2014.9.26〜29
山こじ通信vol.44   雲ノ平周遊


      雲ノ平はかつて北アルプス最奥の秘境と呼ばれた標高2500mの溶岩台地である


                 山行行程 (3泊4日) 2014.9.26〜29
  第1日目 予定歩行時間 7時間05分  (撮影+小休止 6時間13分) 

・・・05:41・・・・・・・・・・・・・・・06:53・・・・・・・・・・・・・・07:05・・・・・・・・・・・08:15〜08:27・・・・・・・・・09:30・・・・・・・
新穂高温泉 (1:10) 笠新道入口 (10) わさび平小屋 (1:30) 秩父沢 (1:15) シシウドヶ原  
・・・1100m・・・・・(1:12)・・・・・・・・・・・・・・(12)・・・・1400m・・・・・(1:10)・・・・・・・・・(1:03)・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・10:15〜11:18・・・・・・・・・12:09・・・・・・・・・・・・・13:09・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(1:00) 鏡平山荘 (1:00) 弓折乗越 (1:00) 双六小屋 (泊)
・・(45)・・・2300m・・・・(51)・・・・・・・・・・・・・(1:00)・・・・2600m・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ 
 第2日目 予定歩行時間 9時間50分  (撮影+小休止 9時間49分)

・・・04:56・・・・・・・・05:52〜06:00・・・・・・・・07:08・・・・・・・・・・・・07:38・・・・・・・・・・・・・08:31〜09:08・・・・・・・
・双六小屋
 (1:05) 双六岳 (1:25) 三俣蓮華岳 (30) 巻道合流点 (1:00) 黒部五郎小舎 
・・2600m・・・・・(56)・・・2860m・・(1:08)・・・2841m・・・・・(30)・・・・・・・・・・・・・・・(53)・・・2350m・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・11:14〜11:37・・・・・・・・・・12:21・・・・・・・・・・・・・14:12・・・・・・・・・・・・・15:53・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(2:00) 黒部五郎岳 (1:00) 中俣乗越 (1:20) 北ノ俣岳 (1:30) 太郎平小屋 (泊)
(2:06)・・・2840m・・・・・・(44)・・・・・・・・・・・・・(1:51)・・2661m・・・(1:41)・・・・2330m・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
 第3日目 予定歩行時間 9時間55分  (撮影+小休止 7時間52分)

・・・05:24・・・・・・・・・・・・07:40〜08:02・・・・・・・・10:17〜11:51・・・・・・・・12:42・・・・・・・・・・13:03〜13:17・・・・・
太郎平小屋 (2:20) 薬師沢小屋 (3:20) 雲ノ平山荘 (55) 祖父庭園分岐 (30) 祖父岳 
・・2330m・・・・・・(2:16)・・・1900m・・・・・(2:15)・・・2500m・・・・(51)・・・・・・・・・・・・・・・・(21)・・・2825m・・・・・・・

・・・・・・・・13:43・・・・・・・・・14:51〜15:20・・・・・・・・15:55・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(40) 岩苔乗越 (1:10) 鷲羽岳 (1:00) 三俣山荘 (泊)
(26)・・・・・・・・・・・・(1:08)・・2924m・・・(35)・・・2550m・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 第4日目 予定歩行時間 7時間40分  (撮影+小休止 6時間34分)

・・・05:28・・・・・・・・06:04・・・・・・・・07:23〜07:57・・・・・・・・08:59・・・・・・・・・09:29〜09:53・・・・・・・10:20・・・・・
三俣山荘 (40) 分岐 (1:40) 双六小屋 (1:10) 弓折乗越 (40) 鏡平山荘 (40) シシウドヶ原 
・・2550m・・・・(36)・・・・・・・(1:19)・・2600m・・・・(1:02)・・・・・・・・・・・・(30)・・2300m・・・(27)・・・・・・・・・・・・・・

・・・・11:01〜11:07・・・・・・・・・11:41・・・・・・・・・・・・・12:01〜12:19・・・・・・・・・・13:24・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(50) 秩父沢 (40) 小池新道登山口 (20) わさび平小屋 (1:00) 新穂高温泉 
(41)・・・・・・・・・(34)・・・・・・・・・・・・・・・・・・(20)・・・1400m・・・・・・・(1:05)・・・1100m・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回は山こじの登山史上最難関の挑戦だった「槍ヶ岳北鎌尾根」成し遂げ、ちょっと一休みの登山でも・・・。
物見遊山とは読んで字の如く、山岳風景を眺めに山に遊ぶ。 
それも最後に残された、北アルプス最奥の桃源郷「雲ノ平」をリッチな小屋泊で装備も軽くランランラン♪

・・・の予定だったのだが世間というか、下界では木曾の御嶽山が噴火をして大変な事になっていた。  

山こじの家族の慌て振りも例外ではなく、大騒ぎのてんてこ舞いをしていたらしい・・・。

それは兄が自分の息子の結婚式の事で、山こじの携帯に電話したことから始まる・・・。

兄    「あれっ電話が通じない! アイツどうしたんだ?」

続いてに電話をする。 

も最初は訳が分からず、「もしや登山に行っているのでは?」と、新妻ちゃんに電話をする。 

新妻ちゃん 「金曜日から登山に出かけていますよ♪」

母    「どっ何処の山? なっ何ていう山?」

新妻ちゃん「確か北アルプス方面ですよ。」

母    「おっ御嶽山じゃないの? 無事なの?? 連絡つかないの???」

新妻ちゃん 「大丈夫です。山こじは違う山に行っています!」

母    「御嶽山からどれだけ離れているの? 危険は無いの?・・・」

新妻ちゃん 「そんなこと言われても・・・。」

矢継ぎ早の電話攻勢にさすがの新妻ちゃんも参ってしまった。 

登山を趣味にしているならば、行った先が北アルプスの雲ノ平で木曾の御嶽山ではない事や、いちばん近い新穂高の登山口からでも何十キロ(御嶽山〜新穂高は約44キロ離れている)も離れている事が想像できるのだが、普通の人にはこの距離感は即答できない。 

このような経緯を知らない山こじは、好天に恵まれたの秋山34日の旅を呑気に楽しんできました。

 第一日目(926日 金)

 
                   新穂高Pから長い林道歩きを経て小池新道へ

台風17号が関東を通過するというので、「こりゃ明日は大雨で仕事は休みだな♪」

・・・と高をくくって前日から余裕を持った出発で、新穂高までの呑気なドライブを目論んでいたら・・・、

「仕事だから出てこいっ!」と電話。

しっかり呼び出され現場へ急行! 
天気も一日中持ち応え、目一杯頑張った疲れでヘロヘロの帰宅とあいなった。

しんどいけど、このまま布団に入ると仮眠どころか爆睡になりそうなので、仮眠無しの運転で新穂高深山荘Pに到着。(0330

 
              新穂高・深山荘P  次々と登山者が到着してくる

さあ少しでも眠ろうと横になるが、到着する車の騒音で寝付けない。 とうとう、仮眠もろくに出来ないまま外が明るくなってしまった。 
他の登山者がポツポツ出発し始めたので山こじも渋々スタート。(0541

いつもと同じ、いつものパターンで登山初日が始まる。
駐車場出てから5分ほどで、新穂高登山指導センターに着き、予め用意していた登山届をここで提出。 
多くの登山者は登山届の提出を知ってか知らずか、用紙にその場で書き込むので、カウンターが混雑している。

 
             新
穂高登山指導センター  入山届を出しましょう

 北アルプスに登山に来ているのだから、当然分かり切っている事!(怒) 

近所の低山のハイキングじゃないのだから自宅で作成してくればいいのにと思ってしまう。 
もしかしたら、家族にも登山の行動予定を詳しくは知らせていないのだろうか? 

ニュースで報じている御嶽山噴火の災害も、「まさか御嶽山に登山にでかけていたなんて・・・。」
                             
という身内や関係者の言葉を聞いた覚えがある。 

 自宅を出るときは家人に行先くらいは伝えるだろう!(怒) 

ましてや近所の公園なんかじゃあるまいし、北アルプス登山ですぜ! 
街中を出て携帯の電波や連絡の届かない山の中に入る以上、登山届の提出と家族や自宅に行動予定を知らせておく事は最低の義務だ。

  行く方も行く方、見送る方も見送る方で、
                     余りにも無神経だ!
 

 「明日の休日は山にでもいってくるかな、紅葉も見頃らしいし♪」

 「そうね。行って来たら、天気も良さそうだし♪」

・・・で、済む事なのか? 行先や帰宅時間なんかは気にしないのか!(怒)

何故そんなに怒っているのかって?
今までにも何度か言われていましたが、御嶽山の噴火のせいで、

             「もう歳なんだから、
           いい加減に登山をやめなさい!」

                                          
と言う意見が周りから再燃しております。

災害に遭われて亡くなった方々や怪我をされた方々にはお気の毒としか言えませんが、登山中の事故を未然に防ぐ為には、それなりにトレーニングをしている事が必要だと思う。
自分の場合、実年齢より1718歳位は体力が若い(タニタの体重計では3738歳と体内年齢が出ている)それでも、オジサンの年齢の範囲で若者には及ばない。 
万が一の事故とかは防ぎ様が無いけれど、出かける山域の為の必要な技術やトレーニングは欠かしたことが無い。 
そんな万が一という天文学的な確立の事故よりも、毎日の通勤でしている車の運転の方が危険度は遥かに高いと思う。
 
号などは鼻っから無視! 逆走・傘さし・スマホのゲームetc
      をしながら運転するチャリンコとの事故の方が無茶苦茶確率が高いと思う。
 

ドライバーは毎日が綱渡り、ヒヤリ・ハットの連続なのだ。 
梯子や手すりを掴んでい進む岩場などで、手が・・・もし滑ったら・・・、足を・・・もし滑らせたり躓いたら・・・。 

答えはもちろん「死」です。 あたり前の事です。 肝心要の所で絶対起こしたり仕出かしたりしてはいけない場所でのミスです。 
自分に限って言えば確率はゼロではないけれど、道の状況を把握しているつもりなので、かなり低い筈です。
万が一というレベルでの話なら、箸でつまんだ食べ物を口に運ぶのではなく眼や鼻の孔に入れたり、持っている飲み物を耳に注ぐようなものかもしれません。 
笑ってしまいそうですが、手を離したら落ちてしまう状況で手を滑らせるとは、高度なクライミングではない一般登山ではありえません。 

まっ、極まれに何をどうしたのか、信じてもらえるかどうか解りませんが・・・、

かつて、自分の運転しているローラーに轢かれるような珍事で
    
「狭山市の
レジェンドになる様なドジな奴」も、
                          
                          ほんとに極、極まれに存在しますが・・・・。
 
                                                      (coming-out ?)

 

さてさてホテルや旅館などがある舗装された道を皆と歩き、やがて左俣林道の入口ゲートに到着。(0603

      
         左俣林道入り口                      笠新道入口 

ここからは長い々林道歩きだ。 
ブナ林の中を森林浴をしながら快適な散歩道・・・ではなく、 蒲田川の河川工事や砂防ダムの工事を見ながらの日影の寒い道をズンズン進む。 
進行方向の右手には中崎尾根がせりあがってくる。 まだ陽が差していないのと、早朝の冷え込みも手伝って、チンタラ歩いていたので全然体は温まらない。
水がちょろちょろと出ている笠新道の入口を過ぎ、林道入り口から1時間程歩いてやっとわさび平小屋に到着。(0705

      
         わさび平小屋
                        小池新道入口

ここまでの林道歩きで一汗掻いてしまい、ザックを下ろした背中は汗で濡れてしまっていたが、暑いと思ったのもつかの間、すぐに寒気を催す気温だ。 
ここは標高1400m、さらに谷間を縫う様に続いている林道は早朝では陽射しが当たらない。 
引っ切り無しで動いていないと寒いくらいなのだ。たぶん関東の冬と同じくらいではないか?

小屋の前の冷たい水の中に浮かんでいるジュースや果物も、ひと月前なら喉を鳴らしてグビグビ飲むと美味かったのだろうが、すでに9月下旬だ。 
今日は見ているだけでも寒々しい。 他の登山者もベンチは使うが誰も小屋に気を使って飲み物を買う者などいなかった。 
山こじ
も喉が乾いていないので申し訳ないが、何も買わずに寒さに震えながら前夜の残りのハンバーガーを食しただけで出発。

さらに林道は奥へと続くが、前方に架かる橋の手前から小池新道が始まる。(0735
小池新道に入った辺りから、ようやく陽が差してきたと思っていたら、今度は暑すぎるくらいだ。 
丁度良いくらいがまったく無い! とほほ。


 
                 小池新道を詰め弓折乗越から稜線に出て双六小屋へ

小池新道小池潜さん(ワサビ平小屋・鏡平山荘・双六小屋・黒部五郎小舎の現オーナー)の父小池義清さんが開いた道だ。

作業の開始は1955年、完成は2年後の1957年(昭和32年)。当時50歳代前半だった義清氏がほぼ独力で行った。
新道開拓は手が込んでおり、可能な限り歩きやすい様にと、大きな岩を石畳状に平坦に敷き詰めた場所すらある。
双六小屋はもともと村営だったのだが、村議としても活躍していた義清氏が戦後の余波で荒れ果てていた小屋を買い取り、当時は新穂高温泉から見て、笠ヶ岳の真裏に当たる金木戸川〜双六谷を遡行するルートで、その行程も難所の連続で道は不明瞭、しかも登山口から丸一日以上歩かねばならなかった。 
義清氏は新道開拓の後、1963年に鏡平山荘を建設、開拓当時とは少しルートを変え、鏡平経由で弓折岳北側の稜線の登山道を整備し、ほぼ現在のルートを完成し新穂高〜双六小屋を一日で歩けるようにした。 
比較的穏やかで槍穂の景色も素晴らしく、何より北アの最奥の地に早く到達できる。 

額から汗を垂らしながら歩き、途中にある秩父沢の清流で一息入れる。(0815
さらに、イタドリヶ原0859)、シシウドヶ原0930)と紅葉の絶景ポイントを過ぎ、池塘もポツポツと見え始めた頃、鏡平山荘に到着。(1015) 

      
          
イタドリヶ原                         シシウドヶ原

朝のうちは寒いくらいだったのが、ここまでのガッツな登りと小池新道に入ってからは直射日光を浴びながら登高だったので汗だくだ。

しかし行動を止めると、すぐに体は熱を奪われ上着を着込んでいないと寒くてたまらない! 服を着たり脱いだり、温度調節が忙しい。 
山荘前のテラスの外ベンチで休憩している人の中には暖かいうどんを注文している人もいた。 
それもその筈、鏡平山荘の標高はすでに2300mもあるのだ。 
出来立ての暖かい食事が美味そうだが、わびしい行動食しか持ち合わせていないので全然体が温まらない。 
寒さで体を丸めながらも、景色に見とれる。 外のベンチからは座っていながらにして槍穂の稜線が間近に迫り、この絶景を逃さじと皆カメラ片手に撮影にと忙しい。 
この鏡平山荘は鏡池での水面に映る槍穂の稜線絶景が売りの好展望の地だ! 
山荘手前の鏡池の絶好の撮影ポイントではモニターを覘くと構図の中に座って休憩している人がいたり、混雑していたので諦めた。

      
       賑わう鏡池からの槍穂
                汗だくで到着した鏡池山荘

      
     
鏡池付近の池の水面に映る紅葉                 秋真っ盛り!

山頂の標識の付近もそうだが、他の人が写真を撮りそうな場所での休憩は遠慮するべきだろう。 
ここは諦めて帰路の撮影に期待するしかない。写真を諦めたのなら長居は無用!

さらに先を目指し出発。(1118

山荘付近や山肌の紅葉が素晴らしく、あちらこちらに眼を奪われるが、体感的には陽差しが直撃なのと急登のザレ道なので、どっと汗が噴き出る。
 
 「さっきまでの寒さはいったい何処にいったんだ?」 

今回は歩き方を意識して変えている。 
今まではグイグイのガッツ登山だったが、これまで山中で出会った山岳部出身者の歩き方やベテランの真似をして、ノンストップで歩き続ける。 
立止まっての小休止もしない。 渋滞でも足踏みをして行動を止める事はない。

何処の山岳部でも同じとは思わないが、彼らのほとんどが絶対に足を停めない。 
たとえ一歩が苦しくて半歩になってしまっても、前が渋滞で動けなくなっても、その場で足踏みをして待ち続け、休憩など摂らないし動きを止める事すらない。 
出発地点から次の目的地までは完全にノンストップだ。 
この様な歩き方は先輩からしごかれて身に着くのか、学校やクラブの伝統なのか分からないが、この「牛歩戦術」山こじにとってはすこぶる調子が良い! 

基本的に体力が無ければ出来ない相談だが、休まないので精神的に途切れることが無いのでダレたりしないし、スローテンポになっても結果的には早く目的地に到着できる。 
山こじの場合はその間、水もほとんど飲んでいないし、行動食も摂っていない! 
水を飲みたければ目的地まで頑張れ! 腹が減ったのなら次の目的地まで頑張れ! 
さすがに撮影ポイントだけは、510秒ほど止まるが、すぐにズンズンと歩を進めるのだ。 
足が速い事で有名な昭和初期の登山家、加藤文太郎もこんな感じで歩いていたのかもしれない。

50分間ノンストップで歩き、弓折乗越に到着。(1209

      
      紅葉に囲まれた鏡池山荘付近
               弓折乗越

ここまで来れば後は大したことはない。 
この弓折乗越から先は、一昨年の笠ヶ岳からの縦走ラインと被るので、双六小屋までは既知のコースだ。 
ここで休憩してる登山者に愛媛から10時間もの長距離ドライブで北アに登りに来ているド根性の強者がいた。 
彼とは二日後の三俣山荘でも再会する。
                                   (失礼!名前を聞いていませんでした。)

テン泊装備の愛媛の彼には悪いが、お先に失礼とばかりに先を歩く。
 
      今回は小屋泊の軽装備でザックも足どりも軽い軽い♪

      
       稜線を歩いて双六岳と再会                鷲羽岳と双六小屋

稜線を軽くアップダウンしながら、やがて鷲羽岳をバックにした双六池双六小屋が見えてきた。 
双六岳には明日稜線伝いで歩くので今日はパス! 初日の寝不足の疲れもあり、早々に手続きをして小屋に入る。(1309

小屋泊は夕食も食べ放題だし、近くに居合わせた単独のお姉さまとも仲良くなり、山談義で楽しい時間を過ごせた。

 第二日目(927日 土)

 
            双六岳に再訪し、いよいよ三俣蓮華と憧れの黒部五郎岳へ
 

今日は長丁場だ。 
双六小屋(2600m)から双六岳(2860m)・三俣蓮華岳(2841m)、黒部五郎岳(2840m)、北ノ俣岳(2661mと歩き、太郎平小屋(2330mまでの10時間コースなのだ。1日の行程が長いので出来るだけ荷を少なくし早く歩く必要がある。 
ちなみに今回の小屋泊はすべて1泊夕食+お弁当にした。 
さらに、コースに難しい所は無いので登攀道具などが必要無いし、テン泊装備や自炊道具も無い、ザックも軽い45リットルで済んだ。
 前夜からの寝不足とアルコールも手伝って完全に熟睡したみたいで、3時頃には目が覚めてしまったが、まだ他の登山客は熟睡中なので、迷惑が掛からない様に布団の上で足腰のストレッチをして時間を潰す。 
いよいよ今日からは初めての山域に足を踏み込む、新しい景色と感動に期待いっぱいだ。 
パッキングなど全ての準備を整え、節電の為にヘッデンが要るか要らないか位の頃合いで小屋を出発。(0456

      
        まだ暗い早朝に出発
                  なだらかな双六岳の稜線

双六岳への道はハイマツぐらいしか植生していないので熊の心配はなさそうだが、標高が下がってくると背の高い木々が増えるので心配だ。 
歩くほどに眼も暗闇いに慣れてきて、ジグザグの急登の道を汗を掻かない程度のペースで登る。 
急登をやり過ごし、もう一つ起伏を越えると、前方に双六岳の特徴的な丸い稜線が広がる。 
周囲がはっきり見える位明るくなった頃、意地悪くガスが湧いてきて景色をぼかすようになってきた。 これは日の出に伴う気温の変化だろう。 
なだらかな稜線歩きが終わりいよいよ頂上という頃、運良くガスが消え、雲のラインも下がりだし槍穂が顔を出し始めた。 
ここで日の出のシャッターチャンスをゲット!(0552

 
                双六岳の頂上にて最高の山岳劇場!!

今日は長丁場なので、頂上で山岳劇場に見入っている人達と別れ、次の目的地三俣蓮華岳へ!

朝日を浴びた周囲の景色に眼を奪われながら歩を進める。 
双六岳からちょっと下り、少し登リ返し丸山のハイマツに覆われた頂上を巻き、再び少し下っては、また登り返し三俣蓮華岳に到着。(0708
稜線歩きだからこれから歩く行程が丸見えで結構うんざりする。

 
         ハイマツに覆われた丸山の頂上付近から黒部五郎岳(左)、三俣蓮華岳(右)

三俣蓮華岳とはその名の通り、「長野・岐阜・富山」の3県の県境であり「信州・飛騨・越中」の国境でもあった。 
そして、黒部五郎岳・薬師岳を経て立山・剱岳立山連峰針ノ木・五竜・鹿島槍・白馬岳後立山連峰双六岳を経て西鎌尾根から槍穂の穂高連峰への分岐だ。

つまりは北アルプスの最奥地の交差点だ! 
頂上から西に黒部五郎岳・北ノ俣岳・薬師岳、と続き、北東には鷲羽岳・水晶岳・赤牛岳が取り囲み、その真ん中には最後に残された秘境「雲の平」の約4キロ四方の高原台地が広がる。 
一昨年は最奥の楽園と言われる高天原温泉から赤牛岳に抜けてしまったが、高天原は雲の平の端の部分を通過したに過ぎない。
今回はこの高原台地を見守るように並ぶ山々を踏破するのだ。

 
               三俣蓮華岳から見る雲ノ平、左奥に薬師岳

写真を撮り、水を一口含んだだけで出発! 黒部五郎岳に向かうには結構標高を下げる。
右側には黒部の源流が見える。 荒々しい黒部川も始まりは静かな瀞から始まる。 
三俣からの巻き道を過ぎ、やがて樹林帯に入る。 小屋の屋根がチラリと見えたが、そこからが長い! 
樹林帯をジグザグに高度を下げ、やっと黒部五郎小舎に到着。(0831

      
      アルペンムードの黒部五郎小舎
          待ちに待った双六小屋のお弁当♪

小舎は宿泊客が空身で頂上に向かったらしく人気は無いがザックは入口に並んでいた。
ここで待望のお弁当タイムだ♪ 小屋を出てから3時間半も経っていた。
この黒部五郎小舎双六系列なので、お弁当の包み紙には「双六山楽共和国」と印刷されている。 
こんな奥まった所の小舎では、あまり集客出来ないだろうと思ってしまう。

本日最初の自分としては長めの30分間の休憩を摂り、今回のお目当て「黒部五郎岳のカール」に向けて出発だ。(0908

 
                   素晴らしい黒部五郎岳のカール

小舎のある所は五郎平と呼ばれる平地で池塘などが点在している草原で、初夏にはお花畑になる。 
道はやがて灌木帯に入り、視界が閉ざされるが、抜け出てきた所は、カールの底だ。

 大きく両腕を広げているような岩壁の大伽藍! 

点在する大小交えた巨岩、この時期でも残っている雪渓からの小川が流れていたり、それは五郎沢右俣になり黒部源流に注がれる。 
景色も素晴らしく休憩にはもってこいだ。 バーナーでコーヒーでも淹れている登山者もいる。 正しく黒部源流コーヒーだ。 
うらやましいが小川の水をひとすくい飲んだだけでノンストップで進む。 


 
                      美しぎる黒部五郎岳カール

      
     カールまでの道は紅葉の真っ盛り!              カールから肩へ
      

やがて、カールの基部に着き、ここから右肩に向けて九十九折りの急登が始まる。 
じっくりジワジワと歩を進め稜線に上がり今まで大伽藍が目隠しをしていた、北ノ俣岳に続く稜線や遥か先に太郎平小屋であろう屋根が遠望できる。 
  
「まだまだあんなに遠いのか・・・。」

程なく、に着き(1100)、ザックを置いて空身で頂上へ。(1114
頂上からの景色も素晴らしく正面には雲ノ平、その先に鷲羽岳・ワリモ岳・水晶岳、足元には巨大な広がりを持ったカールが口を開けている。

 
  頂上からの景色、眼下にカール地形、中間に雲の平、奥に水晶岳(左)、ワリモ岳・鷲羽岳(中)

      
         黒部五郎岳頂上
                   頂上を後にザレ道を下る

 今日の宿の太郎平小屋が遠望出来て、明日通る予定の雲ノ平小屋の屋根が見え、明日の宿の三俣山荘まで見える。 

 「・・・やれやれ、今日の行程もまだまだ長いが、明日の工程も長いな。」

頂上からの展望を楽しんだ後、北の俣岳に向け出発。(1137

 まさにその15分後には・・・
 
(この日の1152分に御嶽山が噴火し、
      1017日捜索打ち切り時点で亡くなった方56名、行方不明者7名の大惨事になった。)


 
                 長くて辛い稜線歩きを経て北ノ俣岳、太郎平小屋まで

中俣乗越1221)、赤木岳を巻く、起伏を越え、北ノ俣岳に到着。(1412
2時間半以上のノンストップでの到着だ。

      
        裏から見る黒部五郎岳
                   風が強かった北ノ俣岳

 
             頂上から薬師岳(左)、雲ノ平(中央)、黒部五郎岳(右)

北ノ俣岳は別名上ノ岳で、黒部五郎岳は別名中ノ俣岳である。 
中ノ俣とは双六谷の事で、昔は小池新道ではなく飛騨の金木戸から登られていたからであろう。 
黒部五郎は人名ではない。 山中の岩場の事をゴーロという。 
五郎は宛字であり、黒部の源流の近くだから黒部のゴーロ、黒部五郎岳となったらしい。 
上高地で上条嘉門次老から教えられた中村清太郎画伯が明治43年(1910年)に登られた時に頂上に柱状の自然石が二つあって、その一つに薄れた墨で「中之俣白山神社」と書いてあったらしい。 
こんなに奥まっている山にも昔から祭神が祀られ参拝者がいたという事だ。 
近年、黒部五郎岳と名前が知られたのはこの時の登山記が初めてであり、画伯の功労であろうと深田久弥氏は言っている。

一方北アルプスにはもう一つ五郎の名前が付く山がある。 
こちらは燕岳から東鎌尾根を槍ヶ岳に向かう表銀座コースに対して、烏帽子岳や双六岳を経て西鎌尾根から向かう裏銀座コースと呼ばれる所にある、野口五郎岳だ。
名前の由来は五郎のゴーロは同じ意味で、野口はこの山が属する長野県大町市の集落が野口だからである。 
ちなみに芸能人の新御三家の一人、野口五郎という芸名は、この山に由来し、黒部五郎岳(2840m)より野口五郎岳(2924m)と山の名前使うのなら、より高い方の山の方が良いという事で決まったらしい。

北ノ俣岳の山頂は、雲の流れが速く、雲が切れると左が薬師岳、中央から水晶岳・ワリモ岳・鷲羽岳・黒部五郎岳と千両役者に囲まれた真ん中に雲ノ平という構図が見える。 
 北アルプスの最後の秘境と言われる地域の全貌だ!

頂上は風が強く時間も押してきているので撮影だけで即出発! 
太郎平小屋
へは全般的に下りで、2576m付近から池塘など植生の保護もあって木道歩きとなる。 
木道も長すぎると歩きにくいので、結構疲れるものだ。 
日没を心配しつつ、休憩無しの頑張りで二日目の宿、太郎平小屋に投宿。(1553

      
         太郎山の池塘
                       木道を歩いて太郎平小屋へ

同室の2人の地元富山の方から御嶽山の噴火を知らされる。 
秋の紅葉目当ての登山は自分と同じ目的なので、自分の無事を喜びつつも、亡くなった方々の不幸に胸が痛む。

 第三日目(928日 日)

 
     太郎平小屋から薬師沢に下り急登を登りつめるとそこは最奥の楽園「雲ノ平」

今日もお弁当を頼んであるので、小屋を早く出発できるのだが、ここから薬師沢に降りる道は熊との遭遇が怖いので、戸外も完全に明るくなって、皆が朝食を頂いている最中の出発となった。(0524

      
    
熊が怖いので明るくなってから出発              早朝の木道は滑るので注意!

同宿の人とは食堂の窓越しに手を振って別れを告げ、スタート。 
出発前にヤマケイから再版された「黒部の山賊」を読み、もちろん読まなくても太郎平から薬師沢小屋に向かう道が熊の棲みかぐらいは察しがつく。 
一昨年も歩いた道だが、特に第一渡渉点から先が怖い。
標高が低いので針葉樹と笹原の森が続く木道がひたすら続き、本によると、カベッケヶ原なんか格好の猟場だったみたいだ。 
脅かしに心を惑わされているようだが、一昨年も今回も木道のいたるところに熊の糞が見受けられる。 
熊だって歩きに行くい森の中よりも、木道が敷設してあれば、楽な方を選ぶに決まっている。 
熊より先に相手を発見しなければ危ないし、出合頭が一番いけない! 奥多摩での山野井泰史さんの事故は出合頭の遭遇だったらしいし・・・。

      
         第一渡渉点
                             薬師沢

今回は、ほとんど使ったことなど無い熊鈴を二つストックに着けて、歩くたびに音が出るように工夫し、首からはホイッスルをぶら下げてドキドキしながら歩いた。
他にもドキドキ要因があり、それは木道の上の霜だった。 
9
月も後半のこの時期の山は平地の初冬と変わらない気温だ。 水分を含んだ雨上がりの木道も注意が必要だが、霜はそれ以上の注意が必要だ。 
第二渡渉点の丸太を束ねた橋は最悪で、ここだけは河原に降りて渡った。丸太橋から滑って落ちると河原のゴロゴロした人の頭大位の岩がわんさかとある。
とても痛いでは済まされないし、発見されなければ熊の餌食だ。

      
       今にも熊が出そうだ
                      第二渡渉点 霜で真っ白!

薬師沢小屋の宿泊者であろう人達とすれ違う様になってきた。 
すれ違いざまに霜の降りた木道や丸太橋の危険に注意を促す。 

見覚えのあるカベッケヶ原を過ぎ、薬師沢小屋に到着。(0740

      
          
カベッケヶ原                     薬師沢小屋 いつかは泊まりたい♪

ここ薬師沢小屋は陽が差し込むのが遅いので、一昨年も今回も日陰で寒い。 
しかし、ここで食事をとらなければ、雲ノ平への道は急登なので、ゆっくりと食事など出来ない。

外のベンチの椅子も霜が降りていてビニールを敷いて座る。冷たいっ!
暖かい飲み物でも欲しいところだが、我慢して冷たい椅子に座り、冷たいお茶とちまき弁当を食して早々に出発。(0802

      
       太郎平小屋のお弁当♪
                     2度目の吊り橋

      
        絵になる薬師沢小屋
               今回は高天原温泉ではなく雲の平へ直登

吊り橋を渡り、手がしびれる位冷たい梯子を伝い、河原に降りる。 
一昨年も見た分岐の看板を今回は雲ノ平へと向かう。 大きなお世話だが直登と書いてある。

 
                 
・・・たぶん、これは道とは言わない(汗)

 「・・・むむむ、本当に直登だ。」 

道というよりは石が転げ落ちているところを攀じ登れという感じだ。 
雲ノ平が急登の壁に囲まれた台地というのは知っていたが、これほどキツイとは思わなかった。 
先行者を抜き去りゴロゴロ岩の溜りを踏み越え、休むことなく登り、ようやく陽が差し込み、勾配も緩くなり、植生保護の木道が見えた。 
木道が始まってからは勾配も無くなり、雲ノ平の台地を歩いているのがわかる。 
木々の重なりが薄くなり視界が開けてくると、そこはアラスカ庭園だった。

      
          
アラスカ庭園                         奥日本庭園 

命名者の伊藤正一さんによると

 
「どんなにいい景色も名前がなければ、
        
“あいい景色だ”で終わってしまう。
                  適当な名前があった方が良いだろう。」


・・・という事で、大石や池塘で形成され、バックの景色も素晴らしい場所を○○庭園と名前を付けたのだという。

この庭園を巡る様に木道が続き、雲ノ平山荘へと導かれる。 
ここでも木道の上には熊の糞が何カ所にも発見できた。 
皆さん注意して歩いてくださいね。 山荘到着。(1017

ここは360度の展望が利き、天気も最高なので絶景が堪能できた。 山荘でカレーライスを注文して大休止だ。
食堂で出会った登山者と談笑したり情報交換など楽しく時間を過ごした。

 
                 雲ノ平山荘へ続く木道、遠くに祖父岳

      
    初代山荘の建築に使用した丸鋸の刃      雲ノ平山荘にて(奥の彼とは三俣山荘で再会
 

ここで二つのルートの選択に悩む。 

パンパカパ〜ン♪・・・一つは「楽々へたれコース♪」・・・小屋から祖父岳を巻いて黒部源流の碑を見て三俣に登り返すコース。 
このルートだと一回下って登り返すだけで楽に早く三俣山荘に到着できる。 

もう一つは「男前のガチコース!」・・・稜線に忠実にアップダウンの激しい、登り甲斐のあるコース。

小屋で出会ったテン泊装備の若者

 「まだ昼じゃないですか。 
       自分は祖父岳から稜線伝いに鷲羽岳を越えていきますよ♪」
。 

彼より先に出発(1151)して道々悩みながら歩を進め、心の中の自分との葛藤・・・

 心の声 「お前が山に来たのは、山に登る為ではないのか?」

 山こじ  「そうだ!もちろんその通りだ。」

 心の声 「それじゃぁ、悩む事ないだろ。それとも小屋で宴会をする為に来たのか?」

 山こじ  「っいやっ、それもあるが・・・。(痛いところをつくなぁ〜)

 心の声  「今回鷲羽岳をパスすると次回の山行の行程にピストンで登らなければいけなくなるぞ!」

 山こじ  「うむむ・・・。」

                     と悩んでいるうちに祖父岳の分岐に到着。(1242

 「よ〜し!山は登る為にあるんだっ! ええいっ行っちまえ!

という弱い自分の心に打ち勝ち祖父岳へのゴロゴロの岩を登り始めた。 
祖父岳
は案外と楽に登頂(1303)出来たが、予想以上に景色が素晴らしかった。 
間近に、これから登るワリモ岳・鷲羽岳水晶岳迫り、昨日から歩いて来た、三俣蓮華岳から北ノ俣岳、遠くに薬師岳、槍ヶ岳も見える。 
今日の宿の三俣山荘の屋根がズームアップで確認できた。

祖父岳は展望の素晴らしさだけでも登る価値は充分にある山だ。

      
         
祖父岳への分岐                       祖父岳の頂上

 
             頂上からの展望  薬師岳(左奥)、赤牛岳・水晶岳・ワリモ岳

 
           
奥に赤牛岳、水晶岳(左)、ワリモ岳(二つのこぶ)、鷲羽岳(右)

さあ、眼の前のワリモ岳と鷲羽岳に向かって最後の頑張りだ!(1317
祖父岳から岩苔乗越に向かう。(1342


    鷲羽岳の頂上から稜線通しで歩いた、黒部の源流へは「へたれコース」でどうぞ♪

ここからも黒部源流の碑を経て三俣山荘に行けるが、ここまで来たら軟弱ルートなど関係ない! 
少し登ってワリモ北分岐。(1353

      
           岩苔乗越
                          高天原?へ続く道

      
   ワリモ北分岐 水晶岳(左)ワリモ岳(右)
             水晶岳は今回はパス

 この分岐を左に向かうと赤岳を経て水晶岳へ至る。この日は水晶岳で事故があったらしい。
撮影に夢中だった登山者が足を滑らせ滑落してなくなったらしい。 
たぶんカメラを構えたままファインダー越しに覘きながら構図を探っていたのだと思う。 皆さんも注意してください。

分岐から右に曲がり、ザレた道を登りワリモ岳へ。 
ちょっとのアルバイトで頂上の標識に到着。(1414) 
しかし、本当の頂上は少し岩場を登った所にあるので、きっちり攀じ登って頂上をゲット!  
                                             あ〜すっきりした

      
        ワリモ岳への稜線
                         ワリモ岳頂上

さあ残りは、本日最後の踏ん張り、鷲羽岳の登りだ。 確実に一歩一歩を踏みしめ、汗を掻き掻き、辛抱の成果ついに到着。(1451
祖父岳から炎天下のアップダウンをノンストップで1時間半くらいだった。

頂上からは眼下に鷲羽池が見え絶好の撮影ポイントだ。 三俣山荘も眼下に見えているので、皆余裕で寛いでいる。 
撮影を頼んだり頼まれたりでゆっくりまったりした時間を過ごせた。(1520

      
     
ワリモ岳頂上から鷲羽岳への稜線                鷲羽岳頂上

 
                     鷲羽池と素晴らしい景色

さあ、後は三俣山荘までの下りのみだ。 急でザレたジグザグの道を辿り、延々と下る。
一回だけ浮石で滑って尻もちを着いたが、大事には至らなかった。 三俣山荘到着。(1555

      
        
鷲羽岳からの下り                       下りの途中から三俣山荘

      
        黒部の源流を見下ろす                    三俣山荘

山荘の前で雲ノ平小屋で会ったテン泊の若者と出会う。 抜かれた覚えは無いのに彼の方が先に小屋に到着しているので聞くと、


 「祖父岳の頂上で撮影に時間を食っちゃって、
  岩苔乗越から三俣山荘への軟弱ルートに変更しちゃいましたアハハ♪」


 「こらっ! そそのかすから
       オッサンはガチルートを行っちまったじゃないか(笑) 
                    テントを建てたら外ベンチに集合だぞ♪

この様な経緯で、外のベンチにダウンを着込み集まった仲間は、
 @初日の弓折乗越で出会った愛媛の青年、
 A雲ノ平小屋で出合い、山こじをそそのかしたくせに自分は軟弱ルートで山荘に到着した東京の青年、
 B三俣山荘前で山こじが男軟派で引っかけた滋賀の青年

・・・と最終日なので酒もつまみも消化して荷を軽くしたい(♪)山こじ4人で大宴会となった。

しかし外は夕暮れともなると寒い。 各自ダウンなど着込んで飲み続けるが、小屋の食事の時間になると周囲には誰もいなくなってしまった。 
暫くしてまた人が表に出って来たと思ったら、食事を済ませた人達だった。皆はテント泊で、小屋泊は山こじだけだったので、急遽お開きにして、食堂へ向かう。 
食堂は既に「夜の部」になっていて、20時まではお酒が飲めるとの事。 スタッフに自分一人だけが遅れたお詫びをして食事を頂いた。 
メニューは「ジビエシチュー」ジビエ料理とは鹿の肉を使った料理である。 

近年ニホンジカの増加で高山植物が喰い荒らされ、問題となっております。 
南アルプスなどではすでに深刻な問題となっており、北アルプスでも鹿の害の足音が近づいてきております。 
これはオオカミ等をはじめとする天敵の喪失、また猟をはじめとする里山文化の衰退などが考えられます。 
シカの害で駆除さえたうちの、約1割ほどしか食肉にされていません。 
「増えるのなら、食べてしまえばいいじゃないか」と考え、皆様に賞味して貰いたいと思い提供させて頂いております。 
                                                         伊藤 圭

夜の部は、テントの人も呼んでいいと許可を得て、ベランダから顔を出し外で飲んでいる仲間に声をかけた。 

呑べえの山こじ
に付き合ってくれたのは、滋賀の青年の大下さんだ。

彼とビールはもとより地元の日本酒「大雪渓」などを飲みながら、いろいろな分野の話題で楽しいひと時を閉店時間いっぱいまで交わした。 
彼の本業はガラス工芸の芸術家で、全国の各地で個展を開いているそうだ。 山奥で芸術家と出会うなんて初めてだ。 
翌朝は3時出発で新穂高13時発のバスに乗るそうだが、早朝出発なのに悪い事をしてしまったかもしれない。

 4日目(929日 月)

 
                最終日は稜線通しではなく巻道ルートで双六岳へ

さすがに昨夜は飲み過ぎてしまい、顔がむくんでしまった。 
それでも4時頃には目が覚めて、最終日の歩きに向けてのストレッチをして時間を過ごす。 
そろそろ出発しようかと思い外に出てみると、稜線はモルゲンロートに染まり、それをカメラに収めるべく早起きの登山者が大勢出揃っていた。

その中には愛媛の強者も大勢に混じり早朝の山岳劇場に見入っている。 
埼玉の自宅から34時間で北アルプスに通える自分は幸せな環境なのだと思わなければならない。 
愛媛からの道のりとは3倍も違う。 だからこそ、苦労して来たアルプスなので余計に名残り惜しいのだろう。 
彼も今日は新穂高温泉に下山予定であるが、今夜は車中泊して翌日に焼岳を登ってから愛媛への帰途に向かうらしい。

山こじは贅沢な大名旅行なので、出かける前から予約していた栃尾温泉の「旅館おき乃」さんに投宿して、地元の料理と温泉で山旅の疲れを癒すつもりだ。 
前回の北鎌尾根の後のホテルで日帰り温泉ではできないリラックスに味を占めて、今回も下山直帰ではない。

 三俣山荘前の広場を抜けると、テン場が23カ所に分かれて点在している。(0528
ここのテン場は景色が良く、水はパイプから垂れ流し状態で豊富なので、今度来るときはテン泊も良い選択かも知れない。 
テン場を通り過ぎ三俣蓮華岳を見上げるとバンドが見える。 
復路は巻道を歩く予定なのだが、まさか巻道だものあんな高い所まで登らないだろう・・・と思っていたら、予想に反せず、しっかりその高さまで登らされた。

往路では双六岳の稜線に届く手前に巻道の入口があるのを確認しているが、たぶん猟師や三俣山荘などを作る時に使われた仕事道だろう。 
仕事で歩く道なら何も稜線に忠実にアップダウンを繰り返す必要はないからだ。 
初日に新穂高を基点に蒲田川左俣林道から小池新道を登ったが、もう一つ伊藤新道という山小屋を営む個人の努力で作られた道がある。

伊藤新道は現在、三俣山荘・雲ノ平山荘・水晶小屋などを経営しいる伊藤正一さんが私費で作った道だ。

黒部源流地帯の山小屋だけが下界から歩いて二日かかる距離にある。 
これは自分の小屋に物を運ぶのに途中の小屋に歩荷が往復世話にならなくてはならないことを意味する。

最初に富士弥(黒部の山賊の一人、遠山富士弥)に勧められ、三俣山荘から一日で湯俣へ下った時に、普通だと片道二日で下ったことを思った。 
しかし湯俣へ一日で下れるこのコースは、激流を30回以上も渡渉しなくてはならない。 
私は何としてもここに誰もが安全に片道一日で通過出来る道を作らなければならない、と決心した。

先ずルートを決めてから始めようと思って、最初から流れに沿って歩かずに、鷲羽岳の斜面に沿ってできるだけ下方に下ってから、赤沢の少し上流で湯俣川に合流して湯俣に出るというコースを作る事にした。
この道はルートが完成するまでに10年(昭和31年)、5本の吊り橋はその翌年に完成した。
この道はできてから10年近くの間は、ここを通過する登山者は1年に1万人近くに及ぶことが時々あったが、その後昭和44年の黒四ダムの事故(※)の時と同時に高瀬川も大洪水となり、湯俣温泉、葛温泉も流失し、伊藤新道の谷もこれ以上ないくらいに破壊された状況になってしまった。
現在では通るものはほとんど無く、この道を無くならせては残念と思い、毎年小屋じまいの時には従業員全員で下ることにしている。 
私はこの伊藤新道を復興させる希望を捨てていない

※昭和44年の811日洪水

 88日から9日の朝にかけて、県東部・黒部川流域の山岳地帯に100〜150oの大雨が降り、一旦小康状態となったものの、新潟県を北上していた前線が再び南下し、10日夜半から11日にかけ、山岳地帯に500oを超す豪雨が発生した。 
その後も雨は小康状態を保つものの降り続け結局、7日朝から12日の朝までの5日間で黒部の流域の総雨量は1000oを超え、記録的な豪雨となった。


二日目に双六小屋から双六岳、丸山、三俣蓮華岳と稜線伝いに歩いたので、2度も同じ所を歩く事もあるまいと復路は巻道ルートを歩く。
                                 (決してへたれルートではない!)

      
         巻道ルート分岐                巻道は稜線よりこれだけ低い所を歩きます

二日前に歩いた稜線を右手に見ながら進む。 朝日が眩しく直射なので結構暑い。 
たまに日陰に入ると涼しくてほっとするくらいだ。 

今回は小屋泊の軽装備という事で、1日の行程を長くして、雲ノ平を一気に周回コースで歩き通したのだが、歳は取りたくないものだ。 

7月に北鎌尾根の帰路は槍沢から横尾、蝶ヶ岳、三股と一気に歩いたのだが、蝶ヶ岳からの下りで古傷のある右膝を故障してしまった。 
その弱点を補強する為に、今回の登山に際しスクワット(左右交互に片足スクワット100回)などで足腰を鍛えたつもりだったが、今度は右太ももが上がらなくなってしまい、2日目からは鎮痛剤を服用しての稜線歩きだった。 
(ロキソニンという強力な鎮痛剤が2時間位しか効かなかったが、何とか無事に歩き通す事が出来た。)

そんな訳で少しでも楽に下山出来るコースを選んだのだ。 
前方に見える双六岳が次第に近づき、稜線のラインを右手に見るように巻道を行く。

      
       
巻道ルートも紅葉真っ盛り!             三俣蓮華から歩いてきた巻道

やがて見覚えのある往路の時に確認した指導標だ。 ここから急登を下りきれば双六小屋だ。 双六小屋に到着。(0723
三俣山荘から2時間程歩きづめで、やっと待ちに待った朝飯だ♪   

三俣山荘のお弁当はこちら・・・。

 
                      
三俣山荘のお弁当♪

名残惜しい鷲羽岳を充分に眺めつつ美味しい食事を済ませ出発だ。(0757

      
       名残惜しい北ア最奥の秘境
                  双六池から遠くに笠ヶ岳

昨年泊まった懐かしい双六小屋のキャンプ地の横を歩く。 キャンプ地は風の抜け道で展望が利き、遠くに笠ヶ岳が見える。 
キャンプ地を過ぎると木道になり、その後はハイマツの小路を稜線伝いに進む。

シーズンの終わった何も咲いていない花見平を抜け小さなアップダウンを登り切った所で視界が開けた。
 
 前方に乗鞍岳と木曾御嶽山が見えた。 ズームアップすると噴煙が確認できた。 
同じ時期に山の紅葉見物が目的の登山だった多くの人が突然の噴火で亡くなった。 
・・・お気の毒としか言えない。 気をつけようにも噴火だけはどうしようもない。

      
      シーズンの終わった花見平
             遠くに(50キロ位?)御嶽山の噴煙を確認

弓折乗越を通過して鏡平山荘に到着。(0929) 

      
          弓折乗越
                       3日前より紅葉が進んだ鏡池山荘

 
                      鏡池からの構図はこれで決まり!

相変わらず多くの登山者が休憩して景色を眺めている。 
鏡池
ではオッサン達が撮影していたが彼らの後ろから構図を決めていると場所を開けてくれた。 
オッサン達は鏡池からの水面に移る槍穂の稜線という構図を知らなかったみたいで、「撮影ポイントはもっと後ろですよ♪」と言うと山こじの横から眺めて、初めてガイド本などの構図を思い出したみたいだ。

撮影だけ済ませ、更に先を急ぐ。(0953

シシウドヶ原、イタドリヶ原と過ぎ秩父沢でやっと一息入れる。(11011107

さらに先を急ぐが、やはりここで右太ももが上がらなくなり、躓きそうになる。 
鎮痛剤を飲みながらも頑張り、小池新道から林道に入ってわさび平小屋に到着。(1201

ここで、とうとう諦めた。 
何を?って、三俣山荘3時に出た大下さん新穂高で再会できるかも・・・と思い飛ばしてきたが、林道歩きが1時間とすると、新穂高13時には到着できない。 
諦めてついでにゆっくり休んだ。(1219


 
                    北アルプスの秋は短い・・・

林道もゆっくり歩き、新穂高到着。(1324
駐車場で4日間待ち続けていた、愛車を見た時に、今年の登山も無事に終了したと感じた。

 

<下山後>

 

汗を掻いた服を着替え、「さあっ〜、お昼ご飯だ♪」と、車を走らせたときに携帯が鳴った。 
姪からの電話だったのだが、冒頭で書いた通りの大混乱で、我が家族はとっても心配をしていたようだ。

道の駅で土産を買い、その近くが予約していた「旅館おき乃」さんだ。 
投宿して女将さんと話をしたら、やっぱり御嶽山の噴火の話題で持ちきりだった。 
この地区は上高地の焼岳の噴火災害の対象エリアになっている。 良くも悪くも火山の噴火は自然災害だ。

鏡のような美しい水面に雄大な穂高の姿を映す大正池も、1915年(大正4年)66日の焼岳の大噴火により噴出した多量の泥流が梓川を堰留め、水没した林は幻想的な立ち枯れとなり神秘的な風景を映し出す。 いまや上高地の代表的な風景だ。

火山があるから温泉が湧く。 下山後の何よりの楽しみはやっぱり温泉だ! 
4
日振りの温泉でゆっくり疲れをと垢を落とし、
                もう一つの楽しみの飛騨牛と岩魚でビールを飲む♪
                             最高に贅沢な山旅を満喫できました。 

さあ来年の登山に向けてトレーニング再会だ! 足腰のトラブル克服と強化!!

 波平の歳になっても、腹筋を割るのが目標だ!?


      
      独りには広いお部屋♪                     下山後の温泉は最高だ♪

      
      グビグビッと飲みました♪♪♪                飛騨牛も並ぶ夕食♪

      
      朝食には郷土料理 朴葉味噌            「旅館おき乃」さんお世話になりました