2018.7.12 ~14
山こじ通信vol.50
  早川尾根~鳳凰三山

 
 地蔵岳岩塔(オベリスク) 
 1904(明治37)年 W・ウェストン初登

 山行行程(2泊3日)2018.8.12~14
 第一日目 予定歩行時間 6時間00分 (撮影+小休止 5時間25分)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・07:00・・・・・・・・07:43~07:52・・・・・08:19~08:31・・・・・・10:04~10:49・・・・・・・・・
芦安P・・広河原・・北沢峠・・(40)・・仙水小屋・・(40)・・仙水峠・・(1:30)・・・・栗沢山・・・(1:10)・・・
・・887m・・・・・・・・・・・2030m・・・(43)・・・・2140m・・・(27)・・・2264m・・・(1:33)・・・・・・2714m・・・(51)・・・
・・11:40~11:59・・・・・・・・・・・・13:50
・・・・アサヨ峰・・・・(2:00)・・・早川尾根小屋(泊)
・・・・・2799m・・・・・・(1:51)・・・・2400m
  第二日目 予定歩行時間 6時間30分 (撮影+小休止 5時間48分)

・・・・・05:19・・・・・・・・・・・・・05:44・・・・・・・・・・・・・07:00・・・・・・・・08:04~08:38・・・・・09:18~10:48・・・・
早川尾根小屋・・(30)・・広河原峠・・(1:20)・・白鳳峠・・(1:00)・・高嶺・・・(40)・・アカヌケ沢ノ頭・・
・・・2400m・・・・・・・・(25)・・・2344m・・・・(1:16)・・2454m・・・(1:04)・・2779m・・(40)・・・・・2750m・・・・・・

・・・・・・・・・・・11:43・・・・・・・・12:24~13:09・・・・・・・・・・13:56
・・(1:10)・・観音岳・・(40)・・薬師岳小屋・・(1:10)・・南御室小屋
・・・(55)・・・2840m・・・(41)・・・2710m・・・・・・・・(47)・・・・2435m
 第三日目 予定歩行時間 3時間40分 (撮影+小休止 2時間55分)

・・・06:30・・・・・・・・・・・・07:00・・・・・・・・・・07:56・・・・・・・・・・・・08:48~09:02・・・・・・・・・・・・09:39
南御室小屋・・(40)・・苺平・・(1:10)・・杖立峠・・(1:10)・・夜叉神峠小屋・・(40)・・夜叉神峠登山口
・・2435m・・・・・・(30)・・2517m・・・(56)・・・2178m・・・・(52)・・・・・・1790m・・・・・・(37)・・・・・1370m
・ 

 

2018年の夏山は展望抜群の早川尾根地蔵岳のオベリスクで有名な鳳凰三山を縦走してきた。

鳳凰三山(観音岳2840m・薬師岳2780m・地蔵岳2764m白峰三山(北岳3193m・間ノ岳3190m・農鳥岳3026mの大パノラマが楽しめる。
早川尾根南アルプスの北部を代表する
ビッグスリー(北岳3193m・甲斐駒ヶ岳2967m・仙丈ケ岳3033mが一望できる素晴らしい展望台と言われる。

・・・がっ、晴れていなければ
          真っ白いガスばかりで絶景どころか何も見えない!

〇 南アルプスは太平洋からの湿った空気の影響で雨が多く降る山域である。 
特に夏は雲が湧くのも早く、昼前には決まって景色の無い、真っ白な霞の中を歩いている日がザラである。

しかし、その豊富な降水量と低い緯度のおかげで北アルプスより300mほど森林限界が高く、2600m付近までシラビソや栂などの黒木に覆われている。

森深く、そして縦横無尽に谷が走る南アルプスには「登山」という目的で多くの人々が山に入る以前から杣人や狩人たちが足を踏み入れていた。 
しかし彼らが山に入る目的は生活の糧を得るためであり、山に登ることは目的ではなかった。 
欲しいものは獲物であり、山菜であり、薪や炭であった。 
もちろん日本中のどの山域も同様で物見遊山をやる余裕などなく、すべて生業の為であった。 
そういった生活の場である山を「開山」し登ることに意味が見いだされたのは南アルプスが修験道の聖地として栄え始めてからだった。

文化131816)年に信濃の延命(弘幡)行者(俗称は小尾権三郎)南アルプス北部甲斐駒ヶ岳に登ったことが最も古い南アルプスの登頂記録として残っている。
これはおよそ
200年前のことだが実際には、それよりもはるか以前の奈良時代末期から平安時代の初期には甲斐駒ヶ岳の南東にある鳳凰三山が密教の修験者たちに開山されていた。

現在でも観音岳・薬師岳・地蔵岳のそれぞれには観世音菩薩・薬師如来・地蔵仏と大日如来が祀られており古来の信仰の足跡を見て取れる。 
長い間、
行者たちにしか登れていなかった南アルプスが近代登山(=目的としての登山)の場になって行くのには、ある外国人登山者の影響が大きかった。 
それは日本近代登山の父とも言われる
イギリス人宣教師ウォルター・ウェストンである。

〇 ウォルター・ウェストン1861(文久1)年に生まれ、1888(明治21)年に27歳の時に来日して以来、1915(大正4)年までの間に3回にわたり来日し、15年間日本に滞在しました。
その間、日本各地の山を登り、2回目に来日した3年間は特に南アルプスの山々を登山しました。 
1902(明治35)年には北岳に登頂し、1904(明治37)年には鳳凰三山地蔵岳岩塔(オベリスク=神殿などの記念碑)に初めて登っています。

1902(明治35)年、
ウェストン芦安村村長の名取運一を訪れ登山の案内を依頼します。
外国人の登山に反対する意見
(=山は御神体であるという考え)もある中、紳士的なウェストンの態度に感銘した村長は、村民を説得し、清水長吉ら三人を案内に付け、北岳登頂のサポートをしました。 
また、
1904(明治37)年、地蔵岳に登る時も
芦安村の人々は援助を惜しみませんでした。 
明治
35年の北岳登頂、その2年後の鳳凰山地蔵仏(オベリスク)に石を結び付けたロープを使って初登攀を成し遂げたのです。
 この二つの登頂が日本人を南アルプスにおける近代的な登山に向かわせることになりました。

 ウェストン著書「日本アルプス再訪」の中で「人間として初めて鳳凰山の頂きに立った」と喜びを書き記しています。 
日本とイギリスを行き来した
ウェストンは、日本で登った山について、1896(明治29)年「日本アルプス‐登山と探検」として母国イギリスで刊行しました。 
この本が「日本アルプス」の名を世界的に広めることになり、徐々に増え始めていた日本人登山家たちにも大きな影響を与えるようになった。
これが
1995(明治38)年に
小島烏水らによる「日本山岳会」の設立に繋がって行くのでした。
ウェストン1910(明治43)年には日本山岳会の最初に名誉会員に推され、1937(昭和12)年には日本政府により勲四等瑞宝章受章
1940(昭和15)年、故郷イギリスでその生涯を終えました。    
(山と渓谷 
20148月号より引用)

811日(土)

今日は山の日(2014年に制定)らしいが、我々登山を趣味とする人間にとっては、いささかピンとこない日である。 
そもそも登山は山開きの行事などに関係なく、冬山や残雪期の登山等を楽しむ人々が年がら年中大勢いるので
1年中を通じて365日が山の日なのだ。 

とは言え、1996年に海の日が制定されているのに、18年も遅れて制定されたのは理解できない。(怒) 
「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」ことを趣旨としているらしいが、別に山に関する特別な出来事などを主催するとかのイベントも、登山の起源を象徴するような明確な由来があるわけではない。 
8
月に祝日が無かっただけである。
そんな訳で、日本全国のお盆休み期間を11日からスタートさせただけで、帰省ラッシュの真っ最中と重なり大渋滞必至の山行きとなってしまった。

お盆休みの初日の朝からテレビの渋滞情報を気にしながら過ごし、
「結構、今日は空いているかも・・・」と勝手に判断。(楽観的!) 
午前中の大渋滞第一弾をやり過ごし、夕方の第二弾の渋滞前がチャンスかも♪ 中途半端な夕方
15時に自宅を出発することに決定! 

エンジンをかけ、いざ出発! ・・・がっ、大通りに出た途端、ナビの

「前方で10キロの渋滞ですワハハ・・・」との音声に、予定変更!! 

スタンドで給油をしただけであえなく自宅に
Uターン。 
自宅で新妻ちゃんとドラマを見ながら時間をつぶし、再び
16時に出発。

 今度は渋滞もなく、入間ICから圏央道八王子JCT中央道の小仏トンネル、談合坂、笹子トンネルと渋滞知らずでスイスイと進み、1730分頃には、高速を降りて甲府の街中を走行していた。
このまま、芦安に着いても早すぎるので、途中のラーメン店で夕食を済ませ、コンビニで朝飯のおにぎりを2個購入して芦安の市営駐車場に19時には到着した。 今夜はここで車中泊をして明日に備える。

812日(日)  
一日目は北沢峠~仙水峠~栗沢山~アサヨ峰~早川尾根小屋(泊)

暑くて寝苦しい時間を過ごし、まだまだ暗い夜明け前の3時にはすでに周りの人々も出発の準備で騒々しい。 
昔は寒村の山里で明治の後期には製糸業、木炭生産、鉱業がメイン産業だったが、南アルプスの登山口、温泉宿泊施設経営と変わり、今時の芦安娘達は、おにぎり弁当やホットコーヒーの販売を早朝から頑張っている。 
広河原へは山交路線バスの予定だったが、
70円しか値段が高くないジャンボタクシーに
「座って行けるよ
と誘われ、こちらに決定! 

(バス1030円⇔タクシー1100円 +南アルプスマイカー規制協力金100円) 

後から知ったが、山交路線バスでも全員着席で行けたらしい。 
昔、初めての南アルプス訪問の時、甲府駅から乗った路線バスは、吊革にしがみついたすし詰めの満員で、無茶苦茶な乱暴運転だったような気がする。 
今回は
9人乗りのジャンボタクシーでゆったりと椅子に座れるので、外の景色などを観ながらの快適乗車だ。
道幅が狭く、くねくねと登る薄暗い峠道を芸術的なハンドルさばきで走り抜け、夜叉神ゲートの前に到着。 
ここで夜叉神ゲートの定刻の開門時間
530分を待ち、バスもジャンボタクシーも56台が連なって一斉に南アルプス北岳の登山基地・広河原を目指すのだ。

舗装された南アルプス・スーパー林道(1980年の開通後の林道は山梨県側が山梨県営南アルプス林道、長野県側が伊那市営林道南アルプス線として管理されている)は激しくうねり、山肌を削って落石防護のネットや岸壁崩落防止設備(アースアンカー)など、この林道は大規模な自然破壊を伴う開削工事をして道路を作った。 
これを良しとするか否かは、こうして恩恵に預かっている自分達がどうのこうのと言える立場ではないが・・・。 


   
 ジャンボタクシー
 次から次と到着するバス

   
 バスから吐き出された登山者達
 
南アルプスの開祖(名取運一、W・ウェストン、天野 久)

〇 1952年、住宅資材としての木材需要が逼迫する中、早川上流の野呂川流域の森林開発(森林の伐採)を目的に野呂川林道の建設が始まり1962年に開通。
森林資源の開発はもとより、山間奥地の交通の便は格段に向上した。 
なかでも林道が日本第
2位の高峰である北岳(3193mへの登山ルートとして登山者に重宝されたことがきっかけで、地元振興
(観光)を目的に加えたスーパー林道構想が浮上。 
1966
年から森林開発公団の手により既存の林道を組み込みながら山梨・長野両県を結ぶ南アルプス・スーパー林道としての建設が始まった。 

しかし前々年の
1964年には南アルプスが国立公園に指定されていたこと、その急峻な地形を行く山岳道路は自然破壊の象徴として目されるようになり、さまざまな団体による建設反対運動が勃発。 
社会的なうねりとなり
1973年には環境庁長官が工事凍結を表明するに至ったが、1978年に道路幅員の縮小、一部路線の変更、土砂崩壊の防止等の留意事項を条件として一転して建設が再開。 

1979
1112日山梨県側で完成式典が開かれ全通した。 
(冬季間は閉鎖のため共用開始は1980年)
完成した林道は山梨県芦安村(現南アルプス市)と長野県長谷村(現伊那市)を結ぶ総延長56.98㎞。 片側3.5m~4.6m、総工費は489100万円である。

定刻通り(0613)に到着した北岳への登山基地広河原には何台ものバスが続々と到着し、次から次へと登山者が吐き出される。 
今回はここからさらに乗り継ぎ北沢峠まで、バスに揺られてゆく。(
0650) 
終点の北沢峠まで途中のバス停は野呂川出合(北沢と野呂川の出合)だけである。

ここは北沢峠両俣小屋へ道の分岐で、この先の治山工事用林道を2時間と少し歩いた先に両俣小屋がある。 
この小屋は釣り人達の方が多いような客層だが、絶好のキャンプ指定地で、山岳部などの若者達がハードな仙塩尾根北岳へと向かう中継基地でもある。 
この南アルプスの奥深い小さな小屋で実際に起きた大脱出劇・・・。

それは日本中を荒らしまわった1982年の台風10。 
この台風は南アルプスにも、大きな爪痕を残し、両俣小屋付近にも牙をむいて、大脱出のドラマを生んだ。

1982(昭和57)年の81日から3日にかけて台風10と停滞前線による大雨で、北沢峠では768㎜の豪雨を記録した。 
南アルプス林道は倒木やがけ崩れが相次ぎ、
164ヶ所で寸断され野呂川と大小の沢は土石の崩落で姿が一変した。 
登山中継基地の広河原は土石流の被害を受け、河原に駐車していたたくさんの乗用車などは見るも無残に埋まってしまった。 
この被害で林道は復旧するまで丸
2年かかり、被害額は総工費の3分の1に達したとも言われている。

198281日の朝、当時、両俣小屋2年目の管理人をしていた星美知子(当時32歳)さんは、テント場の高校山岳部の一組の若者達18blog「山頂デザートな日々」のしまこさんが当時高校2年生)に天候悪化を告げ、嵐の前に早々と下山させた。 
その日の午後には他にキャンプを張っていた大学山岳部やワンゲル部員(三重短大・愛知学院大・新潟大・社会人パーティ)などに小屋への非難を呼びかける。 
しかし
1日の夜には安全だと思われていた小屋の前にも濁流が迫り小屋そのもが濁流に飲み込まれそうになってきた。 
皆をたたき起こし、とるものもとりあえず、
小屋の中にいた25と裏山に避難し一夜を明かした。

翌日になり戻ってみると小屋は傾いたけど無事、テント場は尾根からの土石で埋まってしまった。
テント場の16の生存を確認して、ほっとしたところ、その2日の晩再び豪雨に見舞われ鉄砲水が小屋の1階を襲ってきた。 
去ったと思われた台風の猛威は小屋の
1階を水に埋め、避難している2階にまで及び、小屋自体が危うくなってきた。
 
ここで若き小屋番の星さんは大脱出を決意する。 

3日、彼女はついに小屋を放棄して不十分な装備のまま登山者25名を率い、仙塩尾根から3033mの仙丈ケ岳を越え北沢峠を目指す逃避行を決行した。 
もちろん林道は至るところで、土砂崩れや倒木、土石流で崩壊、歩ける状態ではない。 大雨でも崩れることのない、
3000mの稜線が生存への唯一の道だった。

普通の足ならば2日はかかる距離を、ずぶ濡れになり、飢えと寒さに震えながら、11時間歩き通し命からがらの脱出に成功した。 
一人の遭難者も出さずに北沢峠の長衛小屋まで前夜脱出の
16名を含め、両俣小屋にいた41人全員を誘導し無事に到着させた。 
その時の登山者たちの頑張りはもちろんリーダーとしての
星さんの働きはとてつもなく大きい。 

「星さんの配慮、体力、気力、女性ながら実に見事でした」というのが同行した人の感想である。

彼女は言う。

「もとは私の判断の甘さから皆をえらい目に遭わせてしまったんです。
 記録をまとめたのも、もう一度自分を振り返りたいと思ったからです。」

この当時の記録は41人の嵐(著:桂木優)』として出版されている。

「電気も水道も車も来ない所で自分がどこまで生きられるか試してみたかった」

という彼女は、昭和
25年生まれ、早稲田大学第二文学部中退、あれ以来38年目の夏を両俣の小屋番として迎えている。
御年
68歳である。 
(岳人 
19849月号より引用)

そんな両俣小屋星さんの訪問は次回の楽しみに取っておいて、北沢峠(2030m)から今回の目的地、早川尾根へと歩き出す。(0700)

 北沢峠には立派で大きな「北沢峠こもれび山荘(110人収容)」が建ち、綺麗になった「長衛小屋(56人収容)」には大きなキャンプ場(100張)があるので、キャンプだけを楽しむ家族達も大勢いる。 
そんな賑やかで俗世間的な北沢峠からの登山は、
甲斐駒(2967m)を目指す人、仙丈ヶ岳(3033m)を目指す人がメインだが、頂上まで行かないハイカーの姿も多い。

     
 北沢峠(2030m)
 長衛小屋キャンプ場(100張)

 それは最近のCM「水の山 南アルプス天然水」ウタダヒカルさんがロケに来たという仙水峠への道。 
そのCMに出てくる苔むした木橋を渡り、透明度抜群のせせらぎを観ながら歩き、仙水小屋へ。(0743))
そこにはblog「山頂デザートな日々」のしまこさんが書いた「仙水小屋」の看板があった 。

   
 静かな流れ・・・
 この透明度!!

   
 仙水小屋(2140m)
 しまこさんの書かれた看板

中からちょうど外へ出て下さった小屋番さん「仙水小屋」看板の話や、早川尾根小屋(仙水小屋さんの所有、現在は無料の無人小屋として開放)を使わせていただく予定の事、水場の確認などをして、仙水小屋の自慢の美味しい水を頂いてから出発。(0752
 
   
 仙水小屋自慢の美味しい水
 苔、苔、こけ・・・

    
 瓦礫の海
 仙水峠(2264m)

 ウタダヒカルさんのCMに出てくる苔むした樹林帯や甲斐駒の摩利支天を見あげるあたりの瓦礫の道などを通り、やっと仙水峠(2264m)に到着。(0819
ここまでは甲斐駒を目指す人達と一緒だが、この先からは左は甲斐駒ヶ岳、右は栗沢山から早川尾根への道と分かれる。 
早川尾根方向は登山者の数がぐっと減ってくる。 小休止の後、マイナー(?)な栗沢山へと向かう。
(0831)

    
 仙水峠から甲斐駒
 栗沢山へのこんなとこ・・・

   
 さらにあんなとこ・・・
 ・・・を登って栗沢山(2714m)

仙水峠から栗沢山へは標高差450mの直登で樹林帯を抜けたら、岩とハイマツ帯になり、小さな岩場を越してたどり着く。 
甲斐駒ヶ岳が大迫力で目の前に迫る展望台として有名な
栗沢山(2714m)だが、今日は頂上に着いても,雨雲が低く立ち込め、摩利支天の頭さえ見えなかった。(1004)

長居は無用とわかってはいても、ここまでの急登でくたびれてしまい、大休止をとり燃料補給をした。
頂上では小さな二人の子供を連れた4人家族と、この先の行程が一緒になる兵庫の二人組と、奈良県が実家だが、奥さんの里帰りで同じ埼玉の坂戸から来た増田君と出会う。
皆で楽しく会話をして、先を急ぐ必要がないのも手伝って、ゆっくり休んでから出発。(1049)
相変わらず展望のないガスの中を歩き、合羽を着るべきか迷うくらいの雨なんだかガスなんだか分からないものが立ち込める稜線を行き、最後にちょっとした岩場を越えるとアサヨ峰(2799mに到着。(1140)

   
 展望の無い稜線
 たまには岩場・・・

   
 ガスの中を歩き・・・
 アサヨ峰(2799m)

アサヨ峰は「三百名山」に選ばれた早川尾根の最高峰で、ここから日本第二位の北岳(3193mの眺望が最高・・・な筈なのだが、今日はガスで何も見えなかった。

展望を満喫できるはずのコースだが、初日は全くダメだった。小休止だけで早川尾根小屋を目指す。(1159

途中にある小ピークのミヨシの頭(2698m)は通過。(1245) 
この先からは再び樹林帯に入り静かな山道が続く。 
やがて下り傾向が強くなり小屋も近いと思った頃、うっかり木の根に足を乗せてしまいを滑ってしまった。 
転倒は免れたものの左足のつま先を痛めて、今年も親指の爪をダメにしてしまった。 
爪の痛みに耐えペースを落としてゆっくりと下って行くと、ようやく
早川尾根小屋(2400m)の赤い屋根が木々の間から見えてきた。(1350

   
 ガスの稜線から樹林帯へ
 小屋が見えてきた♪

だいぶ草臥れた風の小屋は窓が半分釘止めで開かず薄暗く風も通らない。 
すでに先客がいて渡辺さんと言う
2歳上の単独行の人だった。 彼は南御室小屋から歩いて来て昼頃には到着して昼寝をしながらユックリと寛いでいた。

   
 無人開放の早川尾根小屋(2400m)
 小屋全景
 
   
 小屋内部(20人)実際はもっと薄暗い
 テント場(15張)

   
 水場
 トイレ

増田君と後から到着した兵庫の二人組は小屋の中よりも、空が開け平地で快適そうなテント場なので外で過ごすという。 
この日のテント場は最終的には
78張りで大盛況だった。 
しかし、そこは夏の山、思いっきりテントを叩きつけるような夕立が降った。 幸いテント内への浸水は免れたらしい。

小屋の中はと言うと、最初は渡辺さんと二人だけだったのだが、後から7人組の団体さん15時頃到着し、我々とは反対側の小屋の土間を挟んだ片側を占領し、場所を確保するとすぐに賑やかな宴会が始まった。 
こちらも負けじと渡辺さんと二人、山談義をしながら飲んでいるところに、
16時頃女性の単独者が到着 
テントは持っているが中が空いているのならばと小屋泊の仲間に加わってきた。
 
オッサンの二人はすぐに彼女を仲間に引き入れ、話の輪に招き入れた♡ 

彼女は中国四川の出身で
27歳。 日本の大学に留学で来日し、在日歴9年で日本語は堪能であった。 お名前は謝佳さんと言う。 
今朝は夜叉神峠を
4時に出発して南御室小屋薬師岳小屋を通過して鳳凰三山早川尾根小屋までと、通常ならば2日はかかる行程を歩いてきた。 

こんな小さな体の割には、ガッツは半端じゃない
 

長旅の食糧にとアルファ米をプレゼントしようとしたが、彼女はストーブを持っておらずお湯を沸かすことが出来ないと言う。 
ならばどのような食糧計画なのかと聞くと、全日程毎回パン食(ライ麦の食パン)でやり過ごし、その上
19日までのお盆休みの間に南アルプス全山を踏破したいという。 
無茶で無謀な不可能としか言えない夢だが、一途な彼女の計画に助言をしたり、コースを吟味したりとアラ還のオッサン二人は娘みたいな年頃の彼女とカップのウィスキーを傾けながら楽しい山談義で夜を過ごした。

813日(月)  二日目は早川尾根小屋~鳳凰三山~薬師岳小屋~南御室小屋(泊)

夜中にもひと雨あったのが、テント組は大丈夫だったろうか? 外が明るくなったころには雨は上がっていた。
小屋の中の7人組の団体さんは、昨夜あれほど賑やかな酒盛りをした割には切り上げも早く、20時には一斉に就寝。 
朝は明るくなり始めた頃に一斉に起床、行儀よく身支度を済ませ、外で朝食の自炊を始めていた。 
山小屋泊で慣れているのだろうけど、時間通り、全員集合の生真面目な登山は堅苦しくないのだろうか? 
自分は簡単にロールパン
1個だけの食事を済ませ、渡辺さん謝佳さんもそれぞれの食事を済ませ、出発の準備を始める。  
今日は甲斐駒方向と夜叉神方向とに道が分かれるので、記念写真を撮った。

   
 ㊤謝佳さん♡ 
 ㊨アラ還の渡辺さん

 
 旅には出会いがあるから別れもある・・・ 

「バイバイ(⋈◍>◡<◍)。✧♡」
 
謝佳さんとはハイタッチをして別れ、一足先に小屋をスタートした。(0519) 

皆頑張ってね!またどこかの山で会いましょう♪

朝の爽やかな樹林帯を下り、程なく広河原峠(2344mに到着。(0544
涼しい時間帯が惜しいので写真を撮っただけで通過。

   
 爽やかな樹林帯の道
 広河原峠(2344m)

遠目には穏やかな尾根に見えるが、早川尾根は思った以上に起伏が激しい。
小屋から
50m以上下り、今度は210m以上を登り返す。 登るにつれ、しだいに雲が払われて行くのが分かる。 
今日は好天が期待できるかも・・・。 昨日は叶わなかった絶景を見たさに、
赤薙沢ノ頭(2553mを目指す。 
生憎な昨日とは違い背中に広がっているであろう絶景を気にしつつも我慢々、小走りを交えながら、ようやくたどり着いた頂上。 

 
 右奥が甲斐駒ヶ岳(2967m)、左がアサヨ峰(2799m)、ミヨシの頭(2698m)と早川尾根の稜線
 
我慢を解禁して振り返ると、そこには・・・。 
昨日歩いてきた稜線が連なり、甲斐駒をバックにしたアサヨ峰ミヨシの頭が見え、その右横には八ヶ岳連峰、さらに秩父連山が鎮座し、昨日のうっ憤を晴らすような大展望が広がっていた。
(0637)
今の好展望を逃したくないので、急ぎ白鳳峠(2454mに降りる。(0700

   
 八ヶ岳 
 秩父連山

   
 赤薙沢ノ頭(2553m)
 白鳳峠(2454m)    

今度は北岳の絶景が見られるはずの高嶺(2779mを目指す。 
九十九折りの山道を進み、一息入れるたびに、周囲の景色を楽しみ、最後のハイマツ帯を登り、絶景の見える高嶺に到着。(
0804) 
高嶺からは
北岳(3193m)が真正面に聳え立ち噂にたがわぬ展望台であった。 
休憩していると程なく増田君も到着し、二人で頂上を独占して寛いでいた

   
 またしてもこんな所を・・・
 登って攀じって・・・
 
 
 
ジャ~~ン♪   高嶺(2779m)からの日本第2位の北岳(3193m)

昨日とは打って変わって最高の景色を堪能できた♪

充分に休憩をした頃、ワンゲルだか登山部らしき若者達が二組到着してきたので、彼らに場所を開けるべく出発。(0838) 
もう地蔵岳のオベリスクはすぐそこに見えている。

   

 オベリスクをロックオン!
 ㊨増田君

今回の最大の目的地オベリスクへ♪ 

先ずはアカヌケ沢ノ頭(2750mに到着。(0918
ここにザックをデポして稜線から、ちょっと外れた地蔵岳(2764mへ向かう。 
深く掘れた道を下り、白砂の斜面に出て基部に降りる。 
ここから見上げるオベリスクは圧倒的なボリュームで迫ってくる。


   
 ワクワク・・・
 アカヌケ沢ノ頭(2750m)

 
 地蔵岳(オベリスク2764m)

ウェストンにして「人間として初めて頂に立った」と感激したオベリスクの探検が今回の目的だ。 

撮影協力者の増田君に先行してもらう。

   
 左から攻める・・・
 足だけで登れる・・・

   
 サクサク登れる・・・
 最後の二つの岩峰の入口

   
 この隙間は太っている人には無理
 最後の難関!ウェストンはこれを登った!

 
 我々が登った最終地点からトレランの若者
 

今回最大のミッションのオベリスク探検(?)の目的を果たし、岩を降り始めた頃、

「あれっ見覚えのある顔が・・・。」 

高嶺の手前で会ったトレランの若者が登ってくるではないか。 
どうしたのかと聞くと、

「もう先に行くのが面倒になっちゃって、
 ここに(オベリスク)行ったらまた会えると思って
 戻ってきちゃいました♪」
と明るく笑っていた。

そう言えば、道の状況を教えたときに、高嶺から白鳳峠への下りはハイマツの海を泳ぐような感じで、枝の切り口が足に当たり結構痛かったのだ。 
トレランの格好で短パン姿の彼の足は、すで傷だらけで

「それ以上、脛に傷を持つ身になって、
 親を泣かせるなよ
()
と声を掛けたっけ。 

何と彼は、真夜中の0時にJR竜王の駅前から走り出し、夜叉神峠からは山道を走り、ここまで(山道のコースタイムだけでも9時間20分)来て、さらに日帰りだという。 
この辺で戻った方が賢明だとも思うが、それにしてもトレランの人は速い。 

朝方にも3~4人のトレランの人に出会ったのだが、そのうちの1人は、昨日の朝、北沢峠から甲斐駒ヶ岳に登り、頂上に着くと折り返して北沢峠に戻り、仙丈ケ岳を抜け仙塩尾根を走り、間ノ岳から北岳に向かい、北岳山荘1(コースタイム20時間30分)、今朝は山荘を4時に出て、北岳に登頂して広河原に降り、白鳳峠に登ってきた時(ここまでのコースタイムは約8時間のところ3時間で到着している)に遭ったのだが、これから早川尾根を走り抜け仙水峠から北沢峠に戻り(コースタイム15時間44分)、周回コースを終えるという。 
通常の登山の
4倍近い行程(コースタイムだと20時間超え)を駆け抜ける,疲れ知らずのスーパーマンとしか思えない人種だ。

再びザックをデポしていたアカヌケ沢の頭に戻り、増田君は食事休憩をするというので、一人で出発。(1048
鳳凰小屋への分岐を過ぎ、今回のコースで最も高い標高の観音岳(2840mを目指す。

 
 観音岳(2840m)へ

先ずは岩交じりのちょっとしたピークをひと登りして下り、ここが鳳凰小屋への分岐点。 
さらに先に登りが見えている。 それにしても楽をさせてくれないコースである。 
烈風に耐え斜面に張り付いているカラ松の枝に結びつけられている目印のピンクのリボンを睨み付けながら・・・、白砂の広がるところでは、岩陰にひっそり咲いているタカネビランジを目標に、もう少し、あと少しと踏ん張り、
観音岳(2840mに到着。(1143) 

   
 鳳凰小屋への分岐 
 またしてもこんなとこ・・・

   
 ピンクリボン
 タカネビランジ

 
 観音岳(2840m)

やっと到着した山頂だが、到着する前からガスが湧いてきて、景色どころか天気が怪しくなってきて雨の心配が出てきた。 
山頂写真を撮って早々に出発。 夏とは言え、この標高で雨風が吹き始めると寒い! 
そして、とうとう雨が降り出してしまった。 足早に先を急ぐが
、あっという間に土砂降りになってしまった。 
体を隠す場所もないままに、大急ぎで合羽を着こむ。 
すでにびしょ濡れだが、気にしている場合ではない。さらに雷雨となり、どう考えても雷雲の中に閉じ込められているのが分かる、身の危険を感じる状態になってきた。

 
 ヤバそうな雰囲気の薬師岳山頂

駆け足で、やっとたどり着いた薬師岳(2780mはガスに煙っていてなんの感動も得られない。(1218) 
それどころか雷雲の中でストックを持っている歩いているという自殺行為から早く抜け出したい。 
何も無い平らな山頂で電気の良く通るカーボン製の避雷針を持って歩いているようなものだから、その辺にぶん投げてしまいたい衝動に駆られるが、
1セット2万円近い高価なストックだけに諦めきれない。
 
聞いた話によると、雷雲の中での雷は上から下に落ちるのではなく、
                                 横から走ってくるらしい。
 


   
 
 だだっ広い山頂(2780m)
      ・・・雷がヤバイ(汗)

 薬師如来(?)

   
 小屋まで5分 信じていいんだな!
 あっ本当だ♪
   
そんな事は体験したくないので、薬師岳小屋まで
5分という、標識を信じて山頂から細い道を駆け降りる。 
ずぶ濡れで新築になった薬師岳小屋に着いた時は、助かったぁ~と実感した。(
1224

 
 
 新築になった薬師岳小屋(2710m)50人収容

 ずぶ濡れで寒いので、本当なら暖かい飲み物が欲しいのだが、冷たい飲み物しかないという。
小屋番さんと時間潰しの会話をして雨宿りをしているところに、同じくずぶ濡れの増田君が到着。 
彼も飲み物を頼んで小屋の中で雨宿りをして雷が収まるのを待つしかない。 

・・・、
30分ほどで嵐は去ったらしく、雨も小降りになったので出発。(1309) 
ここからは下り基調の樹林帯の道が続き、景色もないが上り下りも大した事ない単調な道が続く。 
やがて
南御室小屋(2435mの赤い屋根が見え、到着。(1356

   
 南御室小屋(2435m)80人収容
 ヘリポートとテント場(50張)


   
 一人布団1枚確保♪
 夕食はビーフシチュー

 受付を済ませた後、時間が早いので、外でラーメンを作り昼食にする。 今日はここまでロールパン3個を食べただけである。 
今回持ち込んだのは「ラ王のみそ味」で、これに乾燥野菜の「ラーメンの具」が入るととてもおいしい。 やっぱり素ラーメンでは物足りないのだ。

増田君がテントを設営した後は二人でビールで乾杯! 山談義で時間を過ごした。

それから、またも土砂降りの雨になり、増田君はテントへ、自分は小屋の割り当てられたスペースへと逃げ込んだ。 
小屋の中では広島から来た人と会話し、
7月の広島の豪雨の被害状況などを聞いた。 
小屋の夕食は早く、
5時には食事タイムとなった。 ビーフシチューがメインの食事だった。 
食堂では登山ツアーの年配の男性ガイドさん若い女性の部下のガイドさんと一緒になり、いろいろな苦労話を聞かせてもらった。 
話を聞きながら、なるほどと思うその横には、ツアーのお客さんの
老老男女の方たちが黙々と食事をしていた。 

ん~~なるほど、面倒を見るのが大変そうだ・・・。(納得)

814日  最終日は南御室小屋~夜叉神峠登山口まで

小屋の中では大した会話もなく消灯時間になり、朝になった。 早出する人を見送りながら、寝たふりをして朝食を待っていた。 
今日はもう下りるだけで、芦安に着いても観光スポットがあるわけでもないのでゆっくりスタートでいいのだ。 
5時過ぎに朝食を頂き、小屋の中の人がほとんど出発してしまったので、居ずらくなり重い腰を上げ外に出てみた。 

ツアーのガイドさんが朝のミーティングと体操を行っている最中だった。 
老老男女の皆さんたちは行儀よく注意に耳を傾け出発の号令の下、鳳凰三山巡りに出発していった。 
今日は鳳凰小屋泊まりで
23日のツアーだという。 
テントを撤収した増田君とほぼ一緒に、南御室小屋を後にした。 
お互いに単独行なので、静かな南アルプスには独り歩きをj邪魔しない距離を取って歩き出す。(
0630

   
 山小屋らしい朝食 
 最終日は快晴

 
 素敵なプロムナード

    

 苔苔 
 ㊨(⋈◍>◡<◍)。✧♡

静かでしっとりとした苔むす道は気持ちがいい。 これが南アルプスの良さなのだろう。 
日中の気温が高い時は蒸し暑く風も通らないので、不満で文句の一つも言いたくなるが、森林浴効果で心が浄化される様なしっとり感は北アルプスにはない感覚だ。 

全体が下り基調なので、苺平(2517m)、山火事跡(2224m)、杖立峠(2178mと過ぎ、夜叉神峠小屋(1790mへと一気に降りてきた。(0848

   
 苺平(2517m)
 山火事跡(2224m)

   
 杖立峠(2178m)
 夜叉神峠小屋(1790m)

 
 夜叉神峠(1790m)

夜叉神峠白峰三山が良く見え絶好の景色を拝めた。 
少し休憩し、予定より
1本早いバスに間に合いそうなので出発。(0902) 
ジグザグの山道を下り増田君と話しながら
夜叉神峠登山口(1370mに到着。(0939) 
終わってしまった夏山を振り返り、ジュースで乾杯! 
1011分の芦安行きのバスに乗り市営駐車場に到着。 
出会った時の話で知ってはいたが、本当に愛車の横に増田君の車があり、縁とは不思議なものだと感じた。 
この後下界の食事(自分のルーティンでは下山後はとんかつ定食!)をして、日帰り温泉で山の汗を落とした。


   
 今回の山行きを共にした増田君と
 下山後はとんかつ定食

 増田君と別れた後、南アルプス芦安山岳館を見学。 バックナンバーで1982年の台風10の記事を調べた。 
そのあと「家に帰りたくない病」自分は民宿を予約してあったので、「民宿・旅館なとり屋」さんに投宿した。

   
 南アルプス芦安山岳館
 白旗史郎写真展開催中

   
 民宿・旅館なとり屋(一泊二食8790円)
 8畳の部屋

   
 夕食 
 朝食
ここの御主人はウェストン北岳鳳凰山に登山に来た時協力をした、芦安村村長・名取運一氏の親戚にあたる。 
廊下には
1982年の台風10の猛威の写真が飾られてあった。 民宿の目の前の川も氾濫寸前で大変だったらしい。

降水量が豊富で自然豊かな南アルプスだが、自然豊かなうえに、災害との飽くなき戦いが住んでいる人々に課せられている。