:30・・・・・・・・・・・・・13:30~13:40・・・・・・14:21
・ 奥黒部ヒュッテ (2:00) 平ノ渡し場 (10) 平ノ小屋 (3:30) ロッジくろよん (45) 黒部ダム
・  1500m      (2:00)          (10)         (3:00)  1485m      (41)  1450m


今回のテーマは原点回帰。 山旅とは自由な旅である。 その基本はテント縦走である。 

自分の必要と思った生活道具一式を背負い、その重さに耐え、景色を楽しみながら計画を完遂させる。 
そこには誰にも強制されない自由がある。計画の完遂も途中棄権も自由である。
くじけたり怠けたり、ふがいない自分を責めるのも慰めるのも自分自身であり、その代り自分の体調管理も含めて、危険を察知して対処し、困難を克服するのも、一歩前に踏み込むのも、引き下がるのも自分自身の考えで決めるのだ。

限界のラインは目には見えないが、大抵の人は一歩手前に置いている。しかし、その一歩先に可能性はあるのだ。  

今回の夏山縦走は昨年のテン泊ゴタテ縦走で情けなくも目的半分の2泊で途中棄権の憂いを見たリベンジである。

            (原因は20年前の古傷で靭帯の切れている右ひざ関節の故障) 

オッサン化が進化している山こじは、もう長期テン泊縦走は無理なのか? 膝の古傷は限界まできてしまったのか。 
登山スタイルの変更を余儀なくされるのか?
 
日帰り低山ハイキングなんか嫌だ! 
     オール小屋泊の山旅なんか嫌だ!
       (でも空いてて夜の宴会が楽しく出来るのなら可?!)


とか何とか言っても、山旅の楽しみは、次の小屋着いたら

「コーラが待っている!」 「ビールが待っている!!」 

・・・が本音である。 

今回も4泊5日なので、結構な量の食糧(10食分)・命の水+つまみ(それなりに・・・?)と、テン泊装備で飲料水を含めるとザックの重さは17.6㎏と、10ケ月ぶりの登山の身には結構厳しい!
そしてそれらを詰め込むザックは、・・・ジャ~ン!! 新調しちゃいました。

山道具屋(WALD 1)に無理難題を言って、出発の前日に届いたばかりの「カリマーcougar50-75」なのだ。

1か月位前から欲しいな~と目星をつけていて、1週間前に購入決定を思い立ち、その時にはすでに売れてしまっていて店に在庫が無かった。
がっかりしているとザックの担当が「出発の日までに間に合せます」と言うので大至急の発注。
もちろん、出発日までに間に合わなかったらキャンセルという条件で注文したのだ。 
大きいザックは日帰り登山では使わないし、夏山シーズンの長期休暇くらいにしか出番は無い! また来年となると新型になってしまうかもしれない。 

これまでのザックは2005年の9月の平ヶ岳以来8年間使ってきたモンベルの65ℓだ。
モンベルのザックは留め具に金属のパーツが使ってあり、その部分の錆がテンションテープを痛めていて心もとないのだ。 
それにザックの幅が大き過ぎて歩きにくい。 
今回のカリマーは容積を高さで確保するタイプなので、細身で恰好が良い・・・。 

とか理由をつけても本音は
 
  「物欲です!」 
    
     
「古いのに飽きたんです!」

        「新しいものが欲しかったんです!!!」

昔から「畳と山道具は新しい物が良い!?」と言うではないか。 

「そこは・・・畳と女房じゃないのかい?   
  えっ! 勇気があるなら言ってみろっ!!」by新妻ちゃん

暑い夏に一服の涼風(冷や汗)を与えてくれる妻の言葉です。

物欲も登山趣味のうちだ! うちだぁ!
                                                      フェードアウト

 さて、今回の目的地は北アの最奥の秘湯露天風呂、高天原温泉である。 

この温泉は標高で言うなら、1位は本沢温泉2150m、2位は白馬鑓温泉2100m、3位が高天原温泉2060mだ。 
立山室堂平のみくりが池温泉(2410m)は本邦1位だが露天風呂ではないので却下!

しかし、上位2つと違い、薬師岳水晶岳という3000mに近い山稜に囲まれていて、雲ノ平の台地の崖下に感じるので標高を感じるどころか展望も景観も望めない。 
それでも、どのルートからでも、最低2日はかかる北ア最奥の地で大自然を満喫できる露天風呂の魅力は言葉では言い表せない。

 第1日目 720日(土)

  

 いつものように仮眠の後、0時にスタートし、扇沢4時頃到着。
今回で3回目の扇沢だが何か様子が違う。駐車場を横目に駅前を1周して???

無い! 無料駐車場が無くなってしまっている!! すべて有料になっている!!

どうりで舗装が綺麗になっている訳だ。 3段構えの駐車場は、今までは上段、中段の駅に近い2段は有料だったのだが、3段目は無料だった。 
今回から上段と中段は「24時間で1000円」、無料だった3段目は「36時間で1000円」に変わった。

取れるところから取るのは致し方ないが、出費がかさむ。(結果45日で3000円だった)

 7時半の始発で黒部ダム・室堂方面へ、トロリーバス、ケーブルカー、ロープウェイ、トロリーバスと乗り継ぎ、一般の観光客に揉まれながら到着。0900 
20097月の剱岳長次郎谷20117月の立山主稜と過去2回続けて大雨(半端ない土砂振り)室堂だったが、3回目にしてやっと「雲上の箱庭」と称される景色を堪能できた。 

カラフルな装いの一般観光客や学校登山の集団が交差する高原。 オットどっこい我らが「山ガール」も負けじと結構カラフルで華やかだ。 
室堂は高齢者や年少者でも気軽に訪れることの出来る一大観光地」だ。

    
         まるで箱庭の様                    学校登山に遭遇

  前回の立山主稜でこれまで体験したことのない暴風雨に遭遇した。(翌日のニュースで信濃川の氾濫を知る)
凍える思いで駆け込んだ一ノ越山荘や雨雲の中、駆け抜けた雄山、大汝山、富士ノ折立が今日は一望にできる。 
展望が利く今改めて見ると、たったアレだけの距離をもがいていたのが嘘みたいだ。
 
登山は天候次第で楽園だったのが地獄にも変わる。
あの時は視界10m位だったかな。 
一瞬で鬼にもなるし仏にもなるってか?


 新妻ちゃんはいつも仏の様な慈愛に満ちた女房君です(汗)


今回は一の越経由ではなく、浄土山北峰から通って、五色河原へと向かう。
学校登山の一団と共に一の越方向へ公園みたいに整備の行き届いた歩道をゆっくりと進み、室堂山荘からルートを南に取り浄土山へと進む。 
すると途端に人が減る! ここからは観光の高原散策ではなく、登山者だけの(好き者だけの?)世界だ。 

久しぶりの登山に加え、寝不足のせいで、慣れないザックの重さが足に堪える。 登るにつれ 雪渓が現れて来るがツボ足で進む。
今回は軽アイゼンをギリギリまで悩んだ末、車に置いて来た。 これ以上1グラムでも重くなるのは御免だ!

ひと汗かいた頃、室堂山の展望台との分岐、展望台はすぐそこなのだが体力に余裕が無いし、この先いくらでも見られる景色なのでパス。 
少し岩場を登り、前方に何やら石積みが見える。浄土山北峰には日露戦争に従軍し、戦死・戦病死した富山県人2595柱を合わせ祀った「軍人霊碑」がある。1020

   

やがて南峰に着く。1035 
ここには富山大学の立山研究所がある。2839mの高所で「大気」「雪氷」「生物」などの様々な研究がなされている。 
当然登山者には愛想など無く、大好きコーラは(ビールはもっと好き売っていないし、完全に戸閉めされている。

      

しかし、景色は最高だ。 今日の目的地の五色河原や今回のメインである薬師岳までの稜線、富山湾と富山の市街地、振り返れば一の越から雄山への稜線、見ていて飽きることのない景色だ。 今まで雨に祟られた鬱憤を晴らすことが出来た。

 
                
素晴らしい景色、最高っ!

 
     
            富山市街                        一の越から立山が丸見え!

竜王岳・鬼岳・獅子岳とアップダウンを繰り返し小さな岩場や雪渓もあったが、無事に通過。1211
これでアイゼンの必要な個所は通過出来た。 獅子岳から下りきった所がザラ峠である。1307

      
    気にしていた雪渓だが手が行き届いていた        いきなりの雪焼けで顔は真っ赤だ

       
        五色河原はすぐそこ                       その手前の鞍部がザラ峠

 ザラ峠 この峠は、富山城主の佐々成正が豊臣秀吉に攻められ、他の道は封鎖されて通過できず、
158512月にこの雪深い峠を越え、さらに針ノ木峠を越え大町へ下り、浜松の徳川家康に窮状を伝え応援を乞うために越えた。 
しかし家康は動かず、失意のもとに同じ道を戻り富山に帰ったとされる。

ザラ峠で一息入れ、五色河原へと登り返す。 本日最後のアップダウンだ。やがて木道が現れ五色河原山荘へ導かれる。 

五色河原
は高層湿原で池塘が点在していて、植生保護の為に木道が敷設されている。大変な苦労と手間がかかっているので、撮影の為に木道から足を踏み出したりしない様に協力して環境保護に協力しなければならない。

      
          植生保護の為の木道                   五色河原山荘

 山荘でテン場の申し込みとビールを2本購入♪ 1413 
ルンルン気分(古っ!)木道を伝ってテン場へと向かう・・・が結構遠い。 残雪で埋まった木道を2か所ほど越えて到着。 

ビールが温まらないうちにグビグビっと喉を鳴らして飲みたい♪と気が急いてダンダン早足になってしまう。 

テン場は山荘から10分程下った所にあり、給水設備も水が豊富という事で出しっぱなし状態だ。(そもそも最初から蛇口なんか無い)

そのかわりテン場もほとんどが水浸しで、2番目到着と早かったので幸いにも選ぶことが出来、乾いた場所を確保できた。 

     
         本日の泊地、ビールで乾杯!          雪解け水が豊富なので蛇口は無い!
                                      (水の出しっぱなしは凍結防止でもある)

 1秒でも早くグビグビ喉を鳴らしたい! 大急ぎでテントを張り「プシュッ!」、頑張った自分自身に乾杯♪ 寝不足の辛く永い々入山第1日目が終わった。


 2日目 721日(日)

 

今日はいきなりの長丁場で、ガイド本の二日分を一気に歩き、薬師岳を越え次のテン場の薬師峠キャンプ場への12時間近い行動が要求される。 

まだ暗い夜明け前に食事の準備をしてテントを静かにたたむ。 早発ちの者以外は寝静まっている。 
五色河原山荘
前を0428に通過。
先ずは鳶山に向かう木道を歩く。 高山植物が咲き始めていて、花を愛でながらマイペースの歩行スピードのおばさん2人に追い付く。

     
       五色河原、夜明けの静寂                        鳶山2616m

 
          本日のコースが全部丸見え。 目指す薬師岳は遥か先! トホホ・・・

      
          越中沢岳2591m               「近くて遠いはスゴの小屋アップダウンが続くよ!」

 朝日を浴びて薬師岳が神々しい。
    あの頂には何時ごろ着くのかなぁ? まだまだ遥か彼方に感じる。

越中沢乗越への下りで先行者に追い付く、ザックの大きさからテント泊だ。0549 
彼は兵庫県から来て、室堂~上高地の縦走を予定している。 1歳先輩だが、仮にオスプレイ君としておく。
その彼と前後しながらスゴの頭を越え、看板通り「近くて遠いスゴの小屋」を目指す。

スゴ乗越の最低鞍部から二度上げの急登を頑張って上り、やっとスゴの小屋に到着。0917

 
           大汗を掻いて、やっと辿り着いた。 近くてとっても遠かったスゴの小屋

 先輩小屋番の人が新人に草刈り機のレクチャーを施しているのを聞きながら、山こじも仕事柄ノウハウをレクチャーする。
そんなこんなで長居をしているところへ、我々の30分程後方を歩いていた単独行のヤマモト君が小屋に到着。

我々がスゴの頭で休憩をしている時に越中沢岳の下りで、休憩している我々の姿が見えていたらしい。 
彼は地元富山の人で、山岳部出身の経歴を持つ「返り新参」
今まで岩の方をやっていたらしく、あまり地元の山には登っていないと謙遜していた。 
同じ重荷の単独テン泊装備とは言え、さすが岩屋さん!ペースが速い。(足が強い)

もっとも年齢も20歳以上若い。(親子の歳の差?うらやましい若さだ!)

  

長い休憩の後3人は間隔を置いて出発。1005

皆単独行なので、お互いの息や足音などの気配を感じさせない距離で歩くのだ。 
後続の気配を感じて抜かれまいと頑張ったり、前者に離されまい、千切られたくないというプレッシャーを受けたくないのだ。 
景色を見たり花を愛でたり呼吸を整えたり、自分のペースで立ち止まる余裕が欲しい。 
前者の背中ばかり見て、くっ付いて歩く団体行動はしたくない。 だから単独行を選んでいるのだ。
 

もちろん、いよいよペースが違って追い付かれたら、「お先にっ!」と声をかけて順序が入れ替われば良いのだ。 
縦走登山に勝ち負けは無いし、コースと目的地が同じなら、同じだけのアップダウンや景色を皆が平等に経験するのだ。

 大汗を掻いて間山2585mに到着。1133 
途中で山こじヤマモト君が入れ替わり(抜かれた)。さらに先行のオスプレイ君ヤマモト君が入れ替わっていて、オスプレイ君だけが休憩していた。
元気なヤマモト君100m程先を休憩しないで頑張っている。 ヤマモト君の背中を見ながら、50歳代のオッサン二人は休憩。(力の差が歴然!)

     
   景色はクッキリ(剱岳が見える)     力の差もハッキリ!!オッサン二人はここで休憩 

黒部川の対岸には帰りに歩く予定の赤牛岳が見え、その少し下には秘境の薬師見平が見える。

         
    赤牛岳2864mと手前の平地が薬師見平              薬師見平をズーム

 先行のオスプレイ君に、いよいよ疲労のピークが着てしまったらしくペースが上がらない。
五色~スゴ
の標準タイムは5時間50分だが、早朝出発して10時前には到着している我々には、ここで行動を終了して泊まるには早すぎる。 
次の薬師峠のキャンプ場となると、さらに6時間かかるが、テン泊装備のものは皆、早朝出発を決行して12時間近い行程を頑張るしかないのだ。
                           (小屋泊の人にとっては、最適の間隔に小屋を配置してあると思う)

山こじも疲れているが、今回の山行のメイン薬師岳への上りなので、気合を入れなおし、オスプレイ君を追い越すことにした。
しばらくすると雪渓が残っている箇所があり、踏み後が散らかっていて、少々ルートが分かりずらい。 

ここで事件発生! 
ルートを迷った後、正規のルートに戻ってヤレヤレ。 ひと息入れようとハイドレーションのチューブを咥えたが水が出てこない。(ゲっ!)


なっなんと!、スゴの小屋での給水を忘れてしまっていた。 
 (おまけに飲み残した水を捨ててしまうという暴挙までしていた。
                                  たっ祟りか?)

水が無いとなるとゆっくりしている場合ではない、急がねば干からびてしまう! 
標高が高く乾燥している稜線では湧水の期待など皆無だ。 日差しは暑く、汗は噴き出る! 

「・・・・・。」  一歩、また一歩進む。

「・・・・・。」  一歩ごとに、汗がポタッ、 ポタッ。
 
「・・・・・だっダメだぁ~。」 

とうとう喉の渇きに耐えかね、雪渓に降りて雪を食べる! 顔に擦り付ける!


ワアアアアっ、気ん持ちいいぃ~~!」

表面の汚れた雪を蹴散らして、雪を頬張り
              ついでに雪で顔を洗い、後頭部や首の付け根を冷やす。
 
「う~気持ちいい~、最高♪」

これを何度も繰り返しながら薬師岳のピークの一つ北薬師岳にヨレヨレになって到着。1332

      
         北薬師岳ロックオン!                     雪を食べるっ!!

 
                           北薬師岳2900m

 ここから見える雪渓は金作谷カールである。

 

                金作谷カール   ここの上部の雪で渇きから助かった

 薬師岳は堂々とした山容を誇る、北アルプスの名峰である。 東側を並行するように黒部川が流れている。 
この山では、東南尾根から北薬師岳に続く稜線の東側によく似たサイズの標識的なカールが三つ並んでおり、全体が「薬師岳圏谷群」という名称で、国の天然記念物に指定されている。

我が国では立山の「山崎カール」とともに、たった二つしかない天然記念物の氷河地形のうちの一つである。
カールというのは氷河地形の一種で、プリンの上部をスプーンでひとすくいした時に出来るような窪みである。
地図上では北から「金作谷カール」「中央カール」「南陵カール」。
金作谷の金作とは、明治40713日剱岳への柴崎測量隊に宇治長次郎らとともに参加した宮本金作の名である。

北薬師岳薬師岳の中間付近までに30分もかかり、標準タイムの40分は無理だなぁと北薬師岳方向をみるとオスプレイ君らしき人影が見えた。
迷いやすい雪渓やゴーロ地帯を無事に通過してきたのでひと安心だ


 
     
         薬師岳2926m                        薬師如来が祀ってある

       
             避難小屋跡                        愛知大遭難ケルン

       
  昭和38年の愛知大学生13名の遭難を伝えている          薬師岳小屋

 水が底をついてしまい、喉がカラカラなので、早く小屋に着きたい。 雲が流れチラリと垣間見えた赤い屋根は、上から見下ろすと手が届きそうなほどだ。 
たいして距離が無いように感じる薬師岳小屋だが、ザレた道をジグザグに降りるのでなかなか着かないし、筋力を使い果たし疲れ切った足には堪える。 
少しづつ少しづつ小屋との距離が縮まる。 近づくにつれ、外のテーブルで楽しそうにくつろいでいる人々の笑顔が分かるようになってきた。 

 いたっ! その中に他の登山者と歓談しているヤマモト君を発見! 山こじより1時間は早く到着していたらしい。 
そして真っ赤な顔の親父の登山者と日本酒で一杯をやりながら待って(?)いてくれた。

 喉がカラカラの山こじは、ビールではなく、先ずはスポーツドリンク、続いてコーラと500ml×2本の1ℓの水分を一気に飲み干して、やっと人心地ついた。
            (たぶん酒だったらひっくり返ってしまうだろう)

 山こじに遅れること30分、今度はオスプレイ君が、ぼろ雑巾(失礼)の様になって、フラフラで到着。 オッサン二人には限界ギリギリだった。 
彼は山こじ以上に、目一杯体力を使い果たし、完全に消耗しきっていて、

 「もうダメ!今日は小屋に泊まる!」と宣言。 予定変更は単独行の特権だ。
 
衰弱している彼は良い選択をした。 それでは、ここでお別れという事で、お互いの健闘を誓いあった。

テン場には売店は無いと思われるので、小屋でビールを買い込んでから、薬師峠のキャンプ場へとヤマモト君と出発。

 薬師平の大きなケルンを過ぎ雪渓を渡ったところで、前方に何やら人相の悪いオッサンがウロウロしている。

 オッサン 「その道を行っても沢に降りてしまうぞ」と言う。

二人で地図を確認するが迷う所でもないので、さらに行こうとすると、お節介にも、さらに強く「その道は違う!」と言う。

 我々  「何か、どうしてもこっちに来るなという雰囲気だな」

               「人でも埋めているのかな?」

     「こんな山奥に持ってきて埋めるなんてかったるい事しないだろ」

などと詮索しつつ、少し道を戻るが、やっぱり間違っていないし他には道など無い。
さっきの場所に戻ってくると、オッサンは二人のおばさんを引き連れて上ってきていた。

我々が無視して行こうとすると

 オッサン 「そっちは道が違うと言っただろう!」

 我々   「でも地図で見ても間違いないし、
          テープやマーキングもあるので行ってみますよ」

     
       と説明してすれ違った。

         「あ゛~面倒くさい!」

オッサンは、不満そうだったが無視するしかない。早くしないとビールが温くなっちまう!

大きな石がゴロゴロしている涸れ沢を5分程下った所に標識があった。やはりこの道で間違いないと確認。もともと一本道だったし、余計な時間を食ってしまった。
標識がもう少し上の所にあったら、オッサンも迷うことなく見つけることが出来ただろうけど、この道は石がゴロゴロしていて足元が悪すぎる。 
オッサンやオバサン達が足をくじいて文句を言われても困るし、何事も自己責任でやってもらうのが登山だ。自分で正しい道を見つけて降りてもらうしかない。

程なくして我々は薬師峠キャンプ場に到着。1800 

このキャンプ場は給水設備もトイレも富山県が整備しているらしく、とてもきれいで快適なテン場です。皆で綺麗に使いましょう。

それぞれが、大急ぎでテントを張り、今宵の宿を設営した。
少し温くなってしまった(オッサンのせいだ!)ビールで「 お疲れっ! 乾杯っ!!」

持ってきたおつまみを肴にビールを飲み干して、更に持参の「命の水」の水割り(?)で宴会は続く。

 

               薬師峠宴会場(キャンプ場)にて ヤマモト君と乾杯!

  第三日目 722日(月)

 

今日の行動は、ヤマモト君折立へ下山、山こじ高天原へと道を分かちお別れだ。

まだ暗い中、起きて朝食を準備した後、二度寝をしてしまい、起きた時にはヤマモト君はすでに出発した後で姿が無かった。 
他のテントも3張ほどしかなく、今日はスタートから出遅れてしまった。0603

 
     
         薬師峠キャンプ場                       太郎平小屋への道

薬師峠~太郎平小屋間は石を組み敷いて整備された道だ。標識タイム通り20分程歩くと、朝霧というより雲の中から、ひょっこり小屋が出現! 
ちょうど今まさに泊り客と従業員の朝のラジオ体操の場面に到着。 皆の視線を浴びる。
 「皆さんお早うございます♪」0621


       
     朝霧?雲の中から? いきなり出現                 太郎平小屋

昨日はテン場への到着が遅く、太郎平小屋の係員が帰ってしまった後だったので、未納だったテン場代を支払う。
                            (係員がいる時はビールが購入できるらしい

昨日のオッサンとの出来事を話すと、彼らは前日に泊まっていたらしい。
この小屋でも迷惑をかけていて、「この先大丈夫か?」と小屋の人が記憶しているほど、トンチンカンなグループだったらしい。 

山こじの今日の予定は雲ノ平泊だったが、変更して高天原山荘の宿泊申し込みを太郎平小屋からしてもらった。
             (スゴの小屋、薬師沢小屋も同じグループ会社です) 
案の定、平日なので予約客は少なくガラガラだった。ラッキー♪

昨日の疲労(多少の飲み疲れも?)と、薬師岳の下りから見えた景色、雲ノ平(2500m)が台地でその崖下が高天原(2285m)という立地条件。(?)
厳しい高低差を目の当たりにして、高天原の温泉に浸かった後で、雲の平に登り返す勇気も元気も持ち合わせていない自分を確信できた。
 
一人旅はいつでも衆議一決!
     変更OK!が当然の自由旅だ!
    (楽な方にはすぐに流される傾向だが・・・)

太郎平小屋(2330m)から薬師沢小屋(1900m)にはガンガン下り続けなければならない。 
ザックが重いので、乱暴に下ると去年の「途中リタイア」の二の舞で膝を痛めてしまう。 
ゆっくりと衝撃を最小限に抑えて丁寧に下り続ける。 ・・・長い下りだけで大汗だ。 
地図に第一渡渉点、第2渡渉点、第3渡渉点(左俣出合)とあるが立派な橋が架かっていて靴を濡らすことは無い。

 
    


      

 この一帯も高層湿原なので、木道が整備されている。 
これだけ整備に手を掛ける必要があるのなら、日本全国、富士山に限らず、入山料の徴収も仕方無い事かもしれない。

河童が棲むというカベッケ原通過。0817

 
                     カベッケ原    河童が棲むという

 この先でロケ隊と遭遇。 地元富山のテレビ局らしい。 彼らと共に薬師沢小屋に到着。0824

 
         薬師沢小屋    ここを境に上流を奥の廊下と言う、下流は上の廊下と言う

 さあ、今日のメインテーマ「大東新道」だ。
この黒部川に沿って歩く道が大東新道と言われるのは、高天原大東鉱山という会社があって、モリブデンを採掘して搬出していたからだ


[綺麗ごと]
モリブデンは、他に例を見ないその機械・化学的特性で厳しい要求に応える優れた金属材料です。 融点が高く、熱膨張率が低く、熱伝導性が高い、摩擦係数が低い、etc…などの利点を生かし、さまざまな用途で利用されています。
モリブデンの多様な用途。 たとえば、照明産業のリボンやワイヤー、パワーエレクトロニクス用の半導体基板、ガラス溶融電極、高温炉のホットゾーン、太陽電池やフラットパネルのコーティング用スパッタリングターゲットなど様々な用途で欠かす事の出来ない材料です。
 
[本音]
これは平和な現代の綺麗ごとで、こんな山奥から人の背中に担がれて苦労して搬出されたモリブデンの必要性とは・・・。
第一次世界大戦中にドイツ人が、日本刀は細身でありながらよく切れて強いことに着目しました。「あめのむらくもの剣」を思いだし、斐伊川上流域に何か秘められているのではと推測して分析した結果、モリブデンが含まれていることを発見したことによって、その価値が急に出てきました。

戦時中は、他の国の兵器より優れたものを軍部から要求されていました。兵器の製造に重要な役割(空爆撃に耐える戦艦の甲板、連射に耐える大砲の砲身、航空機のエンジン内筒、ピストンetc)を果たすことから一躍注目されて、生産が飛躍的に伸びてきました

必要性は必然性、それは不可能を可能にする。

日本国民が総力をあげて(ある意味国民を洗脳教育して)母国滅亡の危機から国家一丸での戦争突入。

    (真珠湾攻撃という先制攻撃を実行しようがしまいが、出る釘は叩かれる運命だった) 

その結果、大日本帝国は滅亡しました。 
明治維新から世界に頭角を現し、幸運にも負け知らず(日清・日露・第一次大戦)で図の乗った我が国(大日本帝国)77年で滅亡したのです。 

 現代の私達(日本国民)があるのも、今の平和な(見かけ上)、かろうじて日本という名が残っている国(戦勝国に無防備を強要され、それに慣れっ切ってしまい、挙句の果てには軍隊を持たない事、押し付けられた平和憲法すら誇りに思っている)があるのも、先の戦争(あくまで大東亜戦争であって第二次世界大戦ではない!)で敗戦を経験したからだ。
どん底まで落ちた国家威信、アメリカの世界戦略(共産圏との摩擦etcの都合上、進駐から解放されて見かけ上の独立。
           (日本を独立国にさせ、他国の侵略を牽制(阻止)して、その実、子会社化して盾に利用)

無条件降伏という選択肢しか無かった日本に、我が国固有の領土は存在しない。
 (無条件降伏なんだからとっくに放棄している、ヤルタ会談の詳細は公式には文書で存在していないらしいので、連合国側の言いなり)

返還を許された島や土地にしか日本人は棲むことを許されていない。
北方領土尖閣諸島の領有権どころか沖縄・九州・四国・北海道を盗られないようにするのが先決だ。

アメリカの言う事(悔しいが)を聞くか、赤い国に取り込まれてしまうのか。
(ちなみに我が国発行の世界地図では日本を分かりやすくするために赤く表記しているが、思想まで侵略されているみたいだから赤色は止めよう!)
いざとなったら闘ってでも守る(国を、家族を愛する人を・・・さだまさしの世界…防人の唄)気概を取り戻すか・・・やめた、話がそれた。 以上はオッサンの戯言です

 大東新道という、難路というより河原歩きさえ厭わない道(?)には歴史的な背景がありました。

 
     
         小屋前の 吊り橋を渡って・・・                河原に降りる

        
         これから行く大東新道        増水時は巻道   高天原とはこの様に書くのか(納得)

 先ずは小屋の前の吊り橋を渡って河原に降り、雲ノ平への道と分かれる。

この道は河原歩きが1時間位はかかるので降雨の時や、今にも雨が降りそうな時は通らない方が良い。 
というより黒部ダムまで流されてみたいのなら別だが、命の保証は出来ない相談だ。 
降雨時は一気に増水する2003年は大石など全部隠れてしまい2m以上水嵩が上がってしまった)ので緊急避難で高巻く事できなかったら・・・、自己責任でお願いします。

   

        瀞の様な所もある                  上の廊下を思わせる所も

 瀞の様な佇まいもあれば上の廊下の片鱗を見ることもできる。ちなみに黒部川は、さっきの薬師沢合流点から上流を奥の廊下、薬師沢合流点から黒部ダム上流の奥黒部ヒュッテのある東沢出合流点までを上の廊下、黒部第四ダムから下流の黒部峡谷鉄道の終点欅平までを下の廊下と大まかに区別している。

いよいよ大東新道の核心部A沢~B沢間(ガイド本では大げさに取り上げている)が近づいてきた。
撮影しながらでも、たかだか15~16分で通過できる。

 
     
            A沢の出合                         大東新道の核心部

       
   一つ目  階段上の岩を登ると道がある         その道を降りる梯子で一つ目は終わり  

       
       降りたらすぐ二つ目が始まる                この岩をヘツルのだが

     
   足場のペンキマークはあるが・・・          足がかりは5㌢ほど・・・でも水深は20㌢程だった

       
              三つ目                   濡れた逆層のスラブなのでスリップ注意

     
      高い所を歩いて梯子で降りて終了                 B沢の出合

以上が大まかに三段階に渡るヘツリ部分だが、普段は水深が浅いので、しがみついて変な体制で落ちる位なら、はなっから水に浸かったほうが安全だ。 
靴を濡らすのを嫌って怪我でもしたら本末転倒だ。 ちなみに撮影している本人は飛び石伝いに歩いている。 
極端な話、沢歩きの人は下流の立石奇岩から薬師沢小屋までは遡行の後のただの沢歩きと思っている。
腰まで、濡れる覚悟なら何でもない所、不安なら無理して怪我するより水に入っちゃいましょう♪ 

       
      ちなみに撮影は飛び石伝い          ハーケンの抜け発見(ダジャレかい?)
                                  
鎖に頼ってばかりいると・・・安全とは限らない

B沢の出合から黒部川から離れ、いよいよ山間部に入っていく。途中B~CC~D沢間だったか、いやらしい雪渓があったが無事通過できた。
B沢の出合から2時間ちょっとの山道のアップダウンで大汗掻き、高天原峠に到着。(1221
 
          いよいよ楽園の世界へ突入!

岩苔小谷を過ぎたところで雨が降り出してきたが、小屋はもうすぐなので構わずに歩く。

 
      
            楽園へ                              岩苔小谷

       
            美しい                           高山植物の花達に導かれ
 
       
        小屋が見えてきた・・・                    リニューアルした高天原山荘

       
          6番です                            小屋の中も綺麗です

小屋に到着して一息入れ、外が土砂振りにも関わらず温泉へ、完全防備の合羽姿を写真に撮ってもらう。
撮ってくれたのは、先に到着していた若者のハマダ君と言う。
昨日薬師峠のキャンプ場に遅くなって到着した時に、親切にも太郎平小屋の係員が帰ってしまったと教えてくれた人だ。 
彼は5時頃テン場を出発して、昼前には高天原に到着して温泉も雨が降る前に堪能してきたそうだ。
                        (とっても足が速くてかないません!) 

山こじとしても、こんな山奥まで温泉が目的で来たのだから、土砂振りでも何でも温泉に行かない訳にはならない。 
合羽の下にタオルやカメラを入れたサブザックを背負い、
温泉へ出発♪

       
   宿泊ではない方はチップ制で入浴可           土砂振りの雨の中、温泉へ。 いざ出陣!

       
 沢の中に温泉 (囲われているのは女性専用)             混浴風呂独り占め

       
        沢の反対側にも露天風呂                 とろろ蕎麦と豆腐も付く夕食

       
           ランプの宿                          温泉沢ルートの説明

 食後、雨がまだ降り続く外の景色を見ながら、扉の近くで夕食の時に隣の席だった横浜からきた山主婦ちゃんハマダ君3人で山談義。
明日の天気を気にしながら、昨日は何処からとか、どんな山に行ったかとか話ているうちに、今年導入の富士登山の入山料や富士マラソン、果てはハセツネの話になり、

 山こじ (この人は関東の人かな?) 
       「俺は埼玉から来たんだけど、奥多摩のハセツネのレースはきついよ」

  ハマダ君 「自分は埼玉の狭山ですよ」

  山こじ 「えっ、俺は仕事場が狭山で住いは所沢だよ」

 ハマダ君 「???・・・自分は仕事場が所沢です!!!」

その後、細かいやり取りをしたら、双方とも自宅をピンポイントで知っていた。

 ハマダ君 「猫がいっぱいゴロゴロしている家ですよね(笑)」

 山こじ 「そう、暑いときは猫が地面でゴロゴロ昼寝しているから踏むなよ(笑)」

  山主婦ちゃん 「えこんな事ってあるの~! 世間が狭すぎる~(笑)」

ちなみに彼女は1か月ほどの期間、山小屋のスタッフのバイトをやるそうで、高瀬ダムから入山して、そこに向かう途中の高天原温泉だそうだ。
何でも初めて泊まった山小屋対応に感激してしまい、新婚家庭放り出し、夫を捨てて(優しい夫君は許可してくれたらしい)山小屋生活を体験するそうだ。

  「そんな事したら夫君が羽をバタバタ伸ばし放題になってしまうぞ」

  「歯ブラシが増えてたりして・・・」

  「いや、そんなバレやすい事しない。 ひとり暮らしを装うために歯ブラシを捨ててしまって、
     帰って来たときに慌て購入して、メーカーと柄の色は合わせたけど、歯ブラシが新品で、
        口に咥えて使った瞬間にブラシのヘタリ具合が違う事に気が付いたりして・・・」
 

散々山主婦ちゃんを脅かしたり茶化して時間を過ごしていた。 外は日が落ち雨は降り続く・・・、そこにずぶ濡れの若者が到着。1940 

素泊まりを申し込み、今から自炊をするそうだ。もっとも食事の時間は終わっていたが。


  第四日目 723日(火)

 

今日は長丁場だ。 しかも昨日からの雨は降り続き止む気配は全くない。
どうしても仕事の都合上停滞は許されない! まだ誰も起きていない寝静まっている小屋を一人で出発。0345 
少し歩いて振り返ると小屋の扉の所に誰かのヘッデンの灯りが・・・。 手を振って応える。楽しかった高天原温泉さようなら。

 
     
      皆寝静まっている小屋を出発                  昨日堪能した温泉を横目に・・・

今日のコースは温泉沢を登って稜線に出て、赤牛岳から長くて辛い読売新道を行く。 北アの中でも、あんまり人の歩かないマイナーなコースだ。
小屋で見た案内図を頭に叩き込み、昨日堪能した露天風呂を過ぎ、やがてゴロゴロした河原歩きになる。 
増水だけが心配だったが、なんとかなる水量だ。 右に左にと渡渉を繰り返し、大事に至らない転倒も何回かしながら暗い河原を遡行する。


       
         やっと夜が明け始めた                   二股を右に

       
           前方に雪渓                            左カーブ

       
       尾根への取りつき地点                    標識があってひと安心

 夜が明けて、重く低い雨雲の降りていた温泉沢も次第に明るくなってきた。 
ヘッデンの寂しい灯りで、必死で探してきたペンキマークも先の方まで見えるようになって、ひと安心だ。 

二股を右に取り、しばらく行くと前方に雪渓が見えてきて、足元の石には「左カーブ」の文字が、・・・着いた♪

稜線への取りつきに到着したのだ。0521

これでもう迷う心配はない! 

ルート的には心配が無くなった。 この先は急勾配で一気に森林限界を突き抜け稜線へ出る。 
この樹林帯を逃すと雨風をよける場所も無さそうなので今のうちにと思い、昨夜作ってもらったお弁当のおにぎりを一つ頬張る。 
今日最初の休憩であり喉を通した食事だ。

今回、行動食として採用してみた、雑誌で読んだウルトラライト登山の行動食(ドライフルーツやナッツを混ぜたもの)を準備したのだが、これは大失敗! 
歩いている最中に歩行しながら食べる事なんかやらないし、喉が渇くので食べる気にもならない。酒のつまみにはなるが・・・。 

ハイドレーションでの水分補給も、なかなか歩きながらでは飲みにくいし、背中に当たっていて違和感がある。
何よりも、ひと肌のまずい温度の液体になってしまっているし、残量がわかりずらい。 
ザックがパンパンなので、ザックの背中側ハイドレーション用のポケットに再び収めるには、中身を少し抜いてパッキングをやり直さなければいけない。
かえって面倒だ! 今回は二日目の薬師岳の稜線で「水切れ」の大失態をやってしまっただけに装備として再考を必要とする。

山こじのペースの呑気な山旅では山岳レースではあるまいし時間を急く必要はない。
普通に立ち止まって水筒で喉を潤おし、おにぎりを頬張る位の時間はあっても良いのではないか? 
ザックの上の方に収めれば、ひと肌の温度になることもないだろう。


      
    稜線取りつきから一気に高度を稼ぐ           もうすぐ読売新道と合流

    
         あそこが稜線                          温泉沢の頭

    
        視界は酷い時に10m位                    ケルンに助けられた

ビシバシと容赦なく雨が顔面を叩きつけてくる!

 フードの下に帽子を被って庇にしていなければ前を見ることが出来ない。
少しでも登山道が稜線を巻いて下がっていれば風も弱まり大したことないのだが、再び稜線に出るとは相変わらずの雨風が強い! 
雲の流れが無茶苦茶速く、
視界は1030m、たまに50m先が見える時もあるが長くは続かない。

だだっ広い所では、先が見えないのでケルンが目印になり助かった。 
山こじ
は登山の最中にお世話になったケルンには、安定が良いように積み方を微調整をしてあげたり、一つ石を追加したりしている。 
自分がルート確認するのに役に立ったのだから、他の誰かにも目立つ様にしてあげている。

 再び今回の大失態! 

頂上の手前で風よけがあったので、残りのおにぎりを頬張り、ついでにデジカメのバッテリー交換をしようとしたら、・・・。

なっなんと! 登山を始めてから、ただの一度もデジカメの予備バッテリーの充電を忘れた事が無かったのに、今回は赤牛岳の手前で充電忘れが発覚。 
今まで、予備があるつもりでバンバン撮影してきて、すでにバッテリー残量は赤マーク。この先何枚撮れるやら・・・。


 
            赤牛岳頂上2864m 10:03  視界は10m展望も感激も無い!

 

いよいよここから読売新道の下りが始まる。 

読売新道はその名の如く、読売新聞社が1961年に北陸支社の開設を記念して開いた。 
水晶岳から赤牛岳を経て黒部川東沢出合まで伸びる尾根道である。 
途中に危険な箇所は少ないがエスケープルートや雨風を避ける場所も無い。 
山小屋間の距離が長く、黒部ダムからは上りっぱなし、赤牛岳からは下りっぱなしというマニアックなルートである。
 
今回は悪天で視界が無かったが、薬師岳からよく見えていたくらいなので、晴天だったら薬師岳方向や烏帽子岳方向が、樹林帯に入るまでは360度の展望の良いルートだろう。

 しかし、長いルートを8つに分け、ところどころに7/8とか6/8とか標柱が建っているのは目安にはなるが、進みが悪かったり気が急いている時は鬱陶しく感じる。 
今回の感想は鬱陶しい、こんなに歩いてもまだこれしか進んでいないの?が感想だ。

反対側の薬師岳から見たときの記憶では、赤牛岳の頂上からは、なだらかな勾配で下がり、カクンと勾配が強くなり、ドドっとさらに勾配が強くなるイメージの稜線(変な表現)だったが、視界が利かないので、それだけが頼りだ。 
頂上から稜線の東沢谷側のガレ場を下り、真新しいフィクスロープのある崩壊地帯やゴロゴロした岩場も出てくるが、構わずガンガン進む。 
カメラのバッテリーも残り少ないが、人間のバッテリーもカラータイマーが点滅中だ。(ウルトラマンかいっ!) 
立ち止まると低体温症になりそうな位、雨風が体を叩きつけ体温を奪う。 しばらく進むと勾配が変わったのが分かった。 (ここがカクンだな)

更に進むと一気に下り始めた。(ここからドドっとだな♪) やがて樹林帯に突入。

今度は寒くはなくなったが、這松を切り開いた登山道が沢になってしまっていて、靴の中まで浸水してきた。 
汗と雨で合羽の内も外もびしょ濡れだ。しかし、そんなことを気にしている余力は持ち合わせていない。 ジャブジャブと構わず水たまりをも踏み込んでいく。

この後は、何も考える余裕が無く、躓いた木の根や石、顔にかかった枝葉に悪たれを突きながら、下った。(誰もそばにいなかったし、もしかしたらルート上にたった一人?) 
修行僧の如く無心?(実際は放心状態だったと思う、とても危険な状態だ)になり、考えるのを止めて、ただただ道の変化に体が対応するだけ。

長い時間が過ぎ・・・時間が過ぎ、さらに時間が過ぎ・・・、やっと右側の東沢谷の音が近づいてきた。 
最後にドドっ(またこの表現かいっ!)一気に下り、奥黒部ヒュッテの前に到着。1428


 
                  全身びしょ濡れで奥黒部ヒュッテに到着

とっても長い時間だった。 じつに4時間以上の休憩なしの行動だった。(血尿が出た・・・)

「奥黒部ヒュッテのお客さんは、ほとんどが読売新道を下って来た人だ」と管理人の佐伯三成さんは言う。 
歩いた事は無いと言うが、この雨の中、長い道程を辿り着いた山こじを労ってくれた。

「すぐに風呂に入りなさい」と言ってくれ、一番風呂を御馳走になった。 
奥黒部は夏と言えども、関東の秋と変わらない。 佐伯さんはいつもジャンパーを着ているという。

 この土砂降りの中、北ア屈指の長大な尾根と言われる読売新道を他にも歩いている人がいた。
山こじだけが強行したと思ったが、皆さんそれぞれ休みの日数は限られているらしく、誰もがずぶ濡れで到着。

一組は、山こじより15歳位は年長の3人パーティー。 
夕食の時(宴会?)話を聞くと立山の氷河の存在を古くから唱えていたが、よその教授に手柄を持って行かれたらしい。
                   (GPSを使った実験調査は費用が莫大だったので証明ができなかった)

教授先生たち3人パーティーは水晶岳小屋から歩いて来た。

もう一人は、高天原温泉で日が暮れ、夕食も終わった雑談タイムの頃、小屋にずぶ濡れで到着した塚越君だ。 
彼はいつもずぶ寝れで到着だ。(ヨっ!水も滴る山男)
彼は今日も自炊だったので食堂での宴会には参加していない。
宴会後部屋に戻り、「命の水」と多く持ってき過ぎたドライフーズをつまみに山談義をした。

結局、山こじと同じルートを、45日の山こじに対して、塚越君23日で歩いた事になる。
凄い体力だが、遅く到着したので高天原温泉にも入らず、景色もろくに楽しめなかったのではなかろうか。

 
  第五日目 724日(水)

 

今日は朝1番(6:20の渡し船には乗らず、2番(10:20の船に乗る。 

それというのも佐伯さん「平ノ渡し場までの桟道の補修がこの雨の影響で補修工事が遅れていて、本当の事を言うとまだ通行止め」なのだそうだ。 
朝一番の船に乗るには、まだ暗い4時頃には出発しなければならず、ヘッデンの灯りだけで通過するには危険が多過ぎると言う。 
こんなことを聞くとワクワクしてしまう自分が何処かにいるのだが、痛いでは済まないレベルの話なので素直に2番の船にした。 
塚越君も同じ船なので、のんびり二人で仲良く朝食は食堂の隅で自炊をした。 
出発はオッサンの歩行スピードは遅いので、山こじ7時には出発。 
ガイド本で2時間のところを、3時間以上も前に出発したのは、桟道崩壊ヶ所がどれほどだか不安だったからだ。

 

         これが一番ひどい崩落ヶ所、 30m下は水面   う~~んマンダム!?

平ノ渡し場までの道は水平かと思いきや、地形が入り込んだりしていると、殆どが断崖絶壁なので桟道が巻道のようになっている。
したがって、そのたびにアップダウンが繰り返される。 
桟道が何ヶ所あるのか、初めのうちは数えていたが20以上数えた頃から分からなくなってきた。

崩壊ヶ所の土砂をよく見ると白い石英交じりの花崗岩の屑で、黒部の太陽で有名になった破砕帯の地層と同じだ。 
この地層では雪崩や雨で水分を含んだらグズグズになり、地すべりを起こして、丸太杭を打ち込んだ位の桟道なんか根こそぎ持って行かれてしまう。 
ダムの完成で地下水位が上がり山体崩壊が進んでいく原因だ。 しかし土木工事の技術として地盤を固める薬液注入工法の研究が一気に進歩した。 

この説は高瀬ダムの完成で、自らの力で完成させた伊藤新道が湯俣川に掛けた5か所の吊り橋の全箇所崩壊で廃道化を余儀なくされてしてしまった伊藤正一さんが唱えている。 
昭和31年に私費を投じて、自らもつるはしを振り、長野からどの登山道を使っても自ら経営する三俣山荘2日かかるところ、湯俣からならその日のうちに到達出来る新道を開削したのだ。 
しかし昭和54年に完成した高瀬ダムの影響で道は廃道となった。
何時の日か伊藤新道の復活を目標に、今は息子さん達が山荘を経営しながら辿っている。

    

       やってきました渡し船                      船首から乗り込む

平ノ渡しは、関西電力が黒部ダム完成後、水位が高くなってしまい水没してしまった昔の「平ノ渡し」という橋の代わりとして無償で行っている。
その管理は平ノ小屋の主人佐伯覚憲さんが小屋の経営とともに行っている。 山奥でも船舶免許が必要なのだ。 
ちなみに黒部の「下の廊下」の整備も関西電力が雪解けを待って毎年秋頃に整備補修して開通させている。 
欅平から阿曾原温泉までの地下軌道は、山小屋関係者に限って利用の便宜を図っている。 
全ては黒部の電力開発を計画した時からの約束で現在まで継続されている。

平ノ渡しで対岸に移った後は、ダム沿いのつまらない道かと思ったらそうではなかった。

 
     
            激流を渡る                      反対側から見る黒部ダム

中ノ谷御山谷など桟橋で渡るところはとてもスリルがある。 塚越君は1回激流に片足を突っ込んでしまい、靴の中までぐちょぐちょだ。 
相変わらずアップダウンの多い道なので二度と歩きたくない道リストに挙げておきたい。

そんな中でも、山岳部出身だと言う塚越君の歩きは、「ノンストップ・マイペース」だ。 
平坦部は結構大股で早歩きなのだが、登りや階段部分になるとギヤチェンジをして、スーパースローになり、立ち止まらず、休みもしない。 
おかげでロッジくろよん迄の3時間半の道のりをノンストップで歩き通せた。 
ロッジくろよん
からはコンクリート舗装の道となり、いよいよ山旅も終わりに近づいた。

 

                       山旅の終点  黒部ダム

 やがて黒部ダムに到着し、初日に見た山並みを踏破できた喜びを噛みしめて旅が終わった。

追伸、トロリーバスで扇沢に着き、塚越君と別れを告げたのに、駐車場で再び遭遇。彼は隣に駐車していたのだ。 
何かしら因果関係を感じる。 今度こそ彼とも別れ一路くめだに村へと車を走らせる。 
平日なので渋滞知らず、8時頃には自宅に到着。