2016.7.30~8.3
山こじ通信vol.47
  読売新道再び、裏銀座縦走

 
                          烏帽子岳(2628m)

  

                山行行程 (4泊5日) 2016. 7.30~ 8. 3         
  第一日目  予定歩行時間 5時間40分  (撮影+小休止 5時間30分) 

・07:30・・・・08:00・・・・・・・・・・・・・・11:32~12:10・・・・・・・・・・・・・・12:18・・・・・・・・・・・・・・・・・・14:16・・・・・・・
・・扇沢・・・黒部ダム・・・(3:40)・・・平ノ小屋・・・(渡船)・・・平ノ渡し場・・・(2:00)・・・奥黒部ヒュッテ
・・・・・・・・・・・1410m・・・・・(3:32)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(1:58)・・・・・1500m・・・・・・・
 第2日目  予定歩行時間  9時間50分  (撮影+小休止 9時間57分)

・・・・04:13・・・・・・・・・・・・・・・・・・10:19~11:00・・・・・・・・・・・14:11・・・・・・・・・・・・・・14:51・・・・・・・・・・・・・・・・
・・奥黒部ヒュッテ・・・(6:30)・・・赤牛岳・・・(2:50)・・・水晶岳・・・(30)・・・水晶小屋・・・・・・・・・・・・・・
・・・1500m・・・・・・・・・・(6:06)・・・・2864m・・・・(3:11)・・・・2986m・・・・(40)・・・・・2900m・・・・・・・・・・・・・・・
 第3日目  予定歩行時間  5時間20分  (撮影+小休止 4時間 7分)

・・・05:30・・・・・・・・・・・・・・06:57・・・・・・・・・・・07:44~08:41・・・・・・・・・・・・09:50・・・・・・・・・・・・・10:34・・・・・
・・水晶小屋・・(1:50)・・分岐・・(1:00)・・野口五郎小屋・・(1:30)・・三ツ岳・・(1:00)・・烏帽子小屋
・・・2900m・・・・(1:27)・・・・・・・・・(47)・・・・・・2870m・・・・・・・・(1:09)・・・2844m・・・(44)・・・・・・2550m
 第4日目  予定歩行時間  7時間50分  (撮影+小休止  7時間27分)

・・・04:25・・・・・・・・・・・・05:12~05:23・・・・・・・・06:19・・・・・・・・・・07:32~07:42・・・・・9:36~9:46・・・・・・・・
・・烏帽子小屋・・(50)・・烏帽子岳・・(1:10)南沢岳・・(1:30)・・不動岳・・(1:50)・・船窪岳第2ピーク・
・・・2550m・・・・・・(47)・・・・2628m・・・・(56)・・・2625m・・(1:13)・・・2595m・・(1:54)・・・・・2459m・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・11:01・・・・・・・・・・・・・12:23・・・
・・(1:00)・・船窪乗越・・(1:30)・・船窪小屋
・・(1:15)・・・・2190m・・・・(1:22)・・・2450m・・・
・ 
 第5日目  予定歩行時間  3時間30分  (撮影+小休止  2時間41分)

・・・06:19・・・・・・・・・・・・・・・・・・09:00・・・・・・・・・・
・・船窪小屋・・・(3:30)・・・七倉山荘・・・扇沢
・・・2450m・・・・・・(2:41)・・・・・・1100m・・・・・・・・・
・ 


ここ最近の5年間は北アルプス通いを続けていた。
今回は自分にとっての北アの空白部分、裏銀座を訪問した。

本来ならば裏銀座を縦走した後は湯俣晴嵐荘葛温泉に降りて温泉で寛ぐ・・・のがオッサンには最高な山旅なのだが、この6月の大雨で高瀬川の流れが変わってしまって渡渉不可能な状態らしい。
なんでも稜線から降りてきた登山客は泊まるどころか川向うにさえ行けない現状なので、晴嵐荘は今だに営業すら出来ず、復旧の見込みも付かない状態らしい。 

ネットで情報を集めた結果はこうである。

大雨以前の高瀬川は下流に向かって川幅の右岸側の半分に水が流れていて、左岸側は堆積した河原で広いスペースがあり建物の前はテン場や露天風呂があった。
だから高瀬ダムから湯俣に向かうと右岸を歩いて行き、つり橋を渡って晴嵐荘の前のキャンプ場や露天風呂のあった場所を横目に建物に至るのだ。
しかし大雨の後は川の流れがインカットしてしまい、建物のすぐ脇を川が流れ、左岸側の露天風呂もキャンプ場も跡形もなく流されてしまった。
右岸側のつり橋は壊され、その下には以前の本流は無く河原の石がゴロゴロしているだけだ。
(稜線上の竹村新道の分岐には「下山しても渡渉が出来ないため通行止」の看板が出ていた)

そのような訳で、今回のコースは黒部ダムから平ノ渡し奥黒部に行き、2013年の奥黒部訪問の時には土砂降りで展望のなかった読売新道を登り返すという年甲斐もない暴挙(?)に出て、水晶岳から裏銀座縦走を経て七倉に降りる計画とした。

 
 730日(土)

 

                    第1日目は黒部ダムから平まで・・・

 本当は先週の出発予定だったのだが、仕事の都合で、1週間遅れてしまった。

関東地方の梅雨もやっと明けたばかりで昨年以来の登山だ。
今回はそろそろ(?)年齢という事もあり、さらに水晶小屋にテン場が無いという事も重なり、4泊の全てが小屋泊のリッチな山行きである。
                      (衰えた体力は金で補う(^^)

ザックも45ℓでそれなりに軽量だから、衰えてきた足腰には優しい。
足元は西穂~奥穂の予定で新規購入したガラモントのアプローチシューズ、ソールはビブラム新開発のメガグリップだ。
永年の山行きで苦労を共にしてきたゴローのS8と比べると軽量過ぎて少々不安だが、軽快登山の装備で稜線漫歩と洒落てみたい。

 0時に自宅を出発し、いつもの圏央道~中央道を走り、安曇野ICから扇沢有料Pに到着。
最下段の有料Pに停め、730分の始発のトロリーバスで黒部ダムに向かう。(0800

この黒部ダムの堰堤から見渡せる限り最奥の赤牛岳・水晶岳までの山旅の始まりだ。

   
     いつもながらの寝不足のスタート      目指す奥黒部方向は見えない

   
        かんば谷橋                 タンボ沢

   
       
御山谷                              

タンボ沢御山谷と順調に桟橋を渡る。これらの橋は冬の間に壊されるので毎年シーズン前に整備される。

2013年の奥黒部訪問の時にも歩いたダム湖周囲の長くて辛い行程が始まる。
ダムの周囲の道は以前、ほぼ水平道だったらしいが大雨で崩れたり、尾根を回り込んだりする為に、丸太の梯子や桟橋の連続で、アップダウンが多くて非常に疲れる道だ。
以前に平ノ小屋からダムまで雨の中、辛く長い道のりを歩いた記憶が蘇る。しかし奥黒部に行く為には仕方がないのだ。


   
        普通に山道かと思いきや・・・           高巻の梯子が出てくる々

遊覧船乗り場からは誰もいない山道を黙々と歩く。
8時の黒部ダムの出発から、12時のの渡船時間までに間に合わせるべく頑張って歩いてきたが、ここで問題が発生! 

   
        三連橋の一つが流失!                  中ノ谷

昨日来の大雨で平ノ小屋の手前の中ノ谷の丸太橋が流されていて、渡渉しなければならないらしい。
途中で出会った登山者は「腰まで浸かってしまったぁ~」とか、ジャンプ一番跳んでみたが、「片足は水に浸かってしまったぁ~」とか言っている。

覚悟して進み、現地に着いてみる(1100)と、連の丸太橋の手前の一つが失われている。

56人の登山者が座って思案しているのか、誰かの水没を期待しているのか(?)、流れを前に休憩をしている。
水量は大したことはないが、靴の脱ぎ履きなんかで時間を食ってしまったら12時の渡船に間に合わなくなってしまう。 
どこか飛び石伝いに渡れるところはないかなと上流を探してみたら、30mほど上に簡単に渡れる所を発見! 

チョチョイのチョイで渡渉完了!!

やっぱり簡単に諦めずに観察することが肝心である。
           困難は克服しなければならない!1104

あまりにも簡単に通り過ぎたので、濡らしてしまった靴下を絞りながら見ていた登山者は呆気にとられていた。
自分と同じ様に着水するのを期待していたのだろうが、そうはいかない。(愉快愉快(^^♪)

渡ってしまった後も新しい登山者が橋の流失を目の当たりにしては悩んでいるのが、尾根を回り込むまで遠望できた。
               (皆さん、よ~く観察すれば渡れますよ~)

ほとんど休憩も取らずに歩き通したので、平ノ小屋には余裕で到着。(1132

   
      平ノ小屋、渡船業務もしている              山こじ貸し切り?

ここでやっとコンビニのおにぎりで昼食を取ることができた。休んでいる登山者と会話を楽しみ、やがて渡船時間がやってきた。

小屋主で船長の佐伯覚憲の計らいで中ノ谷の渡渉で時間をロスしている人も多いだろうとの事で、渡船時間を10分遅らせてみた・・・が、結局は自分1人だけの船の旅となった。 
ダムから平ノ小屋までの4時間での走破は一般ハイカーには少々キツイみたいだ。
しかし12時を乗り過ごすと次の渡船は2時間後なので、待ち時間が多すぎる。ここは頑張って歩くしかない!


 
                   ・・・平から渡船して奥黒部ヒュッテ(泊)

静かな黒部湖を渡船して平ノ渡し場に到着。(1218) 
こちら側にも船を待っている人はなかった。行きも帰りも独り占めの船の旅だ。

          
         黒部湖渡船中                  一人で貸し切りも船賃無料です

   
    すごく手が込んでいる桟道          こういう所もある 

さて黒部側に渡っても道が楽になることはない。相変わらず丸太の桟道のアップダウンは続き、東沢谷出合まで、長くて辛い道が続く。
毎年、雪崩や地盤の崩壊があり、道の整備が大変だ。もしかしたらシーズン中も整備し直しているかも・・・。
2013
年の崩壊箇所も形を変え桟道が作られていた。


   
       2013年の桟道崩壊箇所                2016年の整備済み箇所

   
     奥黒部ヒュッテは近い♪            東沢谷の橋  

   
           テント場                 奥黒部ヒュッテ 

見覚えのある、東沢谷の橋を渡り、砂地のテン場を過ぎ奥黒部ヒュッテに到着。(14:16)
管理人の佐伯三成さんと再会して、前回の危険個所のアドバイスのお礼を言った。

 

                寝不足の登山初日の御褒美はこれっ!(^^♪

この後、同宿の人達と宴会で盛り上がり、風呂にも入りさっぱりして爆睡した。
                (年々夜通しで車を走らせるのが辛くなってきた)

 731日(日)

 

           第2日目は奥黒部ヒュッテから赤牛岳(2864m)・・・

 今日は読売新道の試練の激登りなので、早発ちである。
標高差1364m2864m1500m)登りのガイドタイム630、下りのガイドタイムでも400の長丁場なのである。
巷では「マゾ尾根」とも言われている。 

前回2013年の嵐の中、高天原温泉から温泉沢~赤牛岳~奥黒部ヒュッテ迄を下った時には、血尿が出たほど疲労困憊になってしまった。
今回は、そのコースを自虐的にも登り返すという恐れを知らぬ暴挙に出ているのだ。
雑誌などの評判では「延々と続く急登」だとか「困難で長大な尾根」とか、厳しさ褒める美辞麗句を欲しい儘にしている読売新道よ、やってやろうじゃねぇか!

               (アラアラ、年甲斐のないおっさんだ事💛)

外は真っ暗で小屋番の人も寝ている。同室の人達を起こさぬように、静かに部屋を出る。
標高1500mの外は寒い!一枚羽織りたいが、直に汗だくになるのでそのままスタートだ。

樹林帯の中なので、クマとの遭遇が怖い! 
出会ってしまったら「こんにちワっ♪」で勘弁してくれるかなぁ???

ヘッデンをつけて、いざ出陣!! (0413
 
 
                
クマが怖い早朝のスタート

この読売新道(名前の由来は1961年に読売新聞社が北陸支社の開設を記念して開いた登山道。水晶岳から赤牛岳を経て、黒部川東沢出合まで延びる長い尾根である。)

目印として1/88/8の標柱赤牛岳の頂上迄設置してある。良い目安になるが、そのうち、あまりの長さに睨み付けて登るようになる。 
歩き始めて30分もすると、辺りの景色がハッキリしてきてライトの必要がなくなってきた。 
早朝の標高1500m1600mの高さでも鬱蒼とした樹林帯なので、爽やかな風も通らず、全身びっしょりの汗をかく。

/8に到着。 (0504

以後、2/80547)、3/80634)、4/80734)、と通過。
各地点では5分ほどの休憩とゼリー食品などでエネルギーの補給と水分の摂取に努めた。脱水症状経験者としては防御策として懸命な措置だ。

   
       先ずは1/8                   2/8

 
  
         3/8                     4/8

4/8地点(2356mで、ついに鬱陶しい樹林帯から抜け出し青空の下に出て、黒部ダムが遠望できるようになる。
前回は視界が10m程度の嵐の中だったので、この素晴らしい景色が何も見えなかった。
しかし今度は直射日光の攻撃を受けることになる。(頭頂部にきびしい!!)

   
       黒部湖が見える               樹林帯を突破   

5/8地点には雨量計が設置してある。奥黒部ヒュッテの小屋番さんが定期的にデータを回収に来ているらしい、ご苦労なことです。

6/8地点(2578mピークの小広場)から8/8までは、頂上も近いことでもあり、ノンストップで景色を堪能しながら歩く。 
稜線から右は立山から五色ヶ原・スゴ乗越~薬師岳~雲ノ平と続き、左は明日歩く予定の野口五郎岳から三ツ岳~烏帽子岳の稜線。
後ろは歩いてきた長くて辛い読売新道の尾根、その先には黒部ダム
晴れていたら最高の景色が広がっていた。2013年の時には何も見えなかったが、このような素晴らしい景色が広がっていたとは・・・。

   登り返して本当に良かった!!

山渓にも載っていたが、お金は出したかもしれないが無粋な某新聞社の名前ではなく、「赤牛尾根」とか「奥黒部尾根」とか、地名に因んだ名前のほうが良いと思うのだが・・・。


(ナベツネさんじゃ無理だろうなぁ("^ω^)・・・)

 
                  ・・・赤牛岳から水晶岳(2986m)を経て水晶小屋(泊)

格闘6時間!遂に赤牛岳頂上に到着、読売新道を登り切った。(1019
今日の行程の大半を終えたので頂上で昼食がてらの大休止だ。景色が素晴らしい♪

   
      
2013年の赤牛岳山頂            2016年の赤牛岳山頂


   
       補給エネルギー             
奥黒部ヒュッテのお弁当

じっくり休んで頂上を後にする。(1100

登ってきた赤牛岳を振り返ったり、左右の景色に見とれながらの稜線漫歩だ。
見覚えのある温泉沢の頭付近からは、楽しかった高天原温泉が遠望できた。正面には目指す水晶岳が大きく迫る。やっぱり登山は晴れの日が一番だ。(1303

 
                    高天原温泉

   
      
2013年の温泉沢の頭            2016年の温泉沢の頭

 
           水晶岳(2986m)かつてザクロ石や水晶を産出していた

   
         雲ノ平                頂上をロックオン!

 
                          水晶岳頂上 

水晶岳頂上到着。(1411

   
       山頂より水晶小屋             今日も無事ゴール

水晶小屋は小さな小屋(30人)でいつでも満員が当たり前、布団1枚に2人は普通の事なのだが、ラッキーなことに隣が空いていて今夜は2枚に3人で眠ることが出来た。
夕食は2回戦でカレーライス(お代わり自由)だった。

  81日(月)

 
   第3日目は水晶小屋から竹村新道分岐を通過して、野口五郎岳(2924m)を経て烏帽子小屋(泊)

今日は楽勝コースなので、同宿の人達と御来光の山岳劇場を楽しみ出発。(0530

 
                素晴らしい・・・ 

 
          昨日歩いた赤牛岳(右奥)から水晶岳(中央)の稜線

 
           
2014年に踏破した槍ヶ岳・北鎌尾根の雄姿

   
        東沢乗越                ガラガラな所もある

水晶小屋(2900m)からいきなり急降下して東沢乗越(2734m)、小さな祠がある。

 
                東沢乗越(2734m)の祠   

 
        東沢乗越の反対側はワリモ沢を経て湯俣川になり高瀬川へ注ぐ

ガラガラの道を進み、竹村新道の分岐に出る。
「下山後渡渉が出来ない為、通行止め」
と書いてある。(06:57)

   
       真砂岳(2862m)              竹村新道分岐

山の天気は変わりやすいものだ。さっきまで見えていた山々が下から湧いてきたガスであっという間に見えなくなってしまう。
これは朝日が昇った後、平地や谷の部分の地表が暖められて上昇気流が発生しガスが昇ってきてしまう為だろう。
もう少し時間がたてば山の地表部分の温度も上がって、ガスはさらに高く上がり雲になる筈だ。

そのような訳で野口五郎岳(2924m)に到着した時には、山頂はガスの中で真っ白だった。(0733

野口五郎岳の名前の由来は北東の野口集落(大町市野口)から見えるゴーロ・ゴーロした大きな石の山から来ていると言われている。
因みに黒部五郎岳(2840m)は「黒部にある石がゴロゴロしている山」の意味。
我々が若い頃、新御三家で人気を博した歌手の野口五郎氏の芸名は同じ五郎なら標高の高い方をと言う事で選んだらしい。

   
          野口五郎岳山頂                    野口五郎岳(2924m)     

   
     野口五郎小屋(2870m)         ガスが晴れてきたので出発

山頂からすぐに野口五郎小屋に到着。(0733)この小屋と今夜の宿の烏帽子小屋の御主人とは兄弟である。
(長男の上條雅弘さんは葛温泉高瀬館
             次男の文吾さんは烏帽子小屋、三男の盛親さんが野口五郎小屋
宿泊しないお詫びと、小屋を守る苦労話など聞きながら休憩をする。
何しろ今日は楽勝コースなので、時間はたっぷりあるのだ。 
休んでいるうちにガスも晴れてきて展望が効くようになってきたので出発。直射日光がキツイのだが景色は最高! (0841

三ツ岳は基準点だけなので通過。(0950

 
              三ツ岳(2845m)を越えて

   
      高瀬ダムが見えてきた            烏帽子岳が見える  

 
         ズームすると烏帽子岳2628m(左)とニセ烏帽子岳2605m(右)

急斜面の白砂のザクの道を降りる。展望の良い稜線の道が続く。

明日登る烏帽子岳や今夜の宿の烏帽子小屋が見え、花崗岩がマサ状(蜂の巣風化)になった登山道の脇にはコマクサなどが咲き誇っている。

小屋の手前のひょうたん池が見えてきた。池を取り囲むように整備されたテン場が続き、烏帽子小屋に到着。(1034

   

       ひょうたん池とテント場                    ロケーション最高!!

   
      烏帽子小屋(2550m)        早過ぎる到着で少々気恥ずかしい

こんな早い時間に宿泊の手続きをしたのは初めてなので少し恥ずかしいが、明日の行程が厳しいので、今日は安息日と決め込む。
水晶小屋で作ってもらったお握りは男性のスタッフが作ったのか、ものすごく硬くて食えたものではなかった。
(半分餅に近い状態だ)しかし山の稜線上なので、贅沢は言えない・・・からビールで流し込んだ。

   
     水晶小屋のお弁当          
見た目は良いお握りだが食感は五平餅?

    
           綺麗なお花畑                  とにかく小屋の周りが綺麗

 
          昨日登った読売新道の稜線(奥は薬師岳2926m)

時間が早く誰も話し相手がいないので一人歓談室でビールを飲みながら漫画を読んだり時間をつぶしていると、午後2時を過ぎた頃から激しい雷雨が降ってきた。
ものすごい土砂降りで雷も鳴ってきた。小屋に常駐のパトロール隊員が未到着者をチェックしている。

やっぱり山は早発ち・早着きが肝心だ。

雨は夜半まで降っていた。今夜も布団は一人一枚を確保でき、熟睡できた。

 

 82日(火)

 
  第4日目は烏帽子小屋から烏帽子岳(2628m)・南沢岳(2625m)
                              ・不動岳(2595m)・船窪岳(2459m)船窪小屋(泊)

今日は憧れの船窪小屋に向けて歩くのだが、登山道の崩壊が激しい箇所やアップダウンの続くハードなコースだ。
早い時間に烏帽子岳の山頂を登り切ってしまうべく、早発ちだ。(0425

   
  今日のコースは厳しいので早発ちです      ニセ烏帽子岳(2605m)山頂から 

 
                 
烏帽子岳(2628m)

 
             山頂アタック途中からの朝日(05:01)

   
       攀じる
・・・                          トラバース・・・

   
   お助けロープで("^ω^)・・・
               山頂へ(05:12)

烏帽子岳はさすがに格好が良い!ちょっとした鎖場があったが大した事はない。
面倒がらずに山頂は極めた方が良いと思う。出発の前に
お握りを一つ食する。

 
             烏帽子岳の裏側から烏帽子田圃

 
                      前方には南沢岳(2625m)

烏帽子岳の後ろからは烏帽子田圃と呼ばれる爽やかな草原と、四十八池と呼ばれる湖沼が点在する山上の楽園だ。

南沢岳(2625mを登っている途中からガスが出始めて山頂に着いた時には、展望は効かなくなってしまった。(0619

 
              殺風景な南沢岳山頂(2625m)

   
      
不動沢の崩壊箇所               毎年、登山道の付け替えを強いられる

ここから勿体ないくらい急激に下り南沢乗越になり、さらに登り返して不動岳(2595mに到着。(0732
烏帽子小屋で朝食を食べられないのでお弁当(お握り×2ケ)を2人分作ってもらった、小まめに食する。休憩10分間。

    
   南沢乗越からの登り返し           不動岳(2595m) 疲れた
・・・

昨夜の土砂降りのせいでグチャグチャになった道を、びしょ濡れのハイマツや樹林帯に体を擦り付けながら下っては登り返すの繰り返し。
雨と汗で合羽の中も外もびしょ濡れになり、新調した靴も浸水してきて自棄になってしまう。
しかし気力を振り絞り、崩壊地や梯子などでは冷静さを取り戻しながら慎重にアップダウンの厳しいルートを進む。


   
     崩れたばかりの崩壊地           
船窪岳第2ピーク(2459m)

船窪岳第2ピークでさすがに腹が減ったので残りのお握りを食べ、10分間休憩。(09:36

さらに梯子や桟道、ロープを頼ってのアップダウンや痩せた尾根の崩壊地を通り、やっと船窪岳に到着。(1049

   
     ロープ頼みの下り          ガラガラの急斜面の上にさらに梯子が

    
   サルなら平気だと思う桟橋             痩せた尾根(渡る前)

   
     痩せた尾根(渡った後)             船窪岳山頂?     

今度は急激に下り・・・、さらに下り・・・下り過ぎだろうと思っていた時に、やっと船窪乗越の看板を見つける。(1101

 
                 船窪乗越 今度は針ノ木谷を遡行してきたい

乗越なので当然次は登りが始まる。
船窪乗越の標高は2190m位だから船窪岳から260m近くも下って、今度は船窪小屋2450mまで同じくらい登り返すのだ。
                         (何という残酷なルートだ)

どれくらいアップダウンを繰り返しただろう・・・。
しかし、もう小屋は目の前だ。黙々と雨に打たれながら歩を進める。

やがて小さな分岐の看板が・・・。  バンザーイ(^◇^) 
船窪小屋
のテント場で真っすぐは小屋直行の分岐だ。(1135
ここでテント場にザックを置き、「日本一危険な水場」と称される所で明日の水を汲んでおかなければならない。

    
    嬉しかったテン場との分岐             水場は➡

テン場から水場へ促す看板をみて、どのような所かと想像しながら下る・・・下る、・・・・・・まだ下る。
いい加減に嫌になって着いた所は、テン場から80m位下ったザレザレの崩壊地の斜面に緑のロープが心細げに垂れている。
それを下ると、今度は水平に15m程トラバースして水の湧き出ている所にやっと到着だ。

 
       ・・・絶句!!    やはり日本一危険な水場だった
 
 
    鼻歌でも謳っているような雰囲気の水汲み風景 (毎日の事ですからぁ~(^^♪)

んっ!先着の人がいた。 小屋の人みたいだ。小屋番娘のしのぶさん

 し 「私時間がかかるからお先にどうぞ♪」

 山 「どれ位水を運ぶのですか?」

 し 「12ℓです♡」

 山 「ゲッ・・・」

お言葉に甘えて、自分用の2ℓと小屋のお土産用に4ℓ(?)を汲み、一足先に来た道を登り返した。

フウフウ言いながら6キロの水をテン場まで運び、置いていたザックに2ℓを突っ込み、ザックに入りきらない4ℓは左手で持った。
なんともバランスの悪い状態でテン場から登山道への20m位の階段を上る。そして一休み。
さらに4ℓを左手から右手に…また左手に…としているうちに、一休み。そんな状態だから、後から来たしのぶさんに追い越されてしまった。
(因みに、ザックをテン場に置いてきた空身の徳原さんもすでに抜かれている

 山 「どうぞお先に・・・ハアハア・・・」

 し 「じゃぁ小屋で待ってますね♪」

 しのぶさんは長靴姿でスタスタと先に行ってしまった。

 し 「私、毎日の事で慣れてますからぁ~ (^^♪」

   
       お土産の4ℓの銘水        栂海新道から日本海を目指す徳原さんと

 
       味わいのある船窪小屋 電気が無いので冷蔵庫も無い、灯りはランプのみ

   
     暖房は囲炉裏とストーブ            客室(定員50名

今年の船窪小屋お父さんとお母さん(松沢宗洋・寿子夫妻)小屋番娘のひろみさんとしのぶさん4人で切り盛りしている。
あとはボランティアの方たちや「道しるべの会」の人達が傘寿を超えた老夫婦を支えている。
山こじもせめて自分の料理に必要な分として「水4ℓ」をプレゼントさせてもらった。

 し 「ありがとうございま~す(^^)

水汲みは若い小屋番娘の毎日の日課だとか。あんな危ない水場に毎日往復1時間かけて、1回に12ℓ、雨の日も風の日も続けているのだ。
その水を小屋の中で「天然の銘水500/100円」で売っていたが、余りにも設定金額が安いんではないかい?自販機のペットボトルより安いよ!

 し 「皆さんにそう言われてまぁ~す (^^♪」

夕食は山小屋とは、到底思えない豪華なものだった。
夕食の後は「お茶会」と称して宿泊客が自己紹介やらしてお父さんのお話しや上映会を楽しみ、ネパールティーを御馳走になった。

 
                心のこもった夕食♡


 
                         優しいランプの灯り♡

 

 83日(水)

 
            最終日は船窪新道(標高差1390m)の激下りで七倉へ

 
                          朝食も豪華です♡
 

いよいよ下山する日だ。毎回思うことだが、稜線を去るのは寂しい思いがする。しかし、仕事があるし、風呂にも入りたいし、渋滞には捕まりたくはないし・・・。

昨日の自分とは逆に烏帽子岳を目指すグループや、はるばる長崎から来て今日は針ノ木谷を遡行するグループなどの早発ちの人達を見送りながら、自分の準備をする。
靴を履き終わった頃にお母さん(寿子さん)が出てこられたので写真をお願いして旅立ちの鐘を鳴らしてもらった。

 
    
お母さんの鳴らす鐘に送られて・・・
       小屋から繋がっているのは「タポチョ」と言って、仏教の経文が書いてある祈祷旗

名残惜しい小屋を後にして歩き出すと・・・。

 し 「もう行っちゃうの~?」

と小屋からしのぶさんの声がした。

 山 「今度来たときに、もう1回水汲みの勝負をしよう。鍛え直してくるから~」
 
 し 「また来てネぇ~~ (^^♪」0619

 
           優しいしのぶさんの見送り・・・

    
      名残惜しい船窪小屋           どうぞ おきを つけて

北アルプスには急登で知られる「ブナ立尾根(標高差2530m1270m1260m、登り520下り330)」に対し、「船窪新道(標高差2450m1060m1390m、登り600下り400)」と負けてはいないどころか、むしろ勝っている。さすがに今年からお父さん(82才)はヘリで入山したらしいが、お母さん(80才)は今年も自分の足で登って入山したらしい。
小屋番の娘として生まれ、父の遺志を継ぎ18歳から62年間も続けているとは凄いです。

このルートは、やはり船窪岳~烏帽子岳の縦走ルートが過酷なので、皆、高瀬ダムから烏帽子岳に逃げて行ってしまうのだと思った。
近年はテレビなどで放映された船窪小屋「ランプの宿」としての魅力と、お父さんとお母さんの人柄、何よりもお父さん「道しるべの会」の皆さんのおかげで復活した「針ノ木古道」を歩くために来るという。船窪小屋はリピーターも増え人気の山小屋となった。お父さんお母さんの元気なうちに再訪したい。

船窪新道標高差140m毎に10か所に目安の標柱が建ててある。 それを目安にガンガン下る。

   
        9/10 (06:39)             天狗の庭 (06:44)

   
       8/10 (06:53)              7/10 (07:05)

   
        6/10 (07:18)              4/10 (07:52)

    
        3/10 (08:15)              2/10 (08:32)

    
        1/10 (08:43)            登山口(0857

   
    
山ノ神トンネル脇から出てきた        七倉ゲートの監視員小屋

七倉ゲート到着。(0900

 
         新装になった七倉山荘 宿泊は山小屋値段、日帰り温泉最高!

下山後は新装になった七倉山荘で日帰り温泉に浸かりさっぱりして、タクシー(\6000)扇沢に向かい車を回収して帰路に着いた。

45日の奥黒部再訪は天気にも恵まれ、新たに復活した針ノ木谷への憧れを強くした旅だった。