2019.8.4~6
山こじ通信vol.51

    西穂~奥穂縦走+忘れちゃいけね~焼岳


 
                    奥穂から見る焼岳~ジャンダルムの稜線

  山行工程 (2泊3日) 2019.8.4~6      
 第一日目 予定歩行時間  8時間35分  (撮影+小休止  8時間41分)

・・・・・・・・・・・05:49・・・・・・・・・・・・・07:02・・・・・・・・・・・・07:25・・・・・・・・・09:00~09:43・・・・・・・・・・・11:07・・・・・・
沢渡P・・上高地BT・・(30)・・焼岳登山口・・(40)・・峠沢・・(1:40)・・焼岳小屋・・(1:25)・・焼岳北峰・・・
・1000m・・・・1500m・・・(1:13)・・・・・・・・・・・・・・(23)・・・・・・・・・(1:35)・・・・2100m・・・(1:24)・・・・2444m・・・・

・・・・・・・・12:08~12:37・・・・・・・・・・・14:11・・・・・・・・・・・・・・・・・・15:42
(1:05)・・焼岳小屋・・(1:40)・・・・池・・・・・(1:35)・・・・西穂山荘(泊)
(1:01)・・・2100m・・・・(1:34)・・・・2194m・・・(1:31)・・・・・・・2367m
 第二日目 予定歩行時間  10時間00分  (撮影+小休止  8時間49分)  

・・02:50・・・・・・・・・・・・・・・04:01・・・・・・・・・・・・・・・05:19・・・・・・・・・・・・・・・08:09・・・・・・・・・・・・・・09:49~10:05・
西穂山荘・・(1:15)・・西穂独標・・(2:00)・・西穂高岳・・(2:45)・・天狗のコル・・(1:30)・・ジャンダルム・
・2367m・・・・・(1:11)・・・・2701m・・・・(1:18)・・・・2909m・・・(2:50)・・・・・・・・・・・・・・・(1:40)・・・・・3163m・・・・

・・・・・・・・・・・・11:14・・・・・・・・・・・・・・11:55
(1:50)・・奥穂高岳・・(40)・・穂高岳山荘(泊)
(1:09)・・・3190m・・・・(41)・・・・2996m
 第三日目 予定歩行時間  7時間20分  (撮影+小休止  6時間16分)

・・05:35・・・・・・・・・・・・06:11~06:26・・・・・・・・・・・07:37・・・・・・・・・・・・・08:04・・・・・・・・・・・・08:36・・・・・・・・・・・・
穂高岳山荘・・(50)・・奥穂高岳・・(1:40)・・紀美子平・・(30)・・前穂高岳・・(20)・・紀美子平・・(2:00)
・2996m・・・・・・・・(36)・・・・3190m・・・(1:11)・・・2920m・・・・・(27)・・・3090m・・・・(32)・・・2920m・・・・・(1:50)

・10:26~11:05・・・・・・・・・・12:45
岳沢小屋・・(2:00)・・上高地BT・・・沢渡P
・2170m・・・・・(1:40)・・・・1500m・・・・・1000m

 
 山こじも2004年以来、登山を始めて15年目になり今年はとうとう還暦を迎える歳になってしまいました。
登山も、それなりのレベルアップをしてきたつもりですし、今回の山行で北アのメジャーコースは、ほぼ踏破できました。
今回は最後まで残していた、「穂高連峰最難関の大縦走路」焼岳を加えた、「焼~西穂~奥穂」が北アの卒業旅行です。


 第1日目(8月4日)

 前日の仕事がハードで、しかも工事屋泣かせの炎天下での舗装工事だった。 毎日が熱中症の繰り返しだ! 
 さらに寝不足、深夜のドライブと還暦間近のオッサンにとっては最高にハードな初日であった。

    
  ㊤沢渡P
  ㊨上高地BT

 いつもの圏央道と中央道を走り、松本からはR158で沢渡Pへ到着。 
ちょっとだけ仮眠をして5時20分のバスに乗る。
 上高地BTには5時50分に到着。 早朝にも関わらず登山者が多い。
 
 
  早朝の河童橋から吊り尾根の風景

 
  焼岳2444m

 アルペンムードの上高地にあって釜トンネルを抜け、旅行者の最初に目の前に現れる焼岳。 
今も噴煙や水蒸気を上げている現役バリバリの活火山である。
 過去にも何度も噴火をしているが、1915年(大正4年)6月に大噴火を起こした際に梓川を堰き止め、大正池を出現させている。
 池の水面に佇む「幻想的な樹木の立ち枯れ」が有名な大正池だったが、焼岳からの土砂の流入などで面積も小さくなり、100年以上もの時間の経過も手伝い、今では数えるほどしか残っていない。
 
 1977年(昭和52)より大正池を維持するため、流れ込む土砂を掘削する浚渫工事が開始されている。
 現在の大正池は、ほとんど梓川の川幅と変わらなくなってしまい、そもそも成り立ちが自然現象の火山噴火によるものだから、土砂流出による消滅も仕方のない自然の摂理だろう。

 
  1915年(大正4)6月6日朝7時35分、焼岳の大噴火

 1978年(昭和53)8月、19歳になったばかりの山こじは自転車ツーリングで初めての上高地を訪れている。
 その当時の釜トンネルは、真っ暗闇の急勾配で、バス1台がやっと通れるくらいの極狭で、路面も凸凹で、距離も500m以上もあって、生きた心地ではなかった。
 当時は落石も頻繁に起こり、トンネルの通行は片側交互通行だった。
 大正池も今よりもっともっと立ち枯れの木が残っていて、朝靄の大正池は幻想的な被写体として、カメラを向けたものだった。


    
  ㊤1947年(昭和22)に復活したウェストン碑
  ㊨焼岳登山口(07:02)
 
 上高地の有名な山小屋やホテルを横に見ながら梓川の畔を歩く。 
前日から滞在している人たちは早朝散策の時間なのだろう。
 およそ41年振りに見るウェストン碑や梓川のせせらぎに、心を癒される。
 さらに歩いていくと、散歩の人達も疎らなり、西穂高岳登山口を過ぎ、焼岳登山口に着く頃には誰もいなくなってしまった。
 上高地でも人気の中心は槍・穂であって、焼岳登山は超マイナーな様だ。(自分でもそう思う)

    
  ㊤峠沢付近(07:25)
  ㊨焼岳小屋近くの3段のアルミ梯子(08:49)
 
 登山口から一歩入ると華やかな上高地のイメージではなくなり、静寂な大自然の懐に包まれた感じだ。
 樹木の匂い、苔の潤い、野生の猿の徘徊・・・。 
 う~~~n 癒される~~(#^.^#)

 
  焼岳頂上

 しかし、最初こそ涼しかったが、そこは夏山登山、噴き出る汗が止まらない。
 汗だくでヒィヒィ言いながらも1年ぶりの登山を噛みしめるように登る。
 自分の弾む息だけの音しか聞こえない静かな山道を登っていくと、前方にやっと登山者の姿が。 皆さん静かな山を愛しておられる。
 その中にソロの登山者が・・・

  山こじ 「暑いですね~、何方から来たんですか?」

       「私は埼玉の入間市からです。」
 
  山こじ 「えっ私は埼玉の所沢ですよ。」

       「偶然とはいえ、えらく御近所でしたね~」

  山こじ 「実は去年も南アの両俣小屋で8月に会った方と9月に再会したばかりです。 山の世界は狭いですね~」

 ・・・という経緯でこんどう君焼岳の往復まで一緒に歩くことになった。

    
  ㊤焼岳北峰の溶岩とこんどう君
  ㊨焼岳北峰の頂上とこんどう君

 
  焼岳北峰2444m 南峰は立ち入り禁止

 
  焼岳頂上よりこれから歩く西穂~奥穂方面1000m近くの眼下に上高地

 焼岳小屋で一息入れ、ザックをデポして空身で頂上に向かう。 しかし空身とはいえ、なかなかの急登でキツイ!
 登るにつれ、現役の火山らしく硫黄の匂いがしてきた。 御嶽山じゃないが、今噴火されたらひとたまりもない。
 噴石と思われる20m位の巨石がゴロゴロしている。 あんな塊が吹っ飛んでくるんだから人間なんてペシャンコだ。

 「噴火しないでね」 「爆発は勘弁してね」と念じながら、頂上に到着。(11:07)
 
    
  ㊤乗鞍岳と奥に御嶽山
  ㊨巨大な噴石群

 頂上は期待を裏切らない絶景で、遠く乗鞍御嶽山が見え、今夜の宿の西穂山荘、その先の奥穂までの稜線が望める。
 目を転じて向かいの山を見ると笠ヶ岳からの稜線、2011年に登った霞沢岳と眼下の上高地と梓川、これぞ絶景である!

    
  ㊤霞沢岳(2645m) 2011年に登頂・・・その下には・・・
  ㊨大正池???・・・狭っ! コレっぽち

    
  ㊤六百山(2449m) 赤い屋根は上高地帝国ホテル
  ㊨物凄く暑いです(@_@) この薄着が後で・・・大変後悔する羽目になった

 頂上を後にして、再び急登の道を下り、焼岳小屋で昼食休憩。(12:08)

  「また何時か何処かの山で会いましょう♪」
  
 と言って、登山最終日のこんどう君上高地に下山し、自分は今夜の宿の西穂山荘を目指して出発。(12:37)

 ただでさえマイナーな焼岳なのに焼岳~西穂間の稜線は歩く人も疎らだ。 上高地から西穂に直接登れる登山道もあるから仕方がないかもしれない。
 暑苦しい樹林帯の尾根道の中で、3組ほどの団体と出会ったが、やはり出会う人の数が段違いに少ない。 静かな(とっても)登山としてはお勧め・・・かな?

 中間地点のを通過。(14:11)   
  
 タオルを何回も絞りながら、ひたすら歩く。 
 目印も感動もない道を、てくてく歩く・・・。 
 ただただ・・・歩く・・・。

  やがて目の前が開けて・・・!!!

 
  西穂山荘ロックオン!(14:30)

 今日の宿が見えたことでちょっとだけ元気回復。
 頭の中は「ビール! ビール!」の大合唱だ。

 ヨレヨレになるも、遂に西穂山荘に到着。 
 今日はもう歩かなくて良いんだというだけで幸せだ。(*^_^*)

 
  西穂山荘2385m(15:42)
  
 テント場も盛況だったが、小屋の夕食も60人のテーブルが2回戦だった。

    
  ㊤本日の寝床1人1枚(^^♪
  ㊨本日の夕食♪

 同室の方にも明日は西穂~奥穂縦走を狙っている方達がいた。 皆明日は早いぞ!


 第2日目(8月5日)

 さすがに睡眠不足と過労で爆睡してしまった。 
しかし、今日の行程を考えると寝過ごすわけにはいかない。 

 夏の登山は朝駆けが掟だ!
 
 西穂山荘穂高岳山荘の間には山小屋はおろか、水場もない! 
 その行程も細かなピークが多く、アップダウンも激しく、およそ1600m登って1000m下ることになり歩行時間は10時間にも及ぶ。
 
 
    
  ㊤西穂山荘スタート(02:50)
  ㊨西穂山荘2367m
    
  ㊤西穂丸山(03:08)
  ㊨西穂独標2701m(04:01)

 ヘッドランプの明かりを頼りに奥穂方面の道をゆっくりと登り始める。 歩き始めはハイマツや低木がの中を歩くので先ほど降った一瞬の雨で足元が濡れる。
 真っ暗で景色も何も分からないが、先行者のヘッドランプの動きで、それとなく道の感じがうかがい知れる。
 「んっ何かある!」と思ったら、西穂丸山の標柱、さらに行くと西穂独標と通過。
 夜明け前なので炎天下のように大汗も掻かずに行程が進む。 しかし先は長い。
 
 聞いた話だが、独標では初心者が、西穂では中級者が、技量不足を感じて引き返すようだ。 
 確かに西穂山頂でもまだ行程の3分の1ほどだ。 
この先の険しさを考えたら、賢明な判断だ。
 
 西穂独標から西穂高岳山頂の第1峰まで11のピークがあり、ピラミッドピークは第8峰になる。

    
  ㊤第8峰、ピラミッドピーク(04:31)
  ㊨第5峰、チャンピオンピーク(04:53)
 
 
  第8峰、ピラミッドピークを振り返る(04:35)

 
  西穂の最後の登り(05:10)

    
  ㊤越えてきた西穂丸山、西穂独標を振り返る(04:51)
  ㊨西穂高岳2909m(05:19)
 
 
  西穂高岳2909m

 1967年(昭和42)8月1日
 松本深志高校2年生の教員の引率による参加者46名のパーティーが西穂高岳に登頂したが、正午過ぎより天候が悪化し、大粒の雹交じりの激しい雷雨となったためパーティーは避難を開始。
 避難の為、下山途中の独標北側斜面の鞍部付近のガレ場を1列で下っていたところ、雷の直撃を受けた。
 これにより生徒8名が即死、生徒・教員と会社員を含めた13名が重軽傷、生徒3名が墜落などで行方不明という事故が起きた。
 
 おそらく電気の通しにくい岩場に落雷した場合、電気が地中にアースせずに岩場を伝って電気が横方向に走り、電気を通しやすい人間に側撃する。
 ましてや、大勢で1箇所に固まっていると一度に全員が直撃や側撃を受けてしまう。 岩場の稜線上は逃げ場がないのだ。


 
  朝日が眩いトラバース道(05:49)
 
 西穂山頂を越えると、このコースで一番事故の多いエリアとなる。
 すでに西穂山荘西穂山頂の標高差は600m位あるが、ここからコースは一段と厳しくなる。
 浮石だらけのトラバースや、絶壁の痩せ尾根を下り、写真を撮る間もなく夢中で登り、降りる。
 一瞬のミスですべてが終わる状態が続いているが、のどの渇きも疲れも感じている場合ではない。 
 落石は絶対に起こしてはならないが、前後に登山者がいないので、少しだけ気が楽なのが救いだ。

    
  ㊤間ノ岳2907m(06:40)
  ㊨間天のコルへのトラバース(06:58)
 
 間ノ岳山頂を過ぎ、いよいよ大物の登場だ。
 天狗ノ頭へと続く逆層スラブの見た目の恐ろしさはピカイチだ。 大迫力で迫ってくる。
 後続のガイドさんと同行のおばさんがロープの準備をしている。 さすがにここからは繋がって登るらしい。
 落石があると危険なので、ここは先行してもらい写真を撮らせてもらう。

 
  天狗岳への逆層スラブの登り(07:02)

    
  ㊤ガイドさんとおばちゃん(60歳以上と思われる)がショートロープで登っている
  ㊨天狗ノ頭2909m(07:20)
 
 一応、鎖はあるが、ぶら下がるようなところではなく、靴底のフリクションを利かして登る感じだ。
 今回履いてきた靴は軽量でメガグリップのソールだから、岩稜歩きには適していた。

 
  登っても登っても眼前に立ちはだかる岩山
 
    
  ㊤天狗のコル(08:09)
  ㊨避難小屋跡 ここから岳沢小屋へエスケープできる
 
 前方を塞ぐように立ちはだかる岩峰を一つ一つクリアしても、さらにまた岩峰が立ちはだかる。
 登っては下り、登っては下りを繰り返し、天狗のコルに到着。 ここからは岳沢に降りれるエスケープルートとあるが、ザレザレで厳しそうだ。
 
    
  ㊤アラ還のオッサン登攀中(08:37)
  ㊨天狗のコルから畳岩尾根ノ頭へと続く岩溝(ガリー)

 
    
  ㊤コブ尾根頭?(09:17)
  ㊨頂上。 ついにジャンが見えた♪(09:27))
 
 岩溝(ガリー)を登り、
 こんなとこも、あんなとこもクリアして、
 ついに・・・ついに・・・ジャンだぁ~~~。


 
  圧倒的な迫力のジャンダルム3163m(09:42)

 
  遂に来ましたジャンダルム3163m(09:49)

 この有名なジャンダルムのエンジェルは黒部の仙人温泉小屋のスタッフの小森武夫さんが設置したものだ。
 ある時、初代のエンジェルの支柱が外れ、錆びてボロボロになり、岩の上に置いてある写真を見た時に2代目の作成を思い立った。

 2014年(平成26)8月20日 10:15 2代目エンジェルが舞い降りた!

  初代エンジェル=長さ14㎝、高さ8㎝、鉄製  

 二代目エンジェル=長さ23㎝、高さ18㎝、重さ1.3㎏ ステンレス製


 
  自宅に回収して額に収まった初代エンジェル
   
 「初代エンジェルが今までジャンダルムに登った方々の思い出になったように「二代目エンジェル」も今後、多くの人達に愛されるとともに感動の一助とならんことを祈念する次第です。
 末筆ながら、奥穂高~西穂高間の稜線を試みる人が増えている様であるが、何時までもエンジェルに安全登山を見守って頂きたいものである。」
  小森武夫氏談

 
   
  ㊤憧れのエンジェルとご対面(09:50)
  ㊨ジャンから奥穂へとトラバース(10:05)

 
  ジャンで見かけたオコジョ(10:13)初めて撮影に成功(*^_^*)

 
  ロバの耳付近(10:15)
 ジャンから奥穂へと信州側のトラバース、キン〇〇が縮み上がる高度感! ん~タマらん!!


 
  ジャンとお別れ・・・(10:21)
 
 ジャンダルムは浮石だらけで、登るときも降りるときも最新の注意で行動しなければならない。 すぐ下に登山者いるので落石を起こしたら大事故につながる。
 
 名残惜しいジャンの頂上から降りて、奥穂方面との分岐でオコジョに出会った。 なにしろ動きが早くて、ようやく撮影に成功!
 とんでもない高度感抜群のトラバースを終え、最後の難関ウマノセに向かう。 もうほとんど奥穂頂上への稜線なのだが、最後の最後、気を引き締める。

 
  ウマノセ(馬の背)のお迎え・・・(汗)
 
 怖い・・・怖い・・・。 写真なんか登っている最中には絶対に撮れない。 奥穂の頂上からも大勢の人達が見ているし、滑落なんかしたら即死間違いない!
 しがみつかないまでも、一挙手一投足のミスが命取りになることを肝に銘じて慎重に進む。
 何しろ右も左もすっぱりと切れ落ちた大迫力のナイフエッジだ。

 危険地帯の3段階の掛詞
  1、「ゆっくり行くだよ」
  2、「丁寧に行くだよ」
  3、「気を付けて行くだよ」


 を思い出し、「ゆっくり、丁寧に、気を付けて・・・、ゆっくり丁寧気を付けて・・・、ゆっくり・・・。

 そして・・・終わったぁ~~~
         (^O^)/(^O^)/(^O^)/♪♪♪


    
  ㊤奥穂頂上の人達
  ㊨ついに奥穂高3190mに到着。 日本第三位の高峰登頂!(11:14)
  
 早朝の3時ころから歩き始めた縦走路全体が危険地帯西穂~奥穂縦走のゴールだ!
  
 北鎌尾根と同じように、一般登山者から祝福され、たどり着いた感想は最高の一言だった。

 
  早朝からの8時間に及ぶ心労から解放され、最高の満足感!(11:14)

 なぜ、岩稜なのか。
 岩稜は、険しく厳しく急峻で、難しい。
 しかし、そこには変化に富み、恐れ多くも、美しい。

 ひとつひとつの難所を踏み越え、
 頂点に到達したあとの達成感や解放感、
 不安や弱点を克服した喜びはなにものにも替え難い。
   
by yamakei 

    
  ㊤穂高岳山荘に到着(11:55)
  ㊨夕食

 穂高岳山荘に到着して後続の人達が次々とゴールしてくる中、ビールで乾杯!最高!!
 ヘルメットをかぶっている人たちは同じ苦行を共有しているので、皆満面の笑顔だ。

 部屋割りを受けて、皆と今日の行程の話で盛り上がっていると、
 
  「えっ、えぇ~~」 
 
 2917年7月に栂海新道
で一緒に歩いた金原さんではないですか。

 一緒に親不知のホテル栂海新道完走の乾杯をしたことを忘れているので、ネットで確認させると・・・

  ほらぁ~・・・満面の笑顔でしょ (^O^)/(^O^)/
 
 いやぁ~~お恥ずかしい。 削除してぇ~~」もちろん却下です!(キッパリ)


 第3日目(8月6日)
 

 今日は最終日。 未だ行った事のない涸沢にも魅力を感じるが、今回前穂高岳に行かないと2度と行けないような気がしてきた。
 涸沢はもっと後にとっておいても、チャンスはあると思った。
 
 前穂に至るルートといえば・・・前穂北尾根・・・・たぶん出来ない。  明神から前穂・・・・やはり無理かも。
 行きたいルートではあるが、還暦のオッサンがソロ・テント泊でやるには、荷が重いのだ。
 だから吊り尾根から前穂がオッサンには丁度良い選択肢に思える。

    
  ㊤金原さんと再会、今日は奥穂~西穂縦走にトライする70歳
  ㊨朝食(・・・しょぼい)

 
  いよいよ出発!「また何時か何処かの山で会いましょう♪」(05:34)

 
  遠くに御嶽山、乗鞍岳、手前に焼岳(06:13) 

 
  河童橋から真正面に見えている場所から、逆に河童橋方向を見下ろす
 
 上高地から穂高連峰を見上げると岳沢が広がる正面が奥穂高岳前穂高岳をつなぐ稜線、吊り尾根である。
 上高地から前穂高岳への道は穂高小屋(現穂高岳山荘)を作った重太郎新道と呼ばれ、今田重太郎氏が切り拓いた道だ。

 
  明神岳主峰2931mと2峰。
  2峰の下降は約60mの懸垂下降が必要


 
  前穂北尾根2峰3峰

 
  前穂北尾根全景

    
  ㊤南陵ノ頭(06:34)
  ㊨紀美子平2920m(07:37)

 
  紀美子平から西穂高の頂上へ(左の高い所が頂上)
 
 紀美子平今田重太郎氏重太郎新道を開削した折に、家族をテントに住まわせ、夭逝した愛娘紀美子さんを遊ばせた事が由来である。

 
  西穂高岳3090m(08:04)

 
  眼下に岳沢小屋2170mが見える、ここから900m以上降りる

 紀美子平を後にして、渋滞の下山を始める。
 大学のワンゲルの学生達や、一般登山者が鎖場になると、老若男女を問わず、ほぼ全員が手こずり、さらに渋滞となる。

 しばらく降りると鉄兜?に迷彩服の集団が・・・、
 「下山者3名~~」、下の方から「下山者3名、了解!」と返事。
 陸自松本駐屯地の山岳レンジャー部隊だ。
 
   山こじ 「こんにちは」

   陸自  「こんにちは」「コンニチワ」「こんにちわ」 

   山こじ 「今日は何処まで?」

   陸自  「前穂までピストンの訓練です。」

   山こじ 「えっ、小屋でビールの乾杯は?」

   陸自  「無いです!」 (きっぱり)

   山こじ 「でも誰かのザックの中に入っているんじゃないの~」

   陸自  「それは無いです。(笑)」

 汗だくになり、なおも降りると二つ目の陸自の集団が、・・・

   山こじ 「良かったぁ~~♪、
         君たちのザックの中に元気が入っているって聞いたから分けてくれぇ~」


   陸自  「いやぁ~入ってません(笑)」

 日本と、山岳の安全の為に頑張る素敵な若者達をいじってすみませんでした。(^_^;)

    
  ㊤陸自松本山岳レンジャー部隊
  ㊨カモシカの立場2520m(09:44)

    
  ㊨重太郎新道の長い梯子、約12m、35段(09:56)

 
  まさにオアシス岳沢小屋2170m(10:26)
  
 そんなこんなで岳沢小屋に到着。 ここまではハイキングの親子連れもいるくらい賑やかな所だ。
 ユックリ休憩をして最後の行程を楽しむことにする。 
 岳沢小屋からは樹林帯に入り、直射日光の攻撃からは免れたが、何処を歩いているのかわからない。
 鬱蒼とした原生林の中を韓国の集団登山の人達と前後して歩く。 
 途中に休憩場所として最高の天然のクーラー「風穴」で一休み。

    
  ㊤風穴(12:04)
  ㊨岳沢登山口(12:37)
 
 
  上高地に山賊帰着!(12:49)

    
  ㊤おしゃれな避暑地
  ㊨とりあえず乾杯!

 
   もしかして見納めの上高地(14:12)
 
 上高地は、
 山と戯れるすべての人達が、めいめい集うためのスタート地点。

 近代登山が始まった歴史があり、
 文化的な香りを漂わせている・・・・・・。


 
  その夜は・・・
 
  松本ツーリストホテル 松本市深志2-4-24 ℡:0263-33-9000

    
  ㊤おひとり様ようこそ
  ㊨来っ来知っ来(くっくちっく) 松本市深志2-3-14 ℡:0263-36-7170

 
  馬刺し、山賊焼き、サワー、日本酒、日本酒・・・ 松本の夜は更けてゆく・・・