2017.7.27〜31
山こじ通信vol.49
ロマンの道・栂海新道
この大岩から親不知海岸までの27キロの山男たちのロマンの道が始まる
山行行程 (4泊5日) 2017.7.27〜31 |
第一日目 予定歩行時間 5時間10分 (撮影+小休止 5時間24分) |
・ ・・・08:01・・・・・・・・・・・・・・・09:06・・・・・・・・・10:55〜11:34・・・・・・・・・・・・12:37・・・・・・・・・・・・・・・14:44・・ ・栂池自然園・・(1:10)・・天狗原・・(1:50)・・白馬大池・・(1:00)・・天狗の庭・・(1:10)・蓮華温泉 ・・・1821m・・・・・(1:05)・・・2205m・・・(1:49)・・・・2380m・・・・(1:03)・・・2016m・・・・(1:27)・・・1470m ・ |
第二日目 予定歩行時間 7時間10分 (撮影+小休止 7時間43分) |
・ ・・・06:29・・・・・・・・・・・・・・・・07:54・・・・・・・・・・・・・・・09:10〜09:22・・・・・・・・・・・11:00〜11:50・・・・・・・・・ ・蓮華温泉・・(1:00)・・瀬戸川出合・・(1:10)・・白高地沢出合・・(1:40)・・花園三角点・・(1:50)・ ・・・1470m・・・(1:25)・・・・1158m・・・・・・(1:16)・・・・・1355m・・・・・・(1:38)・・・・1754m・・・・・・(2:08)・ ・・・13:58・・・・・・・・・・14:32〜14:42・・・・・・・15:24 ・千代ノ吹上・・(50)・・朝日岳・・(40)・・朝日小屋 ・・・2220m・・・・・(34)・・・2418m・・(42)・・・2150m ・ |
第三日目 予定歩行時間 9時間40分 (撮影+小休止 7時間51分) |
・ ・・・04:04・・・・・・・・・・・・・05:04・・・・・・・・・・・・05:35・・・・・・・・・・・・・05:53・・・・・・・・・・・・・・・07:01・・・・・・・・・ ・朝日小屋・・(1:00)・・朝日岳・・(30)・・千代ノ吹上・・(30)・・照葉ノ池・(2:00)・・アヤメ平・(2:30) ・・・2150m・・・(1:00)・・・2418m・・(31)・・・・2220m・・・・・(18)・・・2254m・・・(1:08)・・・2019m・・・(1:40) ・ ・・・08:41・・・・・・・・・・・・10:04・・・・・・・・・・・・・・・・11:46・・・・・・・・・・11:55 ・黒岩山・・(1:30)・・サワガニ山・・(1:30)・・犬ヶ岳・・(10)・・栂海山荘 ・・1624m・・(1:23)・・・・・1612m・・・・(1:42)・・1593m・・・(9)・・・1560m ・ |
第四日目 予定歩行時間 8時間50分 (撮影+小休止 8時間19分) |
・ ・・・05:39・・・・・・・・・・・・・06:54・・・・・・・・・・・・・08:56・・・・・・・・・10:49〜11:05・・・・・・・・・11:41・・・・・・・・・・ ・栂海山荘・・(1:50)・・菊石山・・(2:00)・・白鳥山・・(2:00)・・坂田峠・・(1:00)・・尻高山・(2:00) ・・・1560m・・・(1:15)・・・1210m・・・(2:02)・・1287m・・・(1:53)・・・610m・・・(36)・・・・677m・・・・(2:33) ・ ・・・14:14 ・栂海新道登山口 ・・・75m ・ |
日本の登山界が国内の困難な未踏の岸壁から海外遠征、ヒマラヤの高峰へと、何かが弾けたような勢いで熱くなっている時代、その頃の日本の登山界は・・・
1952年3月 ベルニナ山岳会、谷川岳一ノ倉沢尾根を積雪期初登攀。
1956年5月 日本山岳会第三次マナスル遠征隊、マナスル初登頂。
1957年3月 名古屋山岳会・アルムクラブ合同、前穂高岳北尾根四峰正面岸壁を積雪期初登攀。
1958年6月 東京緑山岳会と雲表倶楽部谷川岳一ノ倉沢コップ状正面岸壁を初登攀。
1959年1月 山岳同志会谷川岳一ノ倉沢衝立岩北稜を積雪期初登攀。
1963年8月 東大、カラコルムのバストロ・カンリ主峰初登頂。
1965年7月 関西登高会、マッキンリーに南壁東稜から登頂。
1965年8月 RCCU、マッターホルン北壁を日本人初登攀。
1966年8月 高田光政、アイガー北壁を日本人初登攀。
1970年5月 日本山岳会(植村直己)、南東稜からエベレストに日本人初登頂。
日本国内の壁という壁を有名な山岳会や名のあるクライマーが登り尽くし、積雪期や雪崩の巣と言われる岸壁をも登り尽くされて、岳人達の目は海外のアルプスやヒマラヤに向けられていた。
町の小さな山岳会に出来る事、いや我々の山岳会しかできない事を模索していた時に、地元青海町には白馬岳登山に訪れたウォルター・ウェストンが親不知海岸を指して、「日本アルプスの始まり」と言わしめた。 地元の親不知海岸から白馬岳、0mから3000mの北アルプスまでを繋なぐ道を伐開しようと立ち上がった若者がいた。
当時20代の若き山男、小野 健先生その人である。
1932年福島県いわき市生まれ、早稲田大学第一理工学部鉱山学科卒行後、(株)電気化学工業青海工場原石部に入社、青海町の住人となる。
在職中青海町教育委員、青海町議会議員を歴任する。
1961年、さわがに山岳会会長となる。
2014年3月逝去。
彼らが青春をかけて作り上げた道が栂海新道(名前の由来は、長栂山の「栂」と日本海の「海」に因む)である。
栂海新道とは、朝日岳千代の吹上コルから日本海親不知海岸までの約27キロに及ぶロングトレイルだ。
栂海新道が出来たのは、1971年。地元の「さわがに山岳会」が北アルプスの道を日本海まで通わせたいという思いで10年の歳月をかけて切り開かれた。
「さわがに山岳会」このほほえましい名称を持つ山岳会の創設者は小野 建氏である。
所属している職場で、1961年に山岳会を立ち上げ栂海新道の開拓の陣頭指揮をとった。
1970年頃の山岳会はアルピニズムの華やかな時代で、初登攀や海外遠征に懸命になっている山岳会が多かった。
しかし地方の小さな山岳会ではそんなカッコイイことはできない。
1894年7月、ウェストンは北アルプス北部の名峰白馬岳登山の前に親不知を訪れ、明治16年に開通した国道から日本海の断崖を見下ろし、当地が日本アルプスの起点であると、その著書『日本アルプスの登山と探検』に記述した。
しかし、地元青海町には北アルプスと峰続きの未開の山がいっぱいあり、朝日岳から連なる静かでいい湿原やブナの原生林など変化に富んだ自然があるのに道が無い。
そこでその登山道を作るのなら地元の俺たちがやるしかないじゃないかと考えた。
開発の順序は、新潟側の三保倉南峰から犬ヶ岳にバイパスを作り、菊石山〜犬ヶ岳のルートを67年9月に完成。
徐々に朝日岳へとルートを伸ばし、犬ヶ岳〜長栂岳〜朝日岳間を70年9月に開通。
ここまでつながると、おのずと地元の最高峰、犬ヶ岳の登路も作ろうということになる。親不知〜白鳥山〜菊石山間を71年9月に開通。
このルート開通の順番は小野 建氏の作戦だったらしい。海と山をつなぐ遠大な構想は当初からあったけれど、いきなり大風呂敷を広げると弱腰になる者も出てくるから、確実に果たせる小さな目標をひとつひとつ設定して進めた。
この山域は、国立公園の関係で当時の厚生省、特別保護地域の天然記念物地帯については文化庁、さらに国有林では富山営林署と高田営林署、さらには新潟の林業事務所の網がかかっていた。それぞれに許可申請が必要だったのだけれどわからない事だらけで、開削に精を出していたある日、会社で呼び出しを受けて、何だと思ったら、国有林盗伐の容疑で取り調べを受け、その後も営林署に何度も呼ばれて、供述調書まで取られたそうだ。
資料
岳人2009年9月号、2010年6月号)
山と渓谷(1990年7月号、2000年7月号、2009年8月号)
1962年から1971年まで開拓を続け、遂に彼らの「男のロマン」は成就した。
その後も、登山道の維持管理を続け、2014年3月小野 健氏亡き後も、ベニズアイガニ山岳会の斉藤八郎氏らが遺志を継ぎ栂海新道の維持管理活動を続けている。
短い人生の中で自分には何が残せるのか? 誰もやらない、いやむしろ自分たちにしか出来ない事をやり遂げた、・・・10年かけて作り、開通後46年新道を維持管理し、現在も仲間が遺志を継いでいる。
小野 健先生の個人の損得を超えた意志に男気を感じる。
そんな栂海新道を歩きたい・・・。難路で有名なこのコースを歩きたいと思った。
以前に歩いた、「甲斐駒黒戸尾根」「読売新道」と同じく長大な難コースと言われると、つい歩きたくなってしまう。
行くのなら今のうちだろう。 最近になって25年前の右ひざの古傷が酷くなってきている。
小屋泊の軽い装備なら大丈夫と踏み、さらに以前宿泊できなかった、露天風呂が有名な蓮華温泉やゴール後の親不知観光ホテルにも宿泊したかったので、丁度良いコース設定だ。
7月26日(水)
雨天の今日は年1回の健康診断の日だった。 早朝、指定の病院に行き健康診断を済ませ、ここで雨天のため本日の作業は中止となり、帰宅した。
おかげで時間に余裕が出来、昼過ぎの出発で、深夜の高速道路の運転と寝不足の初日スタートから解放された。
昼間の渋滞知らずの中央道を走り、道の駅白馬には17時頃に到着。車中泊で夜を過ごした。
7月27日(木)
深夜に小雨が降り、今日の天気も芳しくないのが予想される。 4時頃に栂池高原駐車場に移動した。
6時頃に駐車場の管理の人にこの先5日分の料金を支払う。(500円×5日)
7時に始発のゴンドラ(片道¥1920)が運転を始め、他の登山者達と共に栂池自然園(1821m)に到着。(08:00)
栂池高原駐車場 (823m)
自然園駅
1年ぶりの登山であることと、膝の故障もあり、今日は一般の登山者のペースで後ろからゆっくりと歩きだすことにした。
栂池からゴンドラで一気に標高を稼いだおかげで雨雲の高さより高いところにからのスタートで合羽は着なかった。
しかしそれも束の間、雨雲の高さよりは標高が高くても、湿度120%(?)なので物凄い汗を掻き、上着を脱ぎ払って半袖姿で登り続ける。
動いている限りは寒さを感じることはなかった。クールダウンが効いたのか、で先行していた一般の登山者をことごとく抜き去り、天狗原(2205m)に到着。(09:06)
銀冷水
天狗原 (2205m)
今日はいつものガッツ登山ではなく、ゆっくり登山なので他の登山者が到着してくるまで休憩した。
今日の天狗原は1層目の雨雲と2層目の雨雲の間なのか比較的景色が見渡せた。
これから先のルートを遠望すると、この先のゴーロ地帯に学校登山の団体が見える。彼らがゴーロ地帯を下りてきてからすれ違うことにする。
ゴーロ地帯では、大石にてこずっている人達と譲ったり、譲り合ったりしながらかわし、最後に急登の雪渓を登り白馬乗鞍岳(2437m)に到着。(10:07)
雪渓
白馬乗鞍岳のケルン
標識には頂上と記されているが最高点ではない。
本当の頂上ではないが、皆が頂上と思っているケルンの周りには、だらしなく一般の登山者が弁当を食べたり、休憩をしている。
この光景は何とかならないものだろうか。通過する人の迷惑とは思わないのだろうか?
ケルンを過ぎたところで、同じ埼玉県の川越からきた登山者としばしの歓談。
ゆっくり登山だから時間に余裕がある。白馬大池を眺めながら大きく回り込み白馬大池小屋(2380m)に到着。(10:55)
白馬大池(2380m)
白馬大池小屋
ここで大休止、ランチタイムとする。ここから多くの人は小蓮華山〜三国境〜白馬山頂と3時間30分の登りが待っているが、自分の目的地蓮華温泉までは下りの2時間コースなので、気が楽である。
充分な休憩の後、一人白馬岳とは方向違いに歩きだすが、こちらの道はクマに遭遇しそうなほど狭く藪に挟まれた急登を下る。ほどなく雨雲の中に入り合羽を着ることになる。
激下りが続き、膝の痛みが発症し、苦しい歩行が続く。
天狗の庭(2093m)付近はガスで視界がきかず、展望も無いので標識を見ただけで通過。
やがて標高が下がって雨雲から脱出すると、遠くに蓮華温泉(1470m)を確認。
天狗の庭(2016m)
遠くに蓮華温泉を確認
風呂が待ってる♪ 温泉が待ってる♪
少し元気を取り戻し最後の激下りを終え、道が平坦になった頃、露天風呂との分岐があった。
蓮華温泉に到着した後からは、もう二度と歩きたくないと思われるので、今回の目的でもあり前回できなかった露天風呂の撮影をするべく向かった。宿の推奨ルートの逆コースで辿る。
先ず分岐からすぐの「黄金ノ湯」。
大汗を掻いたこともあり、誰もいない事も手伝って、本当に風呂に入りたかった。 手を浸し湯加減を確認してみると、程良い温度で、顔を洗ったりした。
次は「新黄金ノ湯跡」。
枯れてしまったのだろうか。跡形もなかった。
さらに10分程登って行くと、ザレた所に出て本命の「仙気ノ湯」。
蓮華温泉と言ったら仙気ノ湯からの山岳展望がポスターになっていて有名な所だが、今日は雲が低くて遠望が利かない。
さらにその上には女性優先にしてある「薬師湯」がある。
誰もいないので撮影だけさせてもらった。撮影を終えると女性客二人が登ってきたので、ギリギリ間に合った。
秋の晴れの日だったら最高の露天風呂だろう。
ここから5分程下ると登山道沿いに「三国一ノ湯」。
はっきり言ってここは無理。何故なら狭いし、道の横だし、もちろん景色はゼロだ。
これで露天風呂巡りを終え、蓮華温泉に到着。(14:45)ゆっくりと「総湯」と言われる内風呂に入り、今日の疲れを癒した。
黄金ノ湯
新黄金ノ湯跡
仙気ノ湯
薬師湯
白馬岳蓮華温泉ロッジ (1470m)
夕食
7月28日(金)
まだ夜の明けぬ3時頃から目が覚めていたのだが、外の天気は雨模様だ。
出発の早い人達は4時には小屋を出て行ったのだが、自分と連泊の観光客も含め、半分に減ってしまった人達とゆっくり朝食を食べてからの出発。
雨は上がりスタート時には合羽は要らなかった。
雨上がりのスタート
五輪高原方向
蓮華温泉からはこの先のキャンプ場までの広い林道を歩く。早朝の気温は低くて快適だ。
キャンプ場を過ぎ木道になるとだんだんと標高は下り始め、150m程下がった所が兵馬の平湿原だ。
兵馬の平湿原
綺麗な花々が咲き乱れ、なかなか綺麗な所だ。この付近までは蓮華ノ森自然歩道として整備され行楽客には良い散歩道だろう。
さて登山者として朝日岳を目指すものには過酷にも蓮華温泉(1470m)から瀬戸川出合(1158m)までの約300mも下って行かなければならない。
この辺までくると、物凄い湿度で汗だか雨で濡れているのか分からい位ビショビショになっていた。
雨の中、2015年にも渡った瀬戸川出合に今回もビショビショになって到着。(07:54)
ここからはひたすら上りが続き、尾根を越えヒョウタン池を過ぎ、白高地沢出合(1355m)に到着。(09:10)
瀬戸川出合 (1158m)
白高地沢出合 (1355m)
尋常ではない大汗が噴き出て、途中から来ていた合羽を脱ぎ小休止。合羽の中もシャワーを浴びたようにずぶ濡れなので、寒くさえなければ着ていても意味はなさそうだ。
沢の冷たい水で顔を洗ったりして一瞬だけリフレッシュ出来た。
ここからはカモシカ坂と呼ばれる樹林帯の急登が続き、今日初めて朝日小屋からの下山者と出会う。
この付近で標高がスタートの蓮華温泉と同じ位になった。300m下って300m登り返して、朝日岳(2418m)までは900m以上の登りがさらに待っている。
樹林帯を抜けると空が抜けて五輪高原に入ったことが分かる。
この付近も木道で植生が保護されていて、今の時期花には少し早そうだが、秋は紅葉で素晴らしい所だ。
花園三角点 (1754m)
五輪高原
木道の脇に座れるスペースがあり先客がいたので自分も昼食休憩にした。(11:00)
蓮華温泉のお弁当(^^♪
お握り2個と漬物・煮豆
蓮華温泉をゆっくりスタート(実は一番遅かった)したので、ここまで同じ方向の人達は出会えなかった。
はたして彼らも逆コースで蓮華温泉に下る人達だった。自分が最後尾と言うのは精神的に焦りが出てくる。
コースタイムはまだ3時間40分もあるが、汗だくで脱水状態なので力が出ない。すでに朝から4時間半も歩いて来ているのだ。
休憩している近くの花園三角点付近の水場はとっても冷たく美味しい水が湧いていて最高だった。
五輪高原を出発すると、また樹林帯の五輪の森になる。再び大汗を掻きながら、辛抱して樹林帯を抜けると雪渓がチラホラ出始めた。
雪渓の融水が出ている所では冷たく美味しい水を楽しめた。さらに先を見上げると大きな雪渓があり10人位の人が・・・。
八兵衛平付近には雪渓が・・・
彼らはアイゼンの着け外しで手間を取られている人達だった。 今日やっと先行者に追いついた。彼らは4時に蓮華温泉を出発した人達だった。
これで小屋到着がビリでは無くなったので少し心の余裕が出てきた。今年は残雪が多いので朝日岳の水平道(決して水平では無い、巻道と言った方が正しい)もまだ開通していない。
雪渓の手前で先行の御夫婦たちとアイゼンを付け雪渓をトラバース。クリアした後は手にアイゼンをぶら下げ、吹上のコル(2220m)へ。 さらに10人程の団体を追い越し朝日岳(2418m)に到着。(14:32)
この雪渓はアイゼン使用
朝日岳山頂 (2418m)
頂上はガスが掛かって遠望は利かった。ザックにアイゼンを閉まったり荷物を整理して朝日小屋に下る。
頂上から小屋までの間にもちょっとした雪渓が残っていた。朝日小屋到着。(15:24)
小屋の夕食は豪華で美味しく頂き、寝床は明日栂海新道を行く金原さんと隣同士になった。
朝日小屋 (2150m)
夕食
7月29日(土)
さあ、今日は栂海新道を歩く日だ。
2015年に歩こうと決めて遂に決行できるのだ。どれだけ困難で長い道のりなのか、不安と期待で胸が膨らむ。 まだ暗い4時に朝日小屋を出発。霧雨の中、合羽を着て視界10mでのスタートだ。
10時間近い今日の行程と、昨日の失敗を反省して、涼しいうちの出発にした。
ヘッデンで照らし出される木道を慎重に進み朝日岳の登りにかかる。昨日の雪渓付近で蓮華温泉に降りる御夫婦に追いつく。昨日の吹上のコル手前の雪渓情報を教えてから先行させてもらう。
朝日岳の頂上は夜が明けていたにも拘らず、今回も展望は無かった。(05:04)
再び朝日岳山頂 (2418m)
栂海新道への出発点、吹上のコル(2220m)
吹上のコル(八兵衛平)の雪渓
素敵なさわがに山岳会の道標
大岩に書かれた「→栂海、日本海」の文字
吹上のコル(2220m)からいよいよ延長27キロに及ぶ栂海新道に入る。(05:35)
分岐からいきなりシラビソや栂の原生林を切り払った樹林のトンネルを進む。視界が利かないので長栂山の標識は分からず。
池塘群
良く言えば幻想の世界だが・・・
植生保護のために設置された木道を進む。毎年少しずつ工事延長が伸びているみたいだ。
照葉ノ池を過ぎ雪渓が現れ始める。この先1500m付近まで大小4つくらいの雪渓があった。
まだまだ雪渓が多い
アヤメ平(2019m)
黒岩平
雨の中、アヤメ平(07:01)・黒岩平(08:08)・黒岩山(08:41)と標識を見つけるが、休憩できる場所もないので、ずんずん進む。
しかし黒岩山(1624m)を過ぎた辺りで、さすがにお腹が空いてきたので、朝日小屋で購入したお弁当のマス寿司を一つ食べた。
夕食後に購入した時は冷凍状態だったのだが、一晩経つと丁度良い具合に食べられた。
黒岩山(1624m)
マス寿司
元剣道部の手拭の被り方
少し進むと文子ノ池があった。(09:19)
文子ノ池 (1606m)
看板が雪で押しつぶされている
やがてガスの切れ間からさわがに山(1612m)が見えた。
今日は視界が100mを超えることは殆どないので、ただひたすらに歩くのみだ。
視界が利かない・・・さわがに山?
さわがに山 (1612m)
数少ないガスの切れ間から歩いてきた稜線を振り返る。起伏が多くつらい道のりだ。
ガスが切れてもこの程度の展望しか望めない
北又の水場入口
水量も豊富な美味しい水
犬ヶ岳の手前の北又の水場に着く。(10:48)
ここでしっかりと今夜と明日の水4.5g(2g+2g+ボトル0.5g)を補給し、さらに体の中にもがぶ飲みで胃袋を満たした。
水の補給で重量の増したザックに喘ぎながら、犬ヶ岳を目指すが視界が利かないのでどこが頂上だか分からない。
北又の水場から3回もアップダウンを繰り返し、フラフラになった頃、やっと犬ヶ岳(1593m)に到着。(11:46)
犬ヶ岳は標高1600m足らずだが、登山を始めて以来一番山頂が遠く感じた山だった。
すぐ下には栂海山荘(1560m)が見えている筈なのだが、何も見えない。
んっ! 山頂か?
犬ヶ岳山頂 (1593m)
犬ヶ岳山頂の栂海新道開祖 小野 健碑
視界が利かない道を10分程下って遂に栂海山荘に到着。(11:55)
昼前に着いたのは良かったが、全身ずぶ濡れで、汗がズボンを伝い、靴の中までぐちょぐちょだ。誰もいないのですべて着替えて、残りのマス寿司とクルミ寿司を頂く。
クルミ寿司
金原さんも無事到着
のんびり過ごしていたら雨が落ち着いてきた。外に出て頂上の方を見上げると、人の声がする。 思っていたよりも間近に犬ヶ岳の頂上があった。
しばらくして、後続の金原さん、九州の山岳会の二人、さらに北又の水場を見過ごしてしまった方(失礼!お名前を伺っていなかった)との5人が今日の同宿に人達だった。
金原さんと九州の山岳会の方は持参の焼酎を、自分はウイスキーで水割りで飲みながら、楽しい会話が弾む。
ガスの中栂海山荘(1560m)に到着
本日の寝床
玄関、右側にはテーブル
2階スペース
玄関の隣の1階スペース
その2階スペース
栂海山荘全景(小野 建氏の私費を投じた別荘?)
7月30日(日)
辛く長い昨日の行程をクリアした我々5人は今日の午後には日本海が見られるという希望に満ちた朝を迎えた。
栂海新道のゴール親不知に向けて、先ずは九州の二人、続いて水場を見過ごした方(度々失礼!)、最後に足の速い金原さんと私が出発。(05:39)
日本海は望めないが昨日よりは視界良好
二人で昨日よりは展望のある道を気持ちよく歩き始めると、すぐに先行者(え〜言いにくいですが水場を・・・人)に追いつく。
お互いにソロでもありペースも違うので、金原さんともここで距離を取る為自分が先行する。
栂海山荘(1560m)から黄連山(1360m)に下り、黄連の水場の分岐、黄連乗越(1143m)に到着。(06:41)
水はまだ1滴も飲んでいないので、補給しないで進む。
ここまで400m以上下ってきて、菊石山(1210m)に70m程登り返す。(06:54)
菊石山から鞍部(1117m)に100m程下り、さらに100m程登り返して下駒ヶ岳山(1241m)に到着。(07:26)
さらに鞍部(1092m)まで150m程下り、白鳥山(1287m)まで200m近くも登り返さなければならない。
各尾根尾根のピークをトレースする様に忠実に開削された栂海新道はアップダウンの激しい辛いコースだ。
白鳥山の水場で飲み水を補給したが、ここは水が細く夏場は枯れるかもしれない。水汲みには100円ショップのシリコン製の折り畳みロートが役に立った。
黄連山 (1360m)
黄連の水
菊石山 (1210m)
下駒ヶ岳 (1241m)
暑苦しい樹林のトンネルを抜けると・・・
白鳥山 (1287m)
白鳥山で小休止していると金原さんも到着。親不知側からは若者2人が到着。
早朝の5時に出発した若者達は、コースタイム7時間30分を4時間足らずで上ってきたと言う。
今夜は栂海山荘なのでもう楽勝で着けるだろう。彼らの予定は9泊10日で上高地までらしい。
「9泊10日とは先が長いが頑張れ若者よ!
しかしおっさん達には今夜は
日本海と冷たいビールが待っているんだよ〜〜ん?」
白鳥山から緩やかに下って行き、シキ割の水場が登山道沿いにあった。
シキ割からは金時坂と呼ばれる激下りをして遂に、坂田峠(610m)の車道に到着。(10:49)
シキ割の水場
坂田峠 (610m)
湯上りの様に体が熱い
久しぶりの道路
ここで先行していた九州の山岳会の二人に追いつくが、追い抜いて歩き通す力はなかったので、先行してもらう。この暑さで体力と右膝は限界まで来ている。
ここからでもコースタイムはまだ4時間近くあるのだ。疲れ切った体に鞭打って再び歩き出す。暑苦しいブナの森を進み、無感動で尻高山(677m)に到着。
さらに激下りをすると本日2度目の車道(471m)に出た。九州の人達に追いついたが再び先行してもらい、休憩していると金原さんも到着。
金原さんにも先行してもらいマイペースで歩き出す。
尻高山 (677m)
2度目の車道
暑苦しい林を進むと二本松峠(372m)に着く。今度は60m程登り返し入道山(415m)に到着。(13:08)
入道山 (415m)
3度目の車道
やっとこれで地図上のピークは全て無くなったとほっとしていたらダメ押しのアップダウンが2回あった。
送電線の鉄塔が出てきて3度目の車道を横切り再び林の中へ。
行きかう車の音が間近に聞こえる頃、国道8号線に出た。(14:14)
とうとう憧れの親不知の登山口に到着した。 SNSで皆が万歳で写真を撮っている意味が分かる気がした。
栂海新道はそれほど長く辛いトレイルだと思うし、この道を開削した先輩岳人達への感謝を忘れてはならないだろう。
車の音が間近に・・・、チラリと親不知観光ホテル
遂にゴール(^^♪
栂海新道登山口 (77m)
親不知観光ホテルに到着を告げ、疲れった体に鞭打って最終仕上げを飾るべく日本海へ。
途中ウェストンの像を見て、親不知煉瓦トンネルを通り、最後の階段を下りて日本海の海水に手を浸した。
砥如矢如(とのごとくやのごとし)
親不知で最も通行が困難な「天険」(地形がたいへん険しい所)の直上、高さで約80mの崖のに上に 、明治16(1883)年にこの道は絶壁を切り開いて作られました。 かつての旅人たちは波打ち際を通る当時の北陸道を命がけで通行しました。 砥石のように滑らかで矢のように真っすぐであるという意味で道路の完成を喜んで岩に刻んで表しました。 この道路工事に力を尽くした青海の人、富岳磯平の書と言われています。 |
親不知煉瓦トンネル
日本海に手を浸す
栂海新道の終着、親不知海岸
親不知観光ホテル
楓の間
豪勢な夕食
最高の酒の肴は栂海新道完踏
大満足の旅の終焉は親不知観光ホテルの絶品の料理と大展望風呂からの日本海の景色だった。ここのオーナー夫妻の奥様は船窪小屋の長女さんで、お母さんに似て美人さんでした。
去年の船窪小屋の小屋閉めの時にお会いした次女の方もお手伝いなさっていて、船窪小屋同様、家族ぐるみのもてなしのホテルでした。
7月31日(月)
お世話になった親不知観光ホテル
日本海が真正面!
看板に偽りなしの大展望風呂
朝食も豪華♪
親切なオーナー
最終日は天気も回復して、果てしなく続く日本海の水平線を見ながら朝一の風呂に浸かり、美味しい朝食を頂き、オーナーの運転で親不知の駅まで送って頂いた。
親不知駅
えちごトキめき鉄道で糸魚川へ
糸魚川から JR大糸線で白馬へ
白馬駅に到着
独り占めのバスで栂池高原へ
愛車のハチロクと合流し帰路へ
親不知から糸魚川、糸魚川から白馬へと列車の人となり、バスで栂池高原に到着して愛車に戻り帰路に着いた。